思うにこれは恋
「一人では危ないわ。」
その人物はずいぶん早歩きで、ずんずんと森の奥へと分け入ってくかのようだった。
まるで、目的の場所があるかのようで。
そんな様子に、ルフレはつい、その人物に声をかけることができなかった。
また、その人物の歩くスピードについてくだけでも大変だった。
闇夜の森に白いドレスがはためいた。
「はぁ。はぁ。
こちらに来たと思ったのですが・・・」
彼女はあの人物の早足についてこれず、いつの間にかその姿を見失っていた。
森の中を歩く格好でない彼女は、汚れた靴を見た。
その瞬間。
森に切れ目が現れた。
開けた場所だった。
森の湖。
そこには月明かりを湖面に映し出し、大きな湖が広がっていた。
その湖にざぶざぶと音を立て、迷いなく湖の深部まで進んでいる男性の姿があった。
その姿にルフレは息をのんだ。
「あれは!ギャンレルさん!?
なぜ、服を着たまま湖に!?」
その男は、普段の身に着けている服を着たままだった。
「は!?
まさか!彼は自殺!?」
その不自然な行動に仰天したルフレの頭に『自殺』という文字がよぎった。
イーリス軍に入ってからのギャンレルは、昔の面影などほとんどなく、静かだった。
まるで自分の存在を否定するかのようにひっそりと生き、深いため息ばかりが聞こえていたのを思い出していた。
それは、まるで自分自身を儚んでいるかのようだった。
すべてを失った自分に価値がないとでもいえるかのような光景だった。
次の瞬間ルフレはその湖に自分も入っていた。
はらりと、彼女のストールが宙に舞った。
そして叫んでいた。
「やめてください!
ギャンレルさん!
自殺なんて!!」
あらん限りに叫んでギャンレルの方へと進む銀髪の娘に、彼は驚いて振り返った。
自分の後をつけられていたことに驚き、あり得るはずもない人物がここにいることにも驚いたようだった。
「ルフレ!?」
「きゃあああああーーー!」
次の瞬間ルフレの体が湖の底へと沈んだ。
きっと彼女の歩いていた場所の水深が急に深くなったためであろう。
すぐに彼女の頭が浮かんできた。
しかし、ルフレが着ている夜着のドレスが水分を含み、彼女の体に纏わりつき、彼女の動きを妨げた。
「あのバカ!!何をやっていやがる!!」
ギャンレルは苦虫をつぶしたかのような声を出すと、舌打ちをし、慌てて彼女が溺れている方へと泳いで行った。
ばたばたと足と手を使い、空気を吸おうと自分の頭を出そうとして、もがいているルフレの体を受け止め、彼は叫んだ。
「ルフレ!大丈夫だ!オレの体につかまれ!
いいか!迷うな!抱きつけ」
ギャンレルのきつい声色の指示のままにルフレは彼の体に両腕を回した。
その柔らかな感触に酔う暇もなく、彼はぐっと彼女の体を引き付けると、抱きついてきた体に左腕を回し、岸の方まで泳いだ。
今のギャンレルにとってルフレは特別な存在だった。
やっと二人が立てるところまで来たときに、彼はルフレに回した腕をそっとほどいた。
そして、膝をついて立ち上がった。
あまりの出来事に、彼は取り乱しいらいらしていた。
彼特有の威圧感で、彼女を侮蔑するかのように腕を組んで見下ろした。
「はぁはぁ!!
このバカが!!
何をやってやがるんだ!おめぇはよ!!」
ルフレの体はまだ半分湖にあり、その湖面に白いドレスはたゆたっていた。
彼女は湖面に両手を付き、ギャンレルの方へ頭を上げた。
「もし、オレがおめぇのこと助けにいかなかったら、溺れ死んでしまうところじゃねぇか!!」
鬼気迫るあまりの彼の剣幕に、彼女はだんだん瞳の奥が熱くなってくることがわかった。
ルフレは混乱していた。
「だって・・・だって!
私、あなたを追って来て、あなたの姿を湖で見かけた瞬間・・・
あなたが自殺するんじゃないかと思って!
それで・・・それで・・・」
そのまま、彼女の瞳からは一粒の涙がぽろりと落ち、そのままルフレは俯いた。
その姿に一瞬ギャンレルは狼狽えた。
くそうと吐き、一瞬顔を背け、
「オレが自殺なんかするわけねぇだろう。
ただ、寝苦しい夜に涼しくなりたかっただけだ。」
そうつぶやいた。
そして、死の恐怖と叱責のショックにうつむくルフレの姿を静かに見下ろした。
湖面に咲く花。
彼はふとそう思った。
彼女の長い銀髪は濡れそぼり、濡れた白い夜着に照らし出された身体は・・・
なんということだろう。
男女二人が深夜の湖に一緒にいるというのに。
己の欲情をそそるどころか、
あまりの神々しささに、ギャンレルは目を細めた。
今自分が力ずくでも手にしたい女が目の前にいるというのに。
いつから彼女がギャンレルの特別になったのだろうか。
わからない。
クロムの横で凛とした佇まいで控えている女軍師はいい女だとは思っていたが、
クロムと家族と共にいるときに、幸せそうに微笑んでいる彼女の笑顔を見たときに感じたのだろうか?
暗愚王時代には到底あり得るはずもない光景。
まぶしかった。
ギャンレルはルフレの前に、屈み、少し戸惑った風に手を伸ばした。
うつむく彼女の顎をとり、自分の方へと向けた。
その濡れた瞳を見て、彼の親指で彼女の涙をぬぐって見せた。
ギャンレルはじっとルフレの瞳を見た。
お願いだ。ルフレ。
悪いオオカミに捕まってしまった子羊のように怯えきった目でオレに目を向けるのはやめてくれ。
その瞳は昔のオレを否が応でも思い出させ、おまえを欲望のままに蹂躙したくなっちまう。
今のお前は、オレの・・・
いや、この軍の勝利の女神だ。
罠にかかった鳥でなく、翼の生えた女神であるならば・・・
この場から去った方がいい。
彼は口を開いた。
「おまえなぁ。仮にも人妻なんだろう?
泣く前に、自分の格好をよく見てみろよ。
なんだあ、その格好は。
おまえの体が透けちまって、まるで裸のようだ。
ま、オレにとってはおいしい話だが。」
そのまま、悪態を吐いき、にやりと下非た笑みを浮かべてみた。
その言葉に、泣いていたルフレもはっとし、自分のあらぬ格好に気が付いていた。
驚き、自分の体を両手で隠そうとしたが、強い力が自分の右手を掴みひっぱり上げられていた。
ギャンレルが彼女を立たせたのだ。
ドレスから水がしたたり落ち、ルフレは体が重たく感じた。
「オレなんかに構ってちゃ、おまえの品が落ちるぜ。
それとも、その姿でオレを誘っているのか?」
「ちがっ!」
「行けよ。あっちが、イーリス城への道だ。」
ギャンレルは、否定しようとするルフレを無視し、イーリス城への道を指差した。
ルフレはその方向を見、ギャンレルをちらりと見ると、そのままその方向へ駈け出していた。
彼女の足には片方の靴もなかった。
あの姿のまま、城の者に見つかったらルフレは何を言われるだろう?
少し考えて、首を振った。
そんなのオレの知ったことではない。と。
ギャンレルはそのまま、彼女が去って行くのを見届けると、湖面に浮かんだ彼女が落とした靴を拾い上げた。
「この靴を届けてやるには、ずいぶんな勇気が必要か?それとも、あいつを奪い去るときか?」
彼は不敵な笑みを浮かべた。