Bijoux
何となくすまなそうな、納得の言っていないような顔でぼそぼそと告げた少年に、看護師も執事も額を床にこすりつけんばかりの勢いで否定する。
「そんなことはありません、当方こそご無理を言って足止めを…」
「いや、でもさ…」
しばらくそのやりとりを見ていたブランシュは、そのあたりで控えめに咳払いを一つ。
「よろしければ、明日そのお詫びと、快気祝いをかねて。…フレデリック、おまえたちもだ」
「…え?」
「仕度は総てホテルのスタッフに任せてある。たまには、おまえたちにも慰労の場を設けなければな」
「そ、そんな、旦那様…!」
滅相もない、と手を振る執事に、ブランシュは首を振った。
「いや。明日は全員、スターリーホテルへ。皆で祝おうじゃないか」
「…旦那様…?」
「私が長いことふさいでいたから…おまえたちにも心配をかけた。すまなかったと思う」
「そんな…!」
慌てる執事に、老人は小首を傾げるようにして笑いかけた。
「きてくれるだろう?」
「…はい、…ですがお屋敷の留守番は…」
「そんなもの、鍵をかけておけばいいだろう。何も好き好んでこんな山奥の一軒家を荒らしに来る泥棒はいないと思わないかね?」
そうだろう、と念を押されてしまえば、執事にもそれ以上抗えない。きっと彼は人形師のこと、製作中のオートマタのことを悩んで留守居役について言及したのだろうけれど、とうとうそれを言いだすことができなかった時点で(動揺していてそこまで思いつかなかったのかもしれないが)負けである。
アルフォンスは事の趨勢を見守りながら、老人が何をたくらんでいるのかと考える。
あの日少年が聞かされたのは、カウントダウンパーティへの招待とオートマタ、アルモニカのお披露目をしようということだった。しかし、この流れでは主人はオートマタについて知らないままであることになってしまっている。ということは、何かたくらみがあるのだろう。オートマタについて明かす気がないらしいことを覚ったアルフォンスが、執事を妨げ、あえて嘘をついたのはそれが理由だった。老人に何かたくらみがあるのなら、それに乗ってみようと思ったわけである。…ブランシュと同じで、騙してくれた執事達へのちょっとした意趣返しをしてやろう、というのもある。
どうする気なんだろう、おじいさん、と思ってブランシュを見つめたアルフォンスに、当人が気付いた。彼は周りにわからないように素早くウィンクを投げ、それから何事もなかったかのように執事にこれから出発の仕度をするように、と告げる。
大した役者だな、と老人に感心しながらも、なぜかアルフォンスは腹は立たなかった。エドワードが目覚めて安心しているせいもあっただろうが、本当にブランシュというのが憎めない老人なのだ。
明日が楽しみだな、とのんきに思いながら、さて、執事さん達はどうするのかな、と少年は考えた。
エドワードが目覚めた頃、ロイはとにかく忙しかった。
事件が発生したわけでも、勿論突然勤勉になったわけでもなく、カウントダウンパーティの後仕事に戻ることを極力回避するための前倒しである。隙あらば仕事を積み上げてやろうとする副官との静かな攻防は、関係なければそこそこ楽しい見ものであったかもしれない。
「…申請書には必ず上官の承認が必要なんて決まりを作ったやつは誰だ…燃やしてやりたい」
物騒なことを言いながらも、彼は熱心にサインをし、印章を押し、書類で紙飛行機作成なんてことはもってのほかという真剣な態度で仕事をさばき続けた。
「中央司令部のどなたかでしょうね。燃やしにいかれますか」
どさっ、ともはやファイルごと執務机に並べた副官に、さすがにロイの視線も恨めしげなものになる。
「…なんで、途切れず増えるんだね」
唸るように問いかけたら、中尉は動じることなく答えた。
「年末だからではないでしょうか」
「…関係あるのかね?」
「今年中のサインがほしいという飛び込みの案件が多いのでしょうね。普段からため込まずにやっておくという当たり前のことができない方が世の中には多いようですから」
しれっと言い放たれて、さすがにロイも返す言葉がない。そこをつつかれると痛い。自分も同じだからだ。
しかし、そこで黙り込んだら中尉は微笑んだ。
「…でも、それでもやらないよりはましです。私はそう思います。それに、やって終わらない仕事はありません。やれば必ず終わります」
「……もしかして、励ましてくれてるのかね?」
わかりにくいがまさか、と尋ねたら、さあ、どうでしょうか、と返ってきた。なかなか、一筋縄ではいかない。ロイは肩で息を吐いた。
「…祈り、働け、かな」
「…? なんですか?」
「昔の言葉だよ。そう…Ora et Labora…、厳しい戒律の元で過ごす修道士のモットー。だったと思ったよ」
ロイは思案するように続ける。
「…平和を祈り、…護国に従事せよ。…軍人(われわれ)風に言うのなら、そうなるのか。そんなことを言ったら、昔の人には怒られそうだがね」
リザはしばしまじまじとロイを見ていたが、ややして、そっと口元を押さえた。笑いたいらしい。
「笑うことはないじゃないか」
「いえ。…すいません。…でも、そうですね。シンプルでいいと思います」
「そうかい?」
「ええ。昔の人が怒っても…私は、怒りません」
中尉は外を見た。寒いが、天気自体は悪くない。穏やかな冬の陽射しに、彼女は知らず微笑む。
「大佐」
「うん?」
「何か、楽しいことをお考えでしょう。明日」
「…何のことかな?」
とぼける上司に、中尉は自然な笑みを向ける。
「私は、楽しみにしております」
「え?」
「新しい年を迎える時くらい、…少しくらい羽目を外したっていいでしょう」
ロイは瞬きした後肩をすくめた。
「…かなわないな」
「いえ、それほどでもありますが」
冗談のような口調は気やすく砕けたもので、ロイの気持ちも軽くなる。
「…まあ、楽しみにしていてくれたまえ。そうだ、ドレスアップの準備も忘れないでくれ」
「本格的ですね。ドレスコードは?」
「軍服以外」
人差し指をつけて言った上司に、中尉は瞬きした後肩を震わせ小さく笑った。
「それは…素敵なオーダーです」
「だろう?」
「大佐は何を?」
「私か? 私は、そうだな、礼服を借りておいた」
まあ、と中尉は目を瞠る。まさかそこまで気合を入れているとは思わなかった。
「ああ、でも、中尉、ひとつだけ頼みがある」
「なんですか?」
「もしかしたらちょっとした騒動が起きるかもしれないが、…銃は持たないでいてほしい。そんな危ないことにはならないはずだから」
「……? 余興ですか?」
「まあ、そんなところだ」
どうやら上司は本格的にこの年末のイベントに絡んでいるらしい。どれくらい噛んでいるのかと思っていたが、これは本格的に、企画の骨組みの段階から絡んでいると見て間違いないだろう。
だが、様子を見るに物騒なこともいかがわしいこともなさそうだ。それに市民の間でもスターリーホテルのイベントは話題になっていると聞く。…市民に娯楽を提供するなんて、普段の軍では考えられないことだ。それだけに価値がある。