Bijoux
ブランシュと別れ、司令部へ戻る際、機嫌のよかったロイはスターリーホテルのラウンジにて焼き菓子の詰め合わせを求めて帰った。珍しく手土産など持参で戻れば、中尉には不審な目で見られたが、気にしない。彼はその時、それくらい楽しげな気持ちになっていた。
「……」
菓子を受け取りつつも、副官は微妙な気持ちになるのをとめられない。スターリーホテルの菓子類は評判もよく、それだけを見るのなら歓迎すべきことだったのだが、珍しい行動に何となく疑念が止まらない。
「中尉」
「はい」
先に行ったかと思った上司が振り返って声をかけてきたので、気味が悪いなんて口に出さなくてよかったわ、と何となく思いつつ、顔を上げる。
「君、年末まで仕事だったかな」
「…軍人に年末も年始もありません」
「まあ、そうだな。私もだが」
「…?」
何が言いたいのだろう、と微かに眉をひそめた副官に、彼は愉快そうに笑った。
「今年は何か面白い催しがあるかもしれない。楽しみにしているといい」
「…? 何の話です? これと何か関係が?」
ホテルの名前とロゴが包装紙に入った箱を持ち上げながら、中尉は質問する。ロイは笑って何も答えなかったが、恐らくはそうなのだろう。だが、スターリーホテルに関係が…といっても、そこで誰かと会った、くらいのことしか思い浮かばず、また軍関係者にも人気のあるホテルだけに、「誰か」を限定するのも難しいので、何のことやらさっぱりである。
「さて、仕事仕事」
いつもなら急かしても逃げたそうにしている人間の口から出たとは思えない台詞に、中尉は思わず窓を見た。天気がこれから崩れるのではないか、と思って。
――どういうわけか、外は快晴のままだったけれど。
エドワードは依然として目覚めないままだった。しかし、人形師は黙々とオートマタを製作していた。アルフォンスの見るところ、元々人形のある程度の部分は完成していたようだ。中身は出来上がっていて、ただそれをおさめる器の部分がいまひとつの完成度だった。そういうことのようだ。通常のオートマタの製作期間をアルフォンスは知らないが、それでもなお、これは早いペースだろう、と思わざるをえなかった。まるで、ほとんど出来上がっていたかのようなペースだったのだ。実際、発条だの機械部品だのなんていうこまごましたものについて新たに試作しているような様子は見られなかった。せいぜい、試運転のように中のカラクリを動かしているくらいのもので。
そうやって考えると、クリスタルガラスの工房の主よりも、この人形師のほうが昔からこの仕事に関係していた節があった。彼が屋敷に迎え入れられたのにも、そういった裏もあるのかもしれない。もっとも、ガラス工房には蹈鞴のようなものが必要だろう。火入れを行う以上、それなりに特殊な設備が必要なはずだ。そういった大掛かりなものまで新たに作るのは、それはそれで効率が悪いということも考えられたが。
寝ている間何の栄養も取らなければ死んでしまう。しかし、点滴を繋がれたエドワードにはとりあえずそんな様子はない。むしろ普段より血色がよいようにさえ見えて、アルフォンスとしては複雑な限りである。
看護師がいるという執事の言葉は嘘ではなく、それどころか、いてもひとりだったり名ばかりだったりするのではないかというアルフォンスの疑いとは正反対に、比較的若い、てきぱきした看護師が数人その屋敷には居た。看護師達は皆住み込みで、主人付きであるらしい。そのためか毎日交代でエドワードの様子を見ているが、実に手際がよい。
人形師がエドワードを見ながら作業をしている時も、看護師が傍についている。異常があったらすぐに対応してくれるわけだ。初めこそそれにも立ち会っていたアルフォンスだが、一週間も経つと諦めにも似たなんともいえない気持ちが湧いてきて、人形師の作業中は外に出るようになっていた。何となくいたたまれないのだ。
一時作業用の工房のすぐそばには、初日に教えられた主人の妻子の霊廟がある。
また幽霊に会うだろうか、と何度か霊廟の周りを見て回ったが、結局あれから一度も出会っていない。
「……」
どうにかしてここを出なければと思いながら、アルフォンスは普通に悩み苦しむことさえできない体に憤っていた。
かさ、と草を踏む足音がしたのはそんな時だった。まさかこのまえの幽霊が、と振り向いた少年の前には、車椅子の老人とそれを押す女性が現れる。屋敷にやってきてから一週間と少し、初めて見る顔だった。
初対面であること、身形というか、なんとなく雰囲気から、これがもしやまだ顔合わせをしていないこの屋敷の主人だろうか、とアルフォンスはきもち身構える。もっとも、様子からして凶悪だったり実は頑健だったりということはまず考えられなかったが。
「君は…鋼殿のお身内かな?」
老人は静かに尋ね、アルフォンスをじっと見つめてきた。
「…そう、ですけど。あなたは、もしかして、…?」
老人は目を細めて笑った。優しそうな顔だった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ない。ブランシュといいます。この格好で失礼」
車椅子の上会釈する老人には偉ぶったところが微塵もなく、アルフォンスは何となく慌てて、い、いえとんでもない、と頭を下げる。
「――ところで、少し話せるかな?」
「…はい?」
今まで姿を見せなかった主のここへきての突然の登場に、アルフォンスは戸惑いを禁じえない。しかし、なんというかどことなく悪戯っぽいこの老人の言い方には引き込まれるものがあって、不思議に思いながらも頷いてみせる。ブランシュはにっこり笑って、そんな鎧の少年を手招きした。
車椅子を押す看護師は、困ったような、微笑ましそうな顔で微かに笑っている。そういえばエドワードの所に顔を見せる看護師の仲では見ない顔だ、とその時気づいた。
「…実はだね。なんとも監督不行届で申し訳ないんだけれどもね、…鋼殿をこちらにお招きしたのは、どうもうちのものが勝手をしたようで」
「……は?」
アルフォンスは首を傾げた。ブランシュは困ったように眉根を寄せる。
「ガラス工房に依頼を出していたのは確かに私だが、通っていたのは私ではなかったんだよ。何しろこの足でね」
「はぁ…」
それはわからなくもないが、では人形師に依頼を出したのは誰なのだ? という疑問が今度はアルフォンスの中に当然生まれる。
「人形師に依頼を出したのは、恐らく、うちの…執事だろう」
「えっ…あの人がですか?」
兄弟が屋敷に着いた日に迎えた人物を思い出しながら、アルフォンスは問い返す。ブランシュは頷いた。
「…なんで、そんな」
呆然とした少年の声に、老人は肩を竦めて溜息をつく。
「……私が家族をなくしたことを、彼もとても悔やんでいた。そして、鋼殿はどうしたわけかなくなったうちの娘に似ている。…つまり、そういうことではないかと、思うんだがね」
色々なことを端折った台詞だったが、何となく伝わるものはあった。そして、アルフォンスはあの幽霊を見ている。つまりはあれが、なくなったこの老人の娘だということだ。
…ということはつまり、やはりあれは幽霊なのだろうか。ぞっとしかけて、今の自分もさして大差ないな、とひっそり苦笑する。