Bijoux
「でも、色々他にも作ってはいるんだよ。グラスだけじゃなくて日常品とか、香水瓶とか」
「日常品でガラスって、どんなの?」
「置物かな。時計を嵌めこんだり…あとは花瓶とか」
確かにガラスの花瓶は目にすることがある。エドワードやアルフォンスはあまり生活の中でそうしたものを目に留める機会が少ないが、それでも、大きな施設のエントランスとか、そういった場所にはよく置かれている。
「…でも、今回みたいな注文は初めてで」
「ああ…」
少し困ったように苦笑した工房の主人に、エドワードもまた微妙な表情で相槌を打った。
――アルモニカ、という幻の楽器がある。
これを説明するにはまずグラス・ハープについて説明しなければならないが、いずれの楽器もガラスとなじみの深いものだ。楽器本体にガラスを使用するので。
グラス・ハープは水を張ったゴブレットを音階順に配置し、水にぬらした手で縁をこすり、そして摩擦によって発生する音、その共鳴をもって音楽を奏でる楽器だ。アルモニカはそれと近似の楽器であるが、百年近く前に消えてしまったのだというが、こちらはゴブレットではなく、円盤状のガラスを筐体に納めた形式らしい。ただ、見たことがないエドワードにはいまひとつ想像がしにくかったが。
「ゴブレットってクリスタルガラスじゃないといけないのか?」
街中でグラス・ハープの演奏を見たことがあるけれど、そんなに高価なグラスを使っていたのだろうか、と疑問に思いながら首を傾げれば、うちでも依頼を受けたのは初めてだな、と苦笑が返ってきた。
「でも、ガラスのことはやっぱりガラス屋にしかわからないと思うよ」
「…学者とか、音楽家じゃだめなんだ? 楽器のことでも?」
「演奏方法とかそういったものなら音楽家の専門だろうし、成分や何かなら学者でもわかると思うよ。分析するにはね。でも、どういった加減で吹くか、火の色、温度をどうやって見るか、それはやっぱり経験とか、勘が必要なものだからね」
「職人魂」
人差し指を上げてそう口にしたら、そんなものかな、と主人は頷いた。
「でも、単純にいいなとも思ったんだ。理屈や金の話を置いておいても」
「なにが? 楽器を作るのが?」
「グラス・ハープを何と呼ぶか知っている?」
「…? グラス・ハープ以外で?」
そう、と頷いた、まだ若い男は答えた。
「天使のオルガン」
「…天使ぃ?」
うさんくさそうに言う少年に、男は笑った。
「まるで天上の音楽のようだ、と昔の人は考えたんだそうだ。確かに、繊細で華奢な音だ。そのゴブレットを作るのは、なんだかちょっと、楽しいじゃないか」
そういうものかな、と心底からそう思っているらしい工房の主人を見てエドワードは思う。ほんの少し、でもわかるなあ、と思ってしまうのは、昔まだほんの子供だった頃、とにかく錬金術の知識を得ることが嬉しかったことを覚えているからだろう。
「そして、アルモニカは何と呼ぶかというと、天使の声、というそうだ」
「…天使の、声…」
エドワードは天使という言葉にさほどの夢は見ていない。しかし、人がその言葉を用いる時、対象となるものにどれだけの想いを懸けるか、ということは理解している。赤ん坊が眠っているのをして天使の寝顔などと称することくらいは、知識として知っているのだ。
ということはつまり、それだけ美しい音色だ、ということだろう。それが絶えてしまって幻の楽器となった理由はよくわからないが。
「ブランシュ氏は、天使の声を出す楽器と天使の人形を組み合わせた音楽装置を作りたいんだそうだよ」
「……、…?」
ふうん、と頷こうとして、エドワードは眉間にしわを寄せた。人形?
「えっ、まさかそれが兄さんをモデルにしたいっていう人形?!」
聞いていないかと思ったアルフォンスから鋭い指摘が飛んだ。エドワードは咄嗟に何と言ったらいいかわからず、ただあんぐりと口をあけてしまっている。
しかし、工房の主人は不思議そうに首を傾げてこんなことを言った。
「あれ? 聞いてなかったのかい?」
これを理由に断るとロイにもやっぱりモデルは断ったと話さざるをえず、それはつまり天使云々の話もしなければならないことになるわけで、今恥ずかしいのとあとあと恥ずかしいのとではどっちがましなのか、とエドワードは個人的に大変な問題についてぐるぐると悩んだ。さらに、依頼を受けると答えた時の職人の返事は嬉しそうだった。それになにより、
“行くに決まっているさ”
そんなものがあったら見に行くか、というエドワードの必死な質問に、ロイはそう答えてくれた。そうなることを、喜んでいるようだった。あの顔ががっかりするのは見たくない。怒られるよりきっと堪えるだろう。
――そんなわけで、エドワードはこの件を結局断りそびれてしまったのだった。
しばらくは「天使!」と大笑いしていたアルフォンスだが、少年らしく機械細工には純粋に興味があるようで、ガラス工房で落ち合った人形師の話を聞きだすと、そんなことは忘れてしまったようだった。
「すごいですねえ、オートマタって…こんなに色々あるんだ」
「まあ、全盛期からしたら少ないがね」
修理品や注文品が所狭しと置かれた中でお茶を出されるのは、少なくともエドワードはちょっと落ち着かなかったのだが、アルフォンスはそんなこともないようで、人形師にあれこれと質問している。人形師の方も意外と気さくな性格のようで、アルフォンスからの問いに親切に答えてくれていた。
「人をモデルに作るのって、結構あることなのか?」
そんな様子を横目に見ながら、エドワードは尋ねた。どうにも落ち着かない。
「それは、元々人形自体が人の写しだから。でも、それだけに全く同じに作るのを嫌う風習はあるかな。逆に、身代わりに作るということもあるけど…どうだろうね。ただ、何か原形がないと作りにくいってことは、当然あると思う」
「ここでもそういう依頼は多い?」
「うちは…最近は新規の注文もぼちぼちあるけどね。大体修理が多いから…だから、今度の依頼はすごく張り切ってるんだよ」
人形師はそんなに年のいった人ではなかった。せいぜい四十手前といった所だろう。すごく若いということはなかったが、やはり職人としては若いのかもしれない。それだけに張り切っているのだろうということも何となくわかる。
「君は、モデルとか嫌かもしれないが…引き受けてくれて感謝している」
頭を下げられては嫌だと言いづらい。エドワードにもそれくらいのまっとうな神経はある。う、とつまりながら、いや、別にそれは…ともごもご答えるくらいしかできない。
「一応、先方からの依頼でね。製作はあちらのお屋敷で、ということらしいんだが、大丈夫かね? 誰かに連絡したり…」
普通であれば、エドワードくらいの年齢の少年だ。旅をしているというからそれなりの自由は保障されているのだろうけれど、所在くらいは誰か親元なりなんなりに知らせているだろう。人形師はそう思ったし、それはそんなに奇異な発想でもなかっただろう。
「誰かに、…」
しかしエルリック兄弟にはそんな思考はない。瞬きしてしまったのは、それが理由だ。けれど、それなら、と思い浮かんだ相手はいた。
「じゃあ…大佐に連絡しとく」