Bijoux
「大佐?!」
人形師はエドワードの素性をあまりよく知らなかった。工房の主も、錬金術師である、ということしか知らなかった。依頼を出した、少年を一目見てモデルにと言った資産家もまた知らなかっただろう。そんなわけで、大佐に知らせる、という少年の台詞に驚いたのは無理もないことだった。普通に生活をしていたら、大佐などという存在と知り合うことはそうそうない。所在を連絡するということはそれなり以上のつきあいがあるのだろうし、だとしたらこの少年は何者なのか、と思って当然だった。
エドワードは人形師の反応に驚いたが、自分が国家錬金術師である、ということを特に話してはいなかったな、と思い至り、笑ってごまかすことを選んだ。
「ほら。マスタング大佐って、錬金術師だろ? 東部の人なら知ってるかもしれないけど」
「あ、…ああ、ええと、君はマスタング大佐の…?」
「えーっと、…知り合いだよ。東部にきたら一応連絡することになってる」
「そうなのか…」
人形師は依然として驚いているようだったが、それ以上深く追求してくることはなかった。
そして、そのまま依頼人であるブランシュ宅へ、人形師、およびエルリック兄弟は移動することになった。既に依頼人宅では一室が解放され、製作のための準備が進められていた。それに合わせて職人は勿論エルリック兄弟のための部屋もきちんと用意され、何から何まで最上級のもてなしが約束されていた。
「……」
とりあえず製作は明日から、と早めに部屋に下がり、エドワードは高い天井に描かれた精巧な絵をぼんやりと見上げていた。耳に入るのは木々を揺らす風の音だけ。ブランシュの屋敷は、イーストシティ市街地から少し離れた森の中にあった。ここまでの移動手段も馬車だけだ。前日まではイーストシティの中心地、夜でも人の声がするような場所に泊まっていたから、静かすぎて落ち着かない。もっとも、生まれ育った場所は静かな田舎だったから、嫌だというのでもないけれど。
「ここ、ほんとに森の中の一軒家なんだね」
寝転んだエドワードとは違い、部屋の中をあちこち検分していたアルフォンスが窓の外を見ながら言った。部屋は二階にあり、窓は嵌め殺しでさらに外側に格子がついている。瀟洒なものだが、一見して鉄製であり、この窓から侵入することも逆に逃げることもできなさそうだということはおぼろげにわかった。
「…そうだな…」
深く考えずに相槌を打って、エドワードは目を閉じた。さきほど出されたお茶を飲んでから、妙に眠い。疲れが出たのかもしれない。そう思いながら、深い眠りに沈みこんでいった。
エドワードが連絡をした時ちょうどロイは不在で、そんなわけで、司令部外であった会議から戻った彼にその連絡を伝えたのは彼の部下だった。
「ってわけで、大将からブランシュ氏の屋敷に滞在するからって連絡がありましたぜ」
「……滞在か。それはまた気の長いことだ」
「はあ…」
何となく機嫌が悪いな、とハボックは思ったが、あまり追求することなく話題を切り替える。
「そういや、ブランシュさんの屋敷って、森っていうか山ン中の一軒家なんすよね」
「…金持ちというのは大体年をとると郊外に大きな屋敷を持つと相場が決まっているからな」
ロイはつまらなそうに言ってコートを脱ぐ。足はもう、執務室に向かっている。同行した中尉は既に自分の持ち場へ戻ってしまった。
「そんなもんですかねえ。あ、でも、確か…」
「なんだ」
「いえ、ブランシュさんて、何年か前に大きな事故で自分以外の家族を皆なくしちまったんですよね。それからですよ、そんな山ン中引っ込んだのって。だからちょっと話題になったというか」
「傷心につき、郊外へ隠居します、と?」
「まあそんなところなんでしょうけどね。要塞みたいだっていって」
そこで初めてロイの表情が微妙なものに変わった。ハボックはそれに気づいて「大佐?」と首を傾げる。
「要塞とはまた…どういう屋敷なんだ」
ハボックの疑問には答えず、ロイはそこを尋ねる。ああ、と部下は説明を始めた。
「まず、屋敷のまわりに堀があって、跳ね橋をおろさないことには屋敷に入れません。で、入れても、今度は窓という窓に格子がはまってて、窓も嵌め殺しって話ですよ。さらに、働く人間も厳選してて、身元のあやしいのは入れないって話です。まあそれは別におかしなことじゃないでしょうが…。ただ、それまでは結構気さくな人で通ってたもんで、すっかり変わっちまったって話題になったんですよね。いっときのことっすけど」
「家族を亡くしてから?」
「ええ。すっかり人嫌いになったらしくて」
「……。その偏屈な金持ち、鋼のをモデルにオートマタを作るそうだぞ」
「は?」
ハボックは目を丸くした。無理もない。
「しかし、人嫌いの金持ちが人形を作って…、どこぞの建物に置いたりするんだろうか」
ロイは顎を押さえながら呟いた。ブランシュが家族を失った話は聞いていたが、性格が変わったとかそういったことは知らなかった。だから、エドワードから聞かされたときは不思議に思わなかったのだけれど、今は変だなと思う。
すっかり人嫌いになった人間がエドワードを見てモデルになってくれと頼むというのが、何となく解せないのだ。
「…ブランシュ氏がなくした家族というのは?」
「え? あ、ああ、確か事故で奥さんと娘さんを…。ブランシュさん自身も足をやられたとかで、確か車いすだったと思いますよ」
「…おまえ、色々知ってるな」
何となく感心して珍しくほめるつもりで言ったら、ハボックは真面目な顔になった。そして、なんだ、と思う上司にこう告げる。
「俺は今、白衣の天使とつきあえるかどうかのギリギリんとこなんす、大佐」
「……………………………………………………………」
「大佐、怪我したり倒れたりして運ばれないでくださいね! 俺、今度はうまくいきそうなんスから!」
ふん、と決意をみなぎらせる部下に、ロイは呆れたように溜息をついた。
つまりは、その白衣の天使とやらからの情報だったわけだ。してみると、ブランシュ氏は定期的に病院に通っているということだろうか。そして看護師からハボックはそれらの話を聞いた、と。そんな所か。守秘義務はどうなっているんだろうかとちらりと思ったが、そんなことを頭ごなしに言うほどロイは固くない。それに、ほしいと思っていた情報が手に入ったのだ。ほめられたことではないのだろうが、個人的には感謝したいくらいである。
「ハボック。それはなんという病院だ?」
「ちょ…、ひどいっすよ、大佐、部下の恋路を邪魔せんでください!」
「…馬鹿か。そうじゃない。ブランシュ氏がその病院に通っているんだろう? それを確かめたいだけだ」
呆れながら教えてやれば、そういうことなら、と素直に部下もつげる。初めからそうしていればよかったのに。…邪魔してやろうかな、などと上司に興味をもたれることもなかっただろうに。ハボックの恋は年末休みを前に既に風前の灯。
何となく気になったので、ロイは個人的にブランシュなる人物を調べてみることにした。だが、やはり別段おかしなところはない。