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方舟の夜

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 気まずい空気の密度が濃くなる中、電話はやまない。しかしいつまでもそうしているわけにもいかない。結局受話器を取るべく動いたのは、ロイの方だった。
「…すまない」
 ロイは弱った声をかけて、エドワードの肩をそっと離す。それから受話器を取った。
「…はい? …ああ、すまない。さっきついてね、しばらくしたら司令部に…」
 エドワードは、どうやら司令部の誰かかららしい電話を取るロイの背中を見つめていた。さきほど羽織ってきたシャツをエドワードによこしたせいで、今やその背中はすっかり素肌だ。シャツはもう返せるのだが、返している暇がなかった。
「………」
 たくましく隆起した肩のラインが、…まるで知らない誰かを前にしているような、落ち着かない気持ちにさせた。
「…え? …アルフォンスが?」
 よく知った名前にはっとしたのと、ロイが振り返ったのは同時だった。彼は目を細め、まるで値踏みするような目をしながらエドワードを見つつ、電話口、伝える。
「鋼のなら私が保護した。…いや、違う、たまたま拾ったんだ。風に飛ばされそうになっていたから。避難させている」
「…誰が飛ばされ…」
「…しかし困ったな、橋が流されたか…」
 …橋が流された?
 エドワードがその台詞に眉をしかめた時だった。

 カッ…!

「…!」
 外を稲妻が走った。ついで、腹に響く低い音が鳴る。どうやら近いようだった。
「…、これは落ちたな…、…と、…中尉? …中尉、どうした、…中尉?」
 窓の外を呆然と見ていたエドワードだったが、少し焦ったようなロイの声で我に返る。
「どうしたんだよ」
 振り向けば、ロイが途方に暮れた顔をしてこちらを見た。そして重々しく言ったのである。
「…電話線が、…切れた」
 あまりのことに、エドワードの思考は停止した。

 その後五分もしないうちに、市内のガスの供給が停められ、街の中はすっかり暗くなった。ガス管に雷が落ちたら大惨事なわけで、どうもそういう場合には流出を停めるシステムになっているそうだ。まさかそんなに近代的とは思わなかったが。
 ランプをつけて回る気もなく、ふたりは、暗い部屋の中、ぽつんと離れた位置に座って外を眺めていた。部屋の中は少し湿気があっていくらか不快だった。
「…アル、が、…どうかしたのかよ」
 ソファの上膝を抱えて、エドワードが言う。
「…司令部に電話があったらしい。君が嵐の中出て行ったまま帰らないから、…無理を承知、恥を忍んで、探して欲しい、と」
 ロイはといえば、窓辺に寄りかかって腕を組みながら、ぼんやり答えた。外は嵐。司令部へ行く道は途中で塞がれ、電話線という導線は切れてしまった。灰色の世界の中、ぽっかりと静かに浮かぶ箱の中に閉じ込められたように、感じていた。
 そんなロイに、エドワードの拗ねたような声が届く。
「…あんたが勝手に引っ張ってくるから」
「立派な人命救助じゃないか。…言っておくが、本当に君は風に飛ばされるぞ」
「飛ぶわけねぇだろ…」
「いや、飛ぶ」
「飛ばねぇー」
「いいや、飛ぶね。…驚いたぞ。もう少し重いかと思っていた」
「誰がデブ…!」
 はぁ、とロイは溜息をつき、ようやくエドワードを振り向いた。その黒い眼は落ち着いていたが、…どこか得体が知れないようにも見えた。エドワードは少し怖くなった。
「…違うだろう。これ、だよ」
 彼は自分の右腕と左足を軽く叩いて示した。そしてそれに続く苦笑に、エドワードの緊張も少し緩む。それから困ったような顔をして、自分の右手と左足を見る。
「…あ…」
「…ちゃんと食べているか?私が君くらいの頃にはもっと重かったぞ。成長期でよく食べたし。一日五食くらい平気で食べた」
「五食?」
「ああ。食っても食っても腹が減ったものだ。そういう時期だったんだろうさ。おまけに夜は成長痛で眠れなくて」
「………嫌味かそれ」
 ロイはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「嫌味なものか。本当の話だ。…必要なものだが痛みは痛みだ。味あわないのにこしたことはないと思うがね」
 灰色の世界を写す窓ガラスには、ロイの影が少し映りこんでいた。エドワードはぼんやりとその姿を見つめながら、ぽつりと口にした。なんだか、気が抜けていた。
「…なんか…世界が終わっちまうみたい」
「は?」
 唐突に脈絡の無いことを言われ、ロイは首を傾げた。すると、エドワードは抱えていた膝を解いて、ロイのそばまで歩み寄ってくる。そうして、窓を黙って見上げた。正確にはその外の世界を。
「…。四十日雨が降り続くんだ。そうすると世界は水浸しになって、なんにもなくなっちゃうんだ」
 窓ガラスに手を突いて、覚束ない口調でそんなことを言う。まるで頑是無い幼子のような調子で、ロイは胸がきしりと痛むのを感じた。
 エドワードは、確かに、まだ子供なのだということを思い出してしまったからだ。
「なんだ、それは」
「…母さんが昔してくれた。おとぎばなし」
「……」
 寝物語か、とロイは複雑な顔をする。この子供は、時々本当に幼い子供のようになることがあるのだ。
「…人間が悪いことばかりするから、…神様が怒って洪水を起こす。…だけど正しい人だけが選ばれて、家族と、動物がひと番、それから花や木を方舟に載せる…。水が引いたとき、最初に姿を見せた地上にはオリーブの木がある…」
 エドワードは額を窓につけ、目を閉じながらぽつりぽつりと語り出した。
「…この場合、私と君でひと番、か?」
 ロイは、とうとうそれを口にした。聞こうか聞くまいか、…いや、聞いていいのかどうか、本当はさっきからずっと迷っていた。
 エドワードの小さな背中は、その問いかけにもぴくりとしなかった。
「…説明、…してはくれないか?」
 長い沈黙の中嵐の音だけがしている。他には何も無い。確かに、世界という嵐の海の中に浮かぶ船にいるような、そんな不思議な感覚をロイは覚えた。
「………。…オレの親父は結構名の知れた錬金術師でさ…」
 ぽつり、とエドワードはロイに背中を向けたまま口を開いた。
「…ホーエンハイム…、…ヴァン・ホーエンハイム…。…オレは親父のことはほとんど知らない。…ヤツはアルがまだ歩けないくらいの頃に、ふらっと出ていったきり帰ってこなかったから…」
 ロイは黙って聞いている。
「…でも知ってるヤツは知ってた。アイツがどんだけ、…頭ひとつもふたつも飛び抜けた錬金術師か…、その血筋がどれだけ魅力的なものか、をさ」
 聞かされるだけの男は、黙って眉をしかめた。
「…。ばかばかしい話だよ?」
 自嘲気味に言って、エドワードはゆっくりと振り返った。どこか頼りない顔をしていた。まだ子供なのだという感想と、やはりこれは男ではない生き物なのだ、という印象が半々。その線の細さはやはり男ではありえないものだった。
「…オレはあんまりよく憶えてないけど…二つか三つくらいの頃? …オレってば、誘拐されてんだよね」
「…!」
 唇を歪める顔は、…しかしふてぶてしくなど見えはしなかった。いっそ弱々しく見えたほどだ。…思わず、抱きしめてしまいたくなるほどに。
作品名:方舟の夜 作家名:スサ