GO! GO! YOUNGSTER
エースに出来たのは不必要に暴れるな、殴るなというちょっとしたお説教と、これだけはと続けさせた音読だけだった。後はまるで何の問題も起きていないようにいつも通りに、面白おかしく過ごすことしかエースには出来なかった。時々は抱きしめておれはお前の味方だと、お前を愛していると暑苦しい方法で伝えてやり、時々は殴り合って生意気な弟をこてんぱんにしたりもした。エースに出来たのは、そういう何でもない日常をルフィに用意してやることだけだった。
エースはエースで、まだ薄い背に背負った重い重い荷物と、両腕に溢れるほど抱えた己自身の問題があったのだ。
ルフィが荒れはじめてしばらくするとガープが突然帰ってきた。誰かが(それがマキノから連絡を受けた、当時やっぱり地球の裏側にいたシャンクスだったと後にエースは知った)祖父に兄弟の現状を伝えたらしい。ガープはまずエースを殴った。エースはいきりたつルフィを片手で制して暗い目で血のつながらない祖父を睨め上げた。おれの話を聞こうともしなかったくせに、今更何の用だ。そう言うとガープは雷に打たれたように瞠目した。
ガープは二人の前で膝をついて頭を下げ、「すまん」と言った。
一晩かけてエースはルフィの難読症と学校での状況を説明した。ガープは分かったような分からないような顔をしていたが真剣に聞いていた。だがエースはこの男を許してやる気にはなれなかった。二人が一番保護者を必要としていた時に、祖父は海の向こうにいて、エースの必死の訴えに耳を貸そうともしなかった。エースは祖父を愛していたがもう無条件に頼る気にも、信じる気にもなれなかった。
ガープは学校に頭を下げ、ルフィを二三発殴り飛ばし、くれはを引き連れてルフィの担任にルフィの症状を説明し、そしてそれからしばらくは家にいた。ルフィの話に耳を傾け、文章が読めないというのをうんうんと頷きながら聞き、そういえばわしも読めないわと言い出してエースを呆れさせた。ルフィは最初はぴりぴりしていたが、大好きなじいちゃんが家にいるのですぐにそんなことはどうでもよくなったようだった。
ルフィは徐々に落ち着いていった。
そして反対に、エースの衝動は募っていった。一年後、エースは十七になると同時にこの国を出奔した。十七まで頑張ると言ったルフィを置いて。
「…まあその辺は割愛するけど」
「………」
ゾロは黙ってただエースの横顔を見つめていた。ゾロの深い翠の目はほんの少し揺れているようでもあり、ただ沼の底のように暗いようでもあった。
「でだ。そんな文の読めねェおれの不肖の弟が、ロロノアくんにお手紙を書いた」
ほれ、とポケットから出したくしゃくしゃの紙切れを突き出してやると、ゾロは呆気にとられたように目を見張った。
「……読み書きが苦手なんじゃねェのか、あいつ」
ゾロはまじまじとエースの指先の紙を見つめた。エースは笑って言った。
「苦手っつーか壊滅的だな。読めないから書けない。最近は昔よりはちったァましのようだが、ちゃんと順番通りに言葉を並べて意味の通る文にするのは死ぬほどできねェ」
そのルフィがゆうべうんうん唸りながら書いた手紙だ。
ゾロは差し出された紙をためらいがちに受け取った。じっと見つめている。
エースはそれを見ながら言った。
「ルフィな、馬鹿だし空気は読めねえし人の都合なんざお構いなしのどうしようもないアホなんだが、全部本気なのがいいとこなんだ。ロロノアくんよ、あいつの友達になってやれとは言わねェが、あのアホの努力に免じてその手紙は読んでやってくれねェか」
「…今までの長ェ話はこれを渡すための前振りか?」
ゾロの浮かべた苦笑は笑いの方が大分勝ったものだった。エースは悪びれずに大口を開けて笑った。
「だっはっは! まァおれも弟が大事なんで! ほだされてくれねえかなと思ったのは間違いねェ!」
ベンチを蹴るようにして立ち上がったエースはテンガロンを首に落としてゾロを見下ろした。
ゾロは苦笑の名残を頬の当たりにこびりつかせたままくしゃくしゃの手紙を見つめている。
「───なあロロノアくんよ。そっちに事情があるのはおれも薄々分かっちゃいるが、ルフィは本気であんたが好きなんだ。振るにしても、いっぺんまっすぐ向き合ってやってくれ」
「色恋沙汰みてェに言うんじゃねェよ」
ゾロが嫌そうな顔をするのにエースはまたげらげら笑った。
「ルフィにとっちゃ似たようなもんだ!」
家に帰るとルフィは畳に張りついて拗ねていた。まだ赤い目元も尖った唇もエースにはおかしくてたまらない。しゃがみ込んで頭を小突いてやるとルフィはごろりと反対側を向いた。そっぽを向いたままルフィが言った。
「……ゾロ、ほんとにおれのこと嫌いになったのか」
「さあな。そんなのおれに聞かれたってわからねえよ、ルフィ」
「二度と顔出すなって言った…」
「おう、そうだな」
ルフィは海老のように丸まって眉を寄せ、エースはそれを覗き込んでにやにやと笑った。
「おれ、やっぱしつこかったか?」
「そりゃあなあ。普通はあんなに付きまとわねェな」
「…ゾロはそんなにおれと友達になりたくなかったのか?」
「それもおれに聞いたって分からねえな」
「…っゾロ、もうおれと友達になってくんねえかなァ…!」
畳にいくつもいくつも丸い染みが出来た。エースは苦笑して弟の頭を撫でた。
「あのなァ、ルフィ。人が厭だって言ってるのを無理強いするのがいいことじゃねえのは確かだ。誰だって嫌なことは嫌なんだ。それを押し通して従わせて、それでそいつが後で気持ちよく納得できるならそれでもいい。でもそんな都合のいいことばかりじゃねェだろう。お前はいつも押し切っちまうが、そりゃ皆がお前を好きだからだ。お前のことが好きだから、皆お前に押し切られても最後にゃ笑っちまうんだ。それをよく覚えとけ。
あいつが折れないのはあいつにも押し通してェ我っつーもんがあるからだろう。ルフィ、お前はゾロの信念をへし折りてェのか?」
ルフィがそれだけ強くぶつかっていくのはそれを受け入れてくれるだろう相手にだけだとエースは知っていたが言わなかった。ルフィの愛される才能と愛する才能、そしてその為に一定の人間からひどく嫌われる才能、それら全てを培った、ルフィの「いいやつ」を探し当てる嗅覚をエースは羨ましく思った。
ルフィがぶんぶんを首を振った。涙の粒が飛び散った。
「そうじゃねえ! おれはただあいつと、」
「ならやり方を考えろ。…手紙な、ゾロに渡した」
ルフィは目を見開いた。エースは静かにその目を覗き込んだ。
「今更って思ったか? 読んでもらえねえだろうって? でもなァ、ルフィ。お前の秘密兵器なんだろ? もったいねえじゃねェか。大体お前は顔を合わせりゃ鉄砲玉みたいに飛びついちまう。手紙の方が、お前がどうしたいのか良く伝わるんじゃないか」
「…でもおれ、手紙ヘタだし…」
ルフィは珍しく気弱になっているようだった。俯いてまた新しくほとほとと涙をこぼす。
「きっと何言ってるかわかんねって言われるし…」
「でも一生懸命書いたんだろ? なら後はゾロを信じろ。あいつは人が一生懸命やったことを馬鹿にするような奴には見えなかったぞ」
作品名:GO! GO! YOUNGSTER 作家名:たかむらかずとし