Bijoux
執事は、この計画で最大の支援者である、看護師のひとりに尋ねる。少年を眠らせている薬は、ブランシュがかかっている医者経由で求めたものだ。体に害はないそうだが、それでも私用するに当たってはそれなりの注意事項がある。しかも彼はまだ未成年だ。成人に投与するのと同じわけにはいかない。
「そう、ですね」
眠らせたのは、この計画に賛同を得られるか不安だった――いや、彼からの賛同は得られるわけがないと思ったからだった。
だが、聞いてみるべきだったのかもしれないと、少し冷静になって彼は思うようになっていた。どのみち、薬を使って問題のない期限が切れたら彼を目覚めさせるしかない。ずっと寝ていたから数日は起き上がれないかもしれないが、それでも、体が慣れたらここを出て行くだろう。
健やかに眠る顔を見ながら、執事と看護師は憂い顔で黙り込む。
「…人形は、出来上がるのですか?」
「ああ。急がせている。…多分、あと何日か…年内には出来上がるんじゃないだろうか」
そうですか、と看護師は頷く。
「…謝罪の準備をしておきましょう。殴られるときは、一緒に」
「そうだな。…いや、私ひとりが罰せられれば十分だ。私が…勝手にしたことだから」
かかわる誰もの胸に、年末まで、という言葉が重くなる。その重さは人それぞれだったけれども。
スターリーホテルではニューイヤーイヴに何かイベントをするらしい――そんな噂がイーストシティで流れ始めたのは、それこそイヴの何日か前のことだった。
「聞きました? イベントですって。豪勢なもんですねぇ、このご時世に…」
勤務変更のショックからは早々に立ち直り、何事もなかったかのように運転手を務めるハボックに少々物足りないものを感じながら、ロイは「そうだな」と相槌を打つ。彼は勿論そのイベントについて詳しく知っているのだが、そんなことを表に出しはしない。
「ま、俺はどうせ出番ですから、関係ないですけど…」
少し拗ねたような言い方に、ロイは目を細める。これを待っていたといっても過言ではない。…日々の生活には、こうしたちょっとした刺激が必要なのだ。
「それは奇遇だな。私も出番だぞ」
「大佐は仕方ないじゃないすか、だっていてもらわんと困ります」
「そうか? 中尉がいたら問題ないかと思うが」
「…まあそれはそうかもしれませんけど」
それはしかし職務放棄ではないのか、とは言いだせず、ハボックはハンドルを切る。
ロイは通り過ぎる雑踏に目を細める。いい街だとなんとなしそう思う。そして、エドワードもそう思ってくれたらいいと、特に理由もなくそんなことを思った。
同情というのは少し違う。けれど、目的のためにあちこちを歩き回る彼らが、この街で…というよりもロイの傍でその足を止め、一時でも休んでくれるなら、それはきっとロイにとっても幸せなことなのだ。どうして幸せに感じるか――それは簡単なこと。ロイが彼ら、もっというならエドワードに対して、上手く言葉にはできない、大事な気持ちを持っているからだ。
「警備の出番があるかもしれんな」
「へ? そのイベントのすか?」
「ああ。人出があれば我々の仕事もあるだろう。そういう商売だ」
「楽しく浮かれてる連中を取り締まる仕事ですね、了解です」
「………おまえ、やさぐれてるなあ」
「誰のせいだと…!」
「誰のせいだろうなあ。まあ、年末だの新年だのと言ったって、今日の続きであるには違いない。日常の範疇内だ。元気を出せ」
ははは、と心のこもっていない励ましをくれる上司に一瞬湧いた怒りは、あやうくハボックにハンドルを切り損ねさせかけたが、…幸いにして彼はその不毛な心中は選ばずに堪え切った。
そうだ。上司はこういう人間なのだ、と思いだしたので。
外部の会議から帰ってきたロイに呼ばれたフュリーは、最初なぜ自分が呼ばれたのかわからなかった。特に思い当たる節はない。
「ああ、来たか」
失礼しますと入室すれば、どこか企み顔の上司がいる。何となくまわれ右して帰りたい気持ちになりつつ、それでも彼は職務に忠実だった。
「お呼びとお聞きして…何でしょうか?」
「うん。まあ、これを見てほしいんだが」
「…? ガラス? ですか?」
ああ、と上司は頷く。
実は、フュリーは初めそれをガラスだとは思わなかった。どちらかといえば、宝石の類かと思ったのだ。それくらいに輝きのつよいものだったからである。今は窓からの日を受けて白い焔のようにさえ見えるから余計だった。反射光は執務室を泳ぎ、まるで真夏のようでさえある。
「アルミナを原料にしている。人造サファイアとでもいえばいいかな」
「え…」
フュリーは瞬きした。金を作るべからず――それは国家錬金術師に課せられた掟。宝石ならいい、というものでもないだろう。そういう意味ではないはずだ。
しかし、部下の困惑を正確に読んだ顔でロイは笑う。
「工業用にだ。計器のカバーガラスあたりに使えるんじゃないかと思うんだ。傷がつきにくいし歪みがない。交換の頻度が高いと言っていなかったか?」
「え、…え?」
「宝石商に鞍替えしようということではないさ。宝石というのは、あれは長い時間をかけて磨かれるから美しいんだ。錬金術師が面白半分で作っていいものでもないだろう」
「は、はぁ…」
触ってもよろしいですか、と声をかけ、慎重にフュリーはその塊を持ち上げた。
「ガラスというのは奥が深いな。正確にはこれはガラスとも違うんだろうが…しかし、奥が深い」
「ええ、そうですね。やはり昔からあって消えないものですから、それだけ馴染みも深いですしね」
ためつすがめつ塊を見るフュリーに、ロイは「そうだな」と頷く。
「計器のカバーガラスもですが…じゃあ、まずは時計で試しましょうか」
「時計?」
「先端加工の職人に持っていけばもっと他の面白い使い方をしてくれるかもしれませんけど…、とりあえず。時計の風防も交換頻度が高いんですよ」
「たしかに」
一度執務机に塊を戻してから、フュリーは何気なく口にする。
「そういえば、これ、とても輝度が高いんですね」
反射光を目で追って、そうだな、とロイも頷く。
「大佐はサンキャッチャーってご存知ですか」
石を陽に当てながら、フュリーは言う。
「いや? なんだ、それは」
「僕もこの前知ったんです、食事に入った店で。新しい店だったんですけど、北部の郷土料理の店で。雫型のガラスがいくつも、枝みたいについた飾りが窓辺に飾ってあって、なんだか綺麗だったんですよ」
「…ああ、…それでサン・キャッチャーか」
日照時間の少ない北部でそれが生まれた理由は推測できる。少しでも太陽をとどめておきたいというのは、人間にとってというより生き物にとって切実な願いだろう。
だが今、太陽といってロイの胸に思い浮かんだのは、太陽そのものではなくあるひとりの人物だった。
サン・キャッチャー。
ロイにとっての太陽なら――、
「…フュリー」
「はい?」
「その店を教えてくれ」
「は…? ええ、もちろん」
「その試作品はおまえにまかせる。使い道を何か考えておいてくれ」
「アイ・サー。じゃあ、地図を描きますね…」