Bijoux
エドワードに似た、けれどやはりエドワードとは違う人形は、生き物のようにそこに佇んでいた。しかし、やはり人とは違うものだ。観衆は、ただ呆然とその美しい人形を見つめていた。
――その時。
グラス・ハープに似た、それともまた違う、触れたら壊れてしまいそうに美しい音が流れ始めた。聞いたことのない音だった。だけれども、うっとりしてしまいそうなほどに美しい。恐らく誰もがそう思ったのだろう。誰も一言も発しない。
それでも、エドワードの目は音源を探していた。やはりあの楽器が完成していたのでは、と思ったから。
「あ…」
目を閉じていた人形の目が、動いた。まさか、と思うエドワードの前で、人形はゆっくりと瞼を開いていく。美しい琥珀の瞳。命がないのなど嘘のような表情。
そして花のように微笑んで、人形は唇を開いた。声など出るわけがない。しかし、それに合わせてあの不思議な、美しい音がするものだから、まるで人形が謳っているかのような錯覚を受ける。
一曲が終わった所で、人形はちょうど唇を閉じた。楽器の姿は結局見えないが、人形が謳うように見えるよう、恐らくラウンジの影あたりに配置されているのではないだろうか。
「……」
エドワードが呆然と余韻に浸っている間に、ぽつりぽつりと拍手が沸き起こり、それはあっという間に万雷の拍手となった。歓声の波に飲み込まれ、エドワードはめまいを覚える。
「…大丈夫か?」
ふらり、とぐらついた所を、誰かに支えられた。礼を言おうとして、その声で覚る正体のために言葉が詰まった。
「外へ出ようか」
しかし、声の主――ロイは、エドワードの体調が悪くてそんな反応なのだとでも思ったらしく、労わるような声を出し、その割には有無を言わさぬ調子で抱き込んで、屋外、エントランス近くまで少年を引っ張っていく。
「大丈夫か?」
再びそう聞いて。しかし今度は、人がひしめくロビーフロアではない。ロイは、しっかりとエドワードの顔を覗き込んでくる。もう逃げ場もなくて、エドワードは真っ赤になった顔をロイにさらすことになった。寒さのせいで鼻が赤いんだ、と言ったら果たして信じてくれるだろうか。
…無理な気がする。
「鋼の…?」
ロイは瞬きもせず、じっとエドワードを見つめている。こんなに彼の瞳は黒かっただろうか、と少年は思う。何か違うことを考えていないと、頭から湯気が出そうだった。
「…見んな」
とうとう顔をそらし、口をとがらせてエドワードは言った。もうあの、美しい破片は降っていなかった。あれは、人形を人目につかずにあそこに配置するための、時間稼ぎだったのだろう。
「どうして」
ロイの声が普段より穏やかに聞こえる。それなのに、自分の胸はいつもよりずっと焦っていて、もう窒息してしまいそうだ。酸素が足りなくて。
「…どうしてでも。だめなもんは、駄目なんだ…」
「それは悲しい」
本当に悲しそうな声でいうので、思わずエドワードは顔を上げてしまった。しかし、そこには、悲しそうどころか楽しそうな顔があるだけで。
…要するに、騙されてしまったらしい。
「…っ、だ、だましたな!」
ロイは喉を震わせて、エドワードの手首を捕まえる。
「どうして。悲しいと言ったのは本当だぞ。だって、見てはだめなんてひどいことを言うから」
「…だ、…だって、…あ、あんたに見られるの、なんか恥ずかしい」
消え入りそうな声でそんなことを言われても、調子にのってしまいそうだ。これが天然なのだから、とロイは溜息をつきたくなってしまう。
もっとも、それはとても幸福な溜息だ。
「じゃあ、慣れてもらわないと」
「…なんで! そうなる…!」
うろたえたように視線をさまよわせる顔が本当に赤い。なんだってこんなにも照れているのか、とロイは首を傾げたが、…自分の服装がいつもと違うことに思い至り、まさか、と呟く。
「…ひとつ聞くが、鋼の」
「なんだよ…」
「もしかして、この格好に緊張してる?」
思い切り図星だったので、エドワードは黙り込むしかなかった。こんなこと、認めたくない。
「見とれたか」
「…! ばか、もう、離せっ」
つかまれた手首を振り解こうと暴れるものだから、ロイはもう一度強引に小柄を胸に抱きこんだ。あたりには似たような雰囲気の恋人たちも多くいて、目立ちはしない。
「いやだ」
ぎゅうっと抱き寄せ、耳元に囁く。視線の先で少年の耳がゆだったように真っ赤になっていく。
「――私は、人形より生身の君がいい」
とっておきの秘密を打ち明けて、耳の先に唇をつける。震える手が胸元をぎゅっと掴んだ。小さな手だと思う。
「…まだ早い」
「え?」
小さな小さな、音のない声が胸元からしたので、ロイは驚いて自分の胸元を覗き込む。
「…きっ…き、…す…は、ニューイヤーになった、瞬間に、となりのひとに…す、するんだぞ」
ぼそぼそと口ごもるように言うから聞き取りにくかったが、しっかりと音を拾って、ロイは笑った。笑って、子供が気に入りのぬいぐるみを抱きしめるようにエドワードを抱きしめる。
「いっ…た、ちょ、いたい…!」
力いっぱいに抱きしめられたらたまらない。けれどロイは笑って力を緩めない。
「なるほどね、理解した。じゃあ、なおさら離せない」
「な…なんでだよ!」
それはね、とロイは楽しげに教える。
「カウントダウンの瞬間は、私には仕事があるから。つかまえておかないと、その瞬間に君にキスできない。他の誰かには渡したくないんだ。ほら、離せないだろう?」
「ばっ…、そ、それは、ふ、風習であって、だな…!」
「伝統は大事にすべきだろうな」
もはや何を言ってもロイのペースだということを覚り、エドワードは押し黙るしかない。それを言い訳にして、全身の力を抜く。そしてそっと、抱きしめてくる男の胸に身を預け、深呼吸した。
「…鋼の?」
大人しくなった少年に、もしや限界を超えて具合が悪くなったのか、と明後日の心配をし、ロイは眉をひそめる。だが、きゅっと胸元を握られたら、そうでないことがわかる。これがこの子の精一杯なのだ。そう思うと、もう可愛くて仕方がない。このままさらってしまいたいくらいだ。
「…。あ、…オレもすること、あったんだ」
「なに?」
しばらくそうしてくっついていたものの、不意に、思い出した調子でエドワードが言い出した。
「…オートマタに。…オレ、仕上げを頼まれたんだ」
「え? 人形師か誰かにか」
エドワードは顔を上げ、ぶんぶんと首を振った。怪訝そうなロイに、少年は赤い顔のまま笑いかける。
「ないしょ」
子供っぽい言い方で笑う顔は可愛かったが、さらってしまうのには確かにまだ早いかな、と少し冷静にもなった。今はまだもう少し、こういう顔をさせていたいとも思う。
…いつまで続くかは、ともかくとして。
人形のところにいかなくちゃ、というエドワードについていく格好で、ロイもまた屋内に戻った。大人しく聞き入っている人々の中を、静かにエドワードは抜けていく。少年はまず、ブランシュの前に進んだ。ロイはといえば、少し距離を開けて後ろにいた。
「じーさん。オレ、大事なものを預かってきたんだ」
「…? 鋼殿?」
「執事のおっさん。あんたにもだよ」
「え…」