Bijoux
わりとわかりやすいと思いますよ、と言いながらも、彼の描いた地図はかなり丁寧なものだった。
「ところで、フュリー。もうひとつ頼みがあるんだが…」
「はい?」
地図を確認しながら切り出した上司に、フュリー曹長は不思議そうに首を傾げた。きっとそんなに大したことではないだろう、そう思いながら。
――彼の想像が正しかったかどうかがわかるのは、もう少し先のことだった。
年末を直前に、ロイは精力的にあちこちに顔を出していた。これが仕事そっちのけだったなら恐らく中尉の愛銃が火を吹いたに違いないのだが、不気味なことに、彼は仕事をきちんと終わらせていた。無言で銃を磨く中尉が怖い、とはハボックでなくとも思う所だろう。しかし、やはりそれを聞くことはできないのだった。
「大佐、一体最近どこ行ってんです?」
大荷物を抱えてどこかから戻ってきた上司に、ハボックは報告書を提出しがてら尋ねてみた。中尉よりも大佐の方がある意味聞きやすい。
「なんだ。私の休憩時間に興味があるのか、おまえは」
連れて行ってはやらんぞ、と答える上司の性格の良さに毎度のことながら脱力感を覚えつつ、しかし、ハボックは図太かった。
「んなわけないでしょーが。でも、随分あっちこっち行かれてるようじゃありませんか」
「そうかな? そうだな」
とりあえず荷物を置きながら、ロイは適当に答えた。
「まあ、そんなことはどうでもいいだろう」
「…その大荷物は一体?」
「教えてもいいが、金を取るぞ」
「げっ! なんすかそりゃあ! ああ、聞きません、俺は全然気になりません!」
「そうか。…すごい秘密なんだがな。おまえはみすみす、一番にこれを知るチャンスを見逃すんだな。やはりハボックはここ一番でチャンスを物にできないタイプだ…だから看護師にも振られるんだ」
「んなっ…! なんでそれを!」
「なんだ、図星か」
「〜〜〜っ!」
部下をおちょくるのはもはやロイの趣味に近い。もっとも、これは相手を選んでやっているので、同じことを中尉に言うかといったら絶対にそんなことはしない。…そういう対象として見られていると知っても、ハボックは嬉しくないだろうけれど。
「まあ、いずれわかる」
この辺にしておくか、とロイはおちょくるのをやめた。一応は大事な部下だ。それなりには労わってやらなくては…それなりには。
「それに気を落とすな。おまえの周りにも華がないわけじゃないだろう」
ぞんざいではあったが一応は慰めらしいものに、ハボックは目を眇める。
「…なんすか、そりゃあ」
「ハボック。おまえのデスクの近くの銃を磨いているご婦人は、おまえ好みの体型だと思うんだがな」
「………………………………体型の問題じゃないです」
「ほう。じゃあ何の問題だ?」
「………………………………体型の、問題です」
色々と考えあぐねての部下の返答に、ロイはにっこり笑って鬼上司の一言を投げつける。
「おまえは本当に、愛すべき馬鹿だなあ」
「〜〜〜〜〜〜〜っ、た、い、さっ…!」
しみじみとした一言に、今日も部下は憤死寸前。
そこへ、場を救うようにノックの音がした。
「入りたまえ」
入室の許可に、失礼します、と入ってきたのはつい今しがた話題になっていた「銃を磨いているご婦人」だった。彼女は何とも言えない雰囲気の男二人に微かに眉を寄せたものの、あえて深く何を問うこともなかった。
「大佐、招待状です」
「ありがとう」
ロイは受け取った招待状を丁寧に開く。差出はスターリーホテルとなっている。
「…ちょうどいいか」
読み終えた彼は、顔を上げ、そこに立っていた中尉と少尉を交互に見やり、何度か頷く。
「…? 大佐?」
怪訝そうな顔になって問いかける中尉に、ロイは笑いながら招待状を差し出す。
「…拝見します」
断って読み進めた中尉の顔が、途中ですこし驚いたものにかわった。そのまま顔を上げた彼女に、ロイは頷いてみせる。
「ニューイヤーイヴのカウントダウンパーティにぜひご出席を、と書いてある。部下の方も誘ってどうぞ、だそうだからな、君たちを連れて行こうかと思うが?」
ふたりとも出番だろう? と聞く大佐はこのイベントにどれくらい関わっているのだろう、と副官は思った。少なくとも無関係ということはあるまい。
対して、彼女の隣に立つ少尉は、野性の勘…というわけでもなく、どちらかというと上司に対する特殊な思いこみによって、これは絶対大佐が何か企んでいる、と考えた。全く正解だが、悲しいかな、数式というのは答えがあっていても途中の式があっていなければ正解とはならないのである。
「…何、たくらんでんすか」
警戒した様子で聞いてくる部下に、ロイは全く罪のない顔で笑い、肩をすくめた。
「たくらむ? 人聞きの悪い。部下への慰労を兼ねての申し出だろうに」
「………。わかりました。いずれにせよ、大佐がご出席されるなら、護衛は必要です」
中尉はしばしロイとハボックの様子を見ていたが、軽く溜息をついてその案件をまとめてしまった。
「しかし、ご出席された後また司令部に戻って頂かなければなりませんが」
「…それはまあ、…善処するよ」
「……」
中尉は即答せず、じっとロイを見つめた。その顔は明らかに信じていない。普通の神経の持ち主ならそんな顔を向けられたら少し傷つくだろうが、ロイの神経は鉄索のように図太かった。柔和な顔を作り続けることができるくらいには。
「なんだね?」
「…。状況如何では、そのまま残って頂いてもかまいません。私は司令部へ戻りますし、将軍もおられますから」
諦めたような溜息にロイは幾度か瞬きをして、…それから、満足そうに笑った。
「ありがとう、中尉」
「いえ。特に御礼を頂くようなことは、何も?」
見えない火花が散ったように見えたが、ハボックにはどうしようもなく、…ただまあ、どうやら息抜きの場を上司が与えてくれたらしいことは理解した。自分の息抜きのだしかもしれないが、それは置いておいて。
エドワードに使われた薬が切れたのは、まさにニューイヤーイヴを前日に控えた、つまり年末最終日前々日、だった。
その前夜から投薬を控えていた(薬剤は栄養液の点滴に含まれていた)看護師は、朝から少年の傍らで彼が目覚めるのを待った。しかし、薬が切れてそろそろ目覚めるはずの時刻になっても彼は目を覚まさず、看護師は静かに動揺していた。詰られることは覚悟していたが、目を覚まさない事態は想定になかった。想像したくなかった、という部分もあったかもしれない。
どうしようか、と動揺しながらも、彼女は落ち着こうとまずは部屋のカーテンをあける。射しこんできた朝日に、ほんの少しほっとする。太陽の光には不安や動揺を抑える働きがあるものだ。