IS バニシング・トルーパー 006-007
「悪いな」
「いえいえ。でも大浴場は使わないんですか?」
大浴場は女子専用のものになっていて、クリスと一夏は使えないが、千冬なら今この時間に行けばまだ使えるはずだ。
「今疲れているから、手早く済ませたい」
「そうですか」
「じゃ、使わせてもらうぞ」
「はい」
そう言って、千冬はシャワー室に入って行った。水音が響くのと同時に、クリスはパソコンの前に戻って掲示板を閲覧し始めた。
「はぁ~すっきりしたな」
「はい、織斑先生」
シャワー室から出てきた千冬に、クリスはスポーツドリンクを投げた。
「気が利くな、クレマン」
受け取ったドリンクの蓋を開けて、一気に半分のドリンクを喉へ流し込んで、千冬はクリスの側まで近づいた。
ふっとクリスの鼻に伝わったのは、湯上りの千冬からのシャンプーの香りだった。横に振り向いて見ると、千冬がクリスのパソコンの画面を覗いていた。
普段は束ねられている千冬の長い黒髪が、今では自然下ろされていて、水気のせいでいつもより艶よく見えた。湿気で潤った顔はまだ赤く、そのキメ細やかな肌と相俟って、ジャージ姿ながらも中々に色っぽく見えた。
動じないように装いながらも、千冬から漂う大人の女の色気に、また少年のクリスは抗えることなく、思わず見とれてしまった。
「やれやれ、とんだ食いしん坊だな」
クリスが閲覧している掲示板を見て、千冬は呆れたようにため息をついた。
「あっ、えっと……先生は今日は帰りが遅いですね。残業ですか?」
一瞬自分の視線が気付かれたのかと驚いたが、意識が戻ったクリスは千冬に無難な話題を振った。
「まあ、主に今日の試合の後始末だな。説明書類とかで」
「そうですか。お疲れ様です」
「まったくだ。書類の作成はどうも好きん。グラウンドで竹刀を持って生徒を一緒に走ったほうがまだ楽だ」
ベッドに腰をかけた千冬は、珍しく生徒の前で愚痴を零した。
「どんな教師ですかそれ……」
「今日はうちの愚弟と戦って、どう思った?」
足を組んでドリンクを飲みながら、千冬はクリスに今日の感想を聞いた。
「そうですね……動きは安直で無駄も多いですが、センスはあると思いますよ。白式と一夏の相性もかなりいいみたいですし、経験を積めばすぐ強くなれるでしょ」
「そうか。名高きハースタル機関出身の君がそういうなら、安心だな」
クリスの答えを聞いて、千冬は嬉しそうに微笑んだ。
「いや、俺に言わせなくても、先生ならわかっているじゃないんですか?」
「それでも他人と答え合わせをしたいのさ。自分の主観だけではどうも不安でな」
意外にも、千冬が明らかに弟を肯定するような発言をした。それは仕事で疲れた後、教師という立場を忘れた本当の彼女だろうと、クリスはそう思えた。
(なるほど、弟の方はシスコンで、姉の方もブラコンか)
「先週は一夏のために打鉄を調達したそうだな。私からも礼を言おう」
「いえいえ、たいしたことではありませんよ。それに、俺も日本の量産機に興味がありましたし」
「いや、お前のお陰で一夏の初陣は私の予想以上にやってくれたよ。有難うな」
「……少し癪なセリフですが、一夏が聞いたら喜びますよ」
しかしクリスの言葉で、千冬の顔に僅かの寂しいさが染まった。
「私は教師だ。身内贔屓はできん。それに……」
「それに?」
「長い時間の中に、私は一夏にとって高い壁となった。超えるべき目標になれても、引っ張って行く存在にはもうなれない」
「そうですか?一夏は織斑先生のことそんな風に思っていないと思いますよ。あいつはいつも先生のことを『千冬姉』と呼んでいるのは、その証拠じゃないですか」
千冬の言葉を聞いたクリスは、思わず自分の考えを一夏に重ねてしまった。
「……ただ一週間で、随分とあいつのことを理解したように言い切るんだな」
「まあ、俺も姉が居ますから。」
「ふんっ、なるほど」
軽く笑って、千冬はベッドから腰を上げた。再びクリスを見据えた今の千冬の視線には、いままで一番の真剣さがあった。
「これからも一夏と仲良くやってくれ。長年二人だけで暮らして来たが、私はあいつと一緒にいる時間をあまり作れなかったが、お前なら、あいつを引っ張って行く兄のような存在になれると思う。これは、教師ではなく、私個人としての頼みだ」
そう言って、千冬はクリスに深く頭を下げた。
「兄……ですか」
「うん?どうがしたか?」
自分は何か変なことを言ったのかと、千冬は顔を上げてクリスの目を見る。
「いや、織斑先生んならルックスは完全にストライクゾーン真ん中ですが、そのバイオレンスな性格はもうすこし何とかできれば、私も先生のプロポーズを喜んでうk……あっ!」
「私は真面目に頼んでるんだよ、クレマン」
無表情でクリスの頭を掴んだ千冬は、低い声で言った。力はそれほど篭っていないが、クリスの首は既に動けない。
「はっ、はい! 一夏の良き手本となるよう、全力を尽くす所存であります!」
「……よろしい」
千冬の言葉が終わった途端、クリスの頭に掛けられていた拘束力が消えていった。
「じゃ、もう時間も遅いし、私も帰るとするか」
「織斑先生」
部屋から出ようとする千冬を、クリスが呼び止めた。
「何だ?」
「織斑千冬としての頼みを聞いてもいいですけど、代わりに私のことは、“クリス”と呼んでくださいよ」
「……考えておく」
曖昧な返事をして、千冬は向こうにある自分の部屋に戻って行った。
「ふあ~十時半か」
大きなあくびして、クリスは今の時間を確認した。
明日は火曜日で、普通に授業がある。
「今日は試合で疲れたし、そろそろ寝るか」
そう呟いて、ベッドに倒れ込もうとしている矢先に、パソコンからの提示音が鳴った。
この提示音は機関内部用の通信ソフトによるものだったので、無視もできない。
仕方なくもう一度パソコンの前に戻ったクリスは、マウスをクリックして、状況を確認する。
「うん? 映像通話か? 相手は……あっ!」
眠気が一気に吹っ飛んだように、クリスは椅子に腰を下ろして、通話ボタンをクリックした。
スクリーンの真ん中に通話ウインドウが現われ、そこに映っていたのは、OLスーツを着ているの女性だった。
短く切ってある青いストレートヘアに、長細い目と薄い唇、そしてその鋭い目つきから、“出来る女”の雰囲気を出していた。
「久しぶりたな、クリス」
「はい、お久しぶりです、ヴィレッタ姉さん」
ヴィレッタ・バティム。クリスの姉分であり、ISの師匠でもある女性だ。
数ヶ月ぶりに姉と会えて、内心で嬉しく思っているクリスは、極力にそれを表にださないように押えたが、スクリーンの向こうにいるヴィレッタはそれをクリスの声から感じ取り、口元が僅かに笑った。
「すまんな、そっちは今夜だろう。私も中々に時間が取れなくてな」
「いえ、また寝る前ですから」
「そうか。とにかく手早く連絡事項を伝えておく」
「はい」
作品名:IS バニシング・トルーパー 006-007 作家名:こもも