GO! GO! YOUNGSTER
「いや、字は読めるんだ。でも書いてある文章は理解できない。算数もできねェしな。あいつに書いてある文章を読ませようと思ったら、ゆっくり音読させてやんなきゃ駄目だ。でも誰もそれを分かってくれなかった」
「なんだそりゃ」
ゾロは怪訝な顔をした。そりゃそうだとエースは思った。
これはルフィの物語だ。
ルフィと、その周りにいた役立たずの大人たちと、それ以上に役に立たない、不甲斐ない兄の物語だ。
「───難読症っていうんだ。症状は色々あるらしいけどよくは知らねェ。ルフィはおれと同じで昔っから問題児だったから、学校に上がって成績がぐだぐだでも大人は誰も気にしなかった。おれもだ。あいつが宿題開いてうんうん唸ってるの見てなんでこいつはこんなにバカなんだって思ってた。書き取りも苦手だし作文なんか論外だった」
ゾロは何も言わずに眉間に皺を寄せていた。
「そのうちおれはなんか変だと気付いた。文字は読めるんだ。でも文章になると読めねえ。だけど何書いてあるか分かんねえって言うから音読してやったら一発で理解できた。それでよくよく話を聞いたら言葉ひとつひとつは読めても繋がると訳が分からなくなるんだって言った。なんで皆あんなのすらすら読めるんだって首傾げてたよ。おれはようやくルフィの問題に気付いた。あいつが六年のときだ」
エースはその頃のルフィを思いだす。教科書が読めないルフィは教師たちに煙たがられていた。理科も社会も教科書になるとルフィにはもう理解できない。国語は論外で点がつくのは詩の単元だけだった。
エースは何かがおかしいと気付いてから必死にルフィの話を聞きその問題を洗い出した。十五歳のエースは中学に入ると急に勉強が難しくなるのを知っていた。今だってろくすっぽ授業を理解できていないルフィは確実に落ちこぼれる。落ちこぼれへの風当たりが急に厳しくなることも、エースはよく知っていた。
ルフィの問題はとにかく文章が読めないことにあることを突き止めたエースは手当り次第に本を漁り人に聞いて難読症という言葉にたどり着いた。ルフィの症状に名前がついた時、エースは安堵のあまり図書室の床にへたり込んだ。弟の「問題」は弟だけのものではなかった。克服している人が世の中には沢山いた。それが分かっただけで腰が抜けるほどほっとした。
エースはこの発見をガープに伝えた。だがガープは理解しなかった。ガープはルフィの成績の悪さはなまけと生来の馬鹿さ加減によるものだと信じ込んでいた。文章が読めないなんてそんなことがあるか、あいつは自分の名前も道の標識も読めるだろうとエースのかけた電話は海の向こうであっさり切られた。何度かけ直してもガープは頑なだった。しまいには下らないことで仕事の邪魔をするなと怒鳴られた。
エースは受話器を握りしめたまま泣いた。
後に聞いたことだがガープ自身も自覚のない難読症児だった。彼が海軍に入った頃は学歴もペーパーテストもさほど問題でなく、仕事はひたすら現場で叩き込まれるものだったので大した問題にならなかったようだった。そこそこ偉くなってから増えた書類仕事は部下に押し付けていたらしい。また難読症のある程度の部分は忍耐強い訓練で克服できるらしく、同期と馬鹿みたいに競った昇進試験の際にガープは無意識にその訓練をしていたようで、今ではさほど問題なく書類も読み書きできている。集中力はないようだが。
次にエースは教師に相談した。エースの中学の教師にも、ルフィの担任にもだ。だがどちらも理解しなかった。「ハッピーかい?」が口癖の、中学の保健室のクソババアだけが唯一ルフィの症状を聞いて「難読症だね」と即座に答えたが、彼女の越権行為もいいところの説得でもルフィの担任の認識は変えられなかった。
ダダンは学校の勉強ができないのはクソガキなら当たり前という考えだったし、マキノはエースの話を信じてくれたが対処の仕方までは分からなかった。
そしてルフィは中学に上がった。
八方ふさがりだった。
高校に入ったばかりのエースは保健のクソババア、つまりくれはに言われたように、できるだけルフィに音読をさせた。音読すれば理解できるというのが唯一の手がかりだったからだ。それでもやはりルフィは落ちこぼれた。授業は理解できないから上の空だし陽気な質だから騒ぎもよく起こす。目を付けられないはずがなかった。上級生に喧嘩を売られることもしょっちゅうで、エース自身が散々喧嘩で名を売ったせいもあり、超がつく問題児として「D兄弟の弟の方」の名は知れ渡った。
教師たちはルフィを目の敵にしてほとんど苛めるように扱い始めた。ルフィの友人たちは力一杯抗議したし、一部の教師、例えばケムリンとルフィにあだ名されたチェーンスモーカーの男だとか、その仲の良い辺りもかばってくれたが、とうとうある日ルフィは教師を殴った。それはもう派手に。
呼び出されてもガープは遥か海の向こうだ。呼び出しそのものだって時差を含めて伝わるまでに丸一日近くかかる。結局自分が行くと無茶を言うダダンを押しのけ町内会長を連れてエースが出向いた。ルフィは応接室で不貞腐れた顔をしていた。機嫌が悪いだけでない棘がルフィからこぼれていてエースは目を見張った。そんなルフィを見るのは初めてだった。
校長だと言う初老の男の話を聞いて呆れと悔恨と愛しさがエースの胸を焼いた。
ルフィはエースを馬鹿にされて教師を殴ったのだ。
おれは悪くないとルフィは嘯いた。あいつらエースを馬鹿にしたんだ。おれのことならいくらでも馬鹿にすりゃいいよ、俺がバカなのは本当だしな。でもあいつらにエースをとやかく言う権利はねェ。おれのせいでエースが悪く言われるのも我慢がならねェ。兄弟を馬鹿にした奴を殴って何が悪いんだ。
何も悪くないと言ってやりたかった。おれだってそうすると言ってやりたかった。だができなかった。エースはむくれるルフィの頭を押さえつけて自分も頭を下げた。
教師たちは汚いものでも見るように兄弟を睨んでいた。
その後はもう転がり落ちるようだった。一度たがの外れたルフィは教師の挑発に何度も何度もそれはそれはあっけなく乗った。乗り続けた。ルフィは何度も校内で大暴れし、上級生をのし、同級生を張り倒し、教師をふんじばって市内一の大問題児になった。エースだって大概問題児だったが、エースの底冷えのするような激高と違ってルフィのそれはまるで嵐だった。友人も徐々に離れていった。あれだけ友人が多くていつも輪の中心で笑っていたルフィの周りは、今や遠巻きにする級友たちで恐ろしいほど空虚だった。離れなかったのはウソップとナミぐらいだ。もっともこの二人も問題児の端くれではあったので、三人はまとめて厄介者扱いされていた。
ルフィは荒れ続け、授業はほとんどサボるようになった。そうでなければ堂々と教室で眠っていた。教師は徹底的にルフィを無視することで対抗した。
エースにはもうどうにもできなかった。ルフィの問題は腕一杯に自分の問題を抱えたたかだか十五六の子供になんとか出来る範囲をとうに超えていた。
作品名:GO! GO! YOUNGSTER 作家名:たかむらかずとし