Bijoux
多分そういう、ライクの好きだ、と思いながら、それでも目をそらしてエドワードは小さく頷いた。この年頃の少年が素直になれないのはごく当たり前のことなので、主人は別に、そこに特別な意味があるとは思わない。
「俺も好きだなあ、ああいう人に偉くなってほしいと思うよ」
「…偉く?」
いやに感服しているらしい主人を振り仰いで首を傾げれば、そうさ、と彼は頷いた。
「ああいう人が上だったら、俺たちみたいな職人もがんばろうって思えるし…、世の中が明るくなるような気がするよ」
おっと、あんまり言っちゃまずいかな、とそこで彼は苦笑した。無礼講が許されるニューイヤーイヴだとしても、あまり政治に踏み込んだ話題はタブーだろう。
「さて、俺は仕込みに行かなくちゃ」
「え?」
そこで初めて、エドワードは彼が大きな荷物を傍らに置いていたことに気付いた。台車に載せている所をみるとそれなりに重いのだろう。
「それ、なに?」
「秘密」
「ええ?」
主人は楽しげに人差し指を口の前に立てた。
「でも、きっと楽しいことだよ。じゃあまたあとで。君もここのパーティにきてるんだろ?」
「うん…?」
首をひねる少年を残し、男はホテルの裏口の方へ台車を押していく。ということはここに納品だったのだろうか。
「…ん?」
ここのホテルのオーナーはブランシュで、工房の主人は彼から依頼を受けて楽器を作っていた。
まさか、それが完成したのだろうか?
「…でも別に、隠す必要ないか」
どうだろうか、と考えながらも、あの様子ならきっとこのパーティの中で明らかにされるのだろうと結論を出し、今度こそ暖を求めて室内へ入っていく。…問題はロイに捕まらないかということだが、こればかりはわからない。
ホテルの中に入ると、もうロビーラウンジは人でいっぱいだった。これではロイに捕まるも何もないな、と思いながら、そういえば弟の姿がないな、と視線を巡らせる。アルフォンスはホテルのスタッフを手伝うとブランシュに申し出ていて、それで別行動をしているのだが…あの巨体だから目立ってもよさそうなものなのに、なぜかずっと姿を見掛けない。裏方に徹しているのかもしれないけれど、だとしたら悲しいとエドワードは思った。弟にだって、こんな綺麗なものを見せてやりたい。本当は今手に持ったココアの甘さや温かさを伝えてやれたら一番いいのだけれど、それはまだ、難しいから。せめて見えるものだけでも一緒に味わわせてやりたかった。
何となくしんみりしていたエドワードだったが、不意にそれまで続いていたオルゴールの音色が、人が集まってもかき消されることのなかった音が、ふっと消えたことに気付いた。
「…?」
なんだろう、と思っていたら、違う曲が始まった。ああ、ディスクが変わったのか、と思い、何か食べ物をもらってこようか、とオルゴールから意識をそらした瞬間。
『――――――――!!』
「…っ?!」
甲高い、音というより音波のようなものが響いて、思わずエドワードは耳を押さえた。また、少年だけではなく、居合わせた全員が
同じような行動をとっていた。悲鳴もあがっていた。だが、パニックが起こる前に、落ち着いた声が場に響いた。
「お集まりの紳士淑女の皆さん!」
張りのある声はよく通った。拡声器などないだろうに、よくもと思うほどだ。全員が静まり返っていたというのも勿論あるだろうが。
…ということは、あの甲高い音波はつまり、意図的なものだったのだろう。偶発的なものや、テロのようなものではなく。
「…たいさ…?」
ゆっくりと顔の脇から手を離して、エドワードは呆然と呟いた。フロアより一段高くなったラウンジに、ロイは立っていた。その斜め後ろにはドレスアップした中尉とハボックが立っており、一般人には見えないと嘆いていた本人たちが聞いたら喜びそうだが、大層絵になっていた。平然とした表情もそこに一役買っている。…ちなみに、彼らとて実はこの計画を知っていたわけではないのだが、ただ、自分たちの上司が時折想像を超えた行動に出ることは知っていたので、そんなに驚かなかったのである。
あちこちから、あれ、マスタング大佐? という囁きが聞こえてくる。エドワードは呆然とロイを見ていた。何をする気か、さっぱりわからない。
「いよいよ、あと三時間と少しで新しい年になる」
わかりきったことを口にして、何をもったいつけているのだろう。そう思いつつも、雰囲気にのまれてエドワードはぼんやり聞いてしまった。
「今年はどんな年だっただろう。いい年だった人もいるだろうし、悪い年だった人もいるだろう。私? 私はあと数時間に望みをかけたくなってしまうくらいに、何とも言えない年だった」
ゆったりとした話し口調は、エドワードと同じように音波で度肝を抜かれた人たちを陶然とした気持ちにさせていく。意外な才能だ。いや、意外でもないのかもしれないが…。
「いずれにせよ、きたる年が良い年であるように。我々と、その隣人が明るく過ごせる年であるように、願いを込めて――」
パチンっ
その音に、エドワードは、あ、と小さく声を上げる。しかし、建物の中で焔は発生しなかった。まずその音を合図にして照明が一気に落とされ、外で大きな音がした。焔の練成だ。
しかし、誰もが目を奪われたのは、焔ではなかった。
「雪…?」
今夜は快晴だった。雪が降るわけがない。さっきまで外にいたのだから、わかる。
しかし、外から「痛い」「きれい」だのと歓声が聞こえてくるので、とにかく何かが降ってきているのは確からしい。外の照明をその雪のようなものは反射して、とても美しかった。指を弾いてこの光景を呼ぶなんて奇術師のようだ。もしくは、魔法使い。
――その時外にいた人間は、しっかりと見ていた。ホテルの屋上から何かがふりまかれ、その下を焔が舞った。そして焔をくぐりぬけてきたものは結晶化して、ぱらぱらと降ってくる。それはあたると痛かったが、しかし避ければ美しいと見ていられる。
幻想的な光景に、しばし誰もが目を奪われていて、ラウンジの上で何が起こっているかに意識を向けるものはいなかった。
だから、再び屋内に照明が戻ってきた時、人々は再びどよめくことになった。そこにもうロイの姿はなく、かわりに、大きな布をかぶせられた「何か」があった。ざわめく人々の前、布が引き落とされる。後ろに誰かいたようだ。
「アル…?」
素早い動きに、巨体の割にそこまで人の意識に止まらなかったけれど、エドワードにはわかる。実の弟なのだ。布を引き落としたのは、アルフォンスだった。そして現れたのは――
「…!」
あの老人は何も言っていなかったし、執事も人形を持ってきている風情ではなかった。現に、今、ブランシュの後ろで慌てて椅子を立ったのがあの執事である。彼も知らなかったということだ。あの、オートマタをこの場に持ってくるということを。
エドワードならまず着ることのないだろう白い長衣は、オートマタに繊細で優美な雰囲気を与えている。思えば、エドワードはオートマタの製作中や製作後を知らないのだ。何しろずっと寝ていたので。寝ている間に作ったのだろうか、と首をかしげつつも、なぜ弟が、と疑問が止まらない。