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IS  バニシングトルーパー 037

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 「子供が大人に気を使うな。大した手間じゃない。それより……」
 言葉の途中にリンはクリスへ手を伸ばして彼の肩を掴み、ドスの効いた声で話を続けた。

 「お前、イルムみたいなロクデナシになるなよ? シャルロットは本気でお前のことが好きなんだぞ。もし泣かすようなことをしたら……分かっているな?」
 「……肝に銘じておきます」
 ブラックホールキャノンの直撃だけは勘弁していただきたい。肩から全身に伝わる殺気に、クリスは脂汗をかきながらも全力で頭を縦に振った。

 「よろしい」
 満足したように頷いて、リンはクリスの肩から手を離した。
 彼女のその姿こそ、恋する女(バーサーカー)であろう。


 *


 「……見事な月だ」
 賑やかな宴会場から離れた、ホテルの奥にある桃源郷のように静かな庭に、剛毅な風貌を持つ銀髪の男一人はベンチの上に腰をかけ、月を見上げていた。
 昼はまだ暖かいが、フェアバンクスの夜は寒い。しかしこの寒さも今はこの男――ゼンガー・ゾンボルト少佐にとっては心地よいもの。
 
 なんて情けない男だ、とゼンガーは自嘲するように口元を歪めて、自分の手のひらを眺める。
 お酒が大の苦手で匂いすらダメなのに、一昨日カーウァイ大佐と盃を交わすときについつい呑んでしまった。あれから既に二日経っているにも関わらず、未だに頭がくらくらして胃も痛くて、気分が悪い。
 淡い月の光で白く輝く銀色の髪を夜風に靡かせ、ゼンガーは一回深呼吸した後、目を瞑って精神統一に集中する。

 「……何者だ」
 周囲の自然と一体化したゼンガーは背後から人の気配を感じ、声をかけた。
 相手はうまく気配を隠しているようだが、まだまだ甘い。
 幸い敵意や殺気の類は感じない。恐らくこっちを試しているだけだろう。

 「完全に気配を消したつもりですが、さすがはゼンガー・ゾンボルト少佐と言ったところでしょうか」
 耳に届いたのは、若い少女の柔らかい声だった。
 そして、まるでこの穏やかな空気と一体化したかのような、コンクリートの地面を踏む小さくて自然な足音が響いた。
 この規則正しい足運びを聞いただけで、相手は武道にかなり心得のある人間だということがわかる。
 足音が段々とベンチに近づいてきて、やがてゼンガーの正面に止まった。そして柔らかくて涼しげな声が、もう一度ゼンガーの耳に響いた。

 「お初にお目にかかります。ゼンガー少佐」
 ふっとこの場所には存在しえない、爽やかな桜花の香りに鼻をくすぐられ、ゼンガーはゆっくりと瞼を開いて顔を上げた。
 そこに見えたのはその声に相応しい、天女のような可憐な少女の姿だった。
 清楚な顔立ちといかにも気丈そうな瞳に、少女にしてはやや高い背丈。膝まで伸びる、末端に赤いメッシュを入れた黒髪をポニーテールにして纏め上げて、少女は淑やかながらも隙の見せない自然体で立つ。

 「楠舞一刀流、楠舞神夜と申します」
 包容力の溢れる優しい笑顔で、少女は花びらのように小さく可愛らしい唇を動かして、自分の名をゼンガーに教えた。
 夜風に吹かれて、その長いポニーテールは月光の下で流れる川のようにたゆたう。
 「月下美人」という言葉は、正しく彼女のことを指すために作られた言葉なのだろう。

 「うむ。既に知っているようだが、一応礼儀として、俺も名乗りを上げよう。我が名はゼンガー・ゾンボルト」
 ベンチから立ち上がり、ゼンガーは楠舞神夜と名乗った少女と向き合って、自分の名を上げた後、視線を彼女が手に握っているものへ移った。

 一本の大剣だった。目測ではおよそ170センチ程度。幅はそれほど広くないが、刀身には華麗な模様が付けられている。そして刀の峰には、三日月のような小さな刃が幾つか突き立っている。
 今まで数多くの刀を見てきたが、こんな刀は初めて見た。しかしその大きさからしてかなり重いはずなのに、目の前の少女はずっとその華奢な腕で握ったまま揺れの一つもしない。
 楠舞一刀流の名は、師匠から何回か聞いたことのある名だ。一子相伝の流派だと知っていたが、まさかこの異国の場で楠舞一刀流の使い手と出会うとは。

 「して、楠舞神夜よ。この俺に、何か用か?……あっ」
 まだ十代の少女にしては大したものだと感心しながら、ゼンガーは彼女の顔に視線を戻した。が、そこで重要な問題に気付いた。

 「はい。ゼンガー少佐の名を父に聞かされた以来、ずっと一度お会いしたいと思っておりました。今日は事務所の先輩の付き添いで偶然にこの場に来てしまいましたけれど、ゼンガー少佐がいらしていると知って、是非ご挨拶をと思いまして」
 「そうか。ときに楠舞神夜よ」
 「はい?」
 「なぜちゃんとした服を着ない!!」

 渋い顔で、ゼンガーはド迫力の声を出して神夜の服装について指摘した。
 さっきの暗いからよく見えなかったが、間近でみると、楠舞神夜の豊満なボディを包むその白い服装は際どすぎる。手足や腹部はちょんと布で包まれているのに、背中や胸、ふとももなどの部分は危ない一線の前に止まったような高い露出度を誇っている。
 よく通報されなかったな。流石は自由の国。
 あんな物騒なものまで持っているのに。

 「こ、これは、我が楠舞家の正装です!」
 「……」 
 「我が楠舞家の正装です!」
 「風邪が引いてしまうではないか!!」
 本当のことだから、全然恥ずかしく何かないから二回言ったが、ゼンガーに実用性の面から否定された。

 「まったく、これだから最近の若い子は……」
 短いため息をついて、ゼンガーは自分の赤い軍服を神夜に羽織わせる。
 最近は開少佐に影響されすぎたかもしれない。
 そして困惑しながらも、神夜は特に抵抗せずにゼンガーの好意を受け入れた。

 「あ、ありがとうございます」
 身の丈に合わない大きな軍服に身を包まれて暖かい安心感を覚えつつ、神夜は自分に優しくしてくれたゼンガーの顔を見上げる。
 どこか、懐かしい雰囲気を感じた気がした。

 「ゼンガー少佐って、ちょっとお兄様に似てますね」
 「兄がいるのか」
 「はい、従兄です。無愛想でパチンコばっかりやってますけど、私のことを大切にしてくれる、自慢のお兄様です」
 「そうか」
 キラキラとした目と自慢げな表情に語る神夜を見て、ゼンガーは軽く頷いた。
 パチンコって何なのかはよく分からんが、きっと神夜のことを大事に思っているいい兄だろう。

 「しかしせっかくゼンガー少佐とお会いできましたのに、お手合わせが出来なくて残念極まりないです……」
 「うむ、確かに残念極まりないな」
 周りを見回して、ゼンガーは神夜と共に残念そうな表情になる。
 同じ剣を握るもの同士、やはり一度刃を交えなければ始まらない。しかしさすがにホテルの庭で暴れる訳にもいかない。 

 「ゼンガー少佐は、何のために剣を学んだのですか?」
 僅かな沈黙の後、神夜は再び口を開いた。彼女の真っ直ぐな視線を受け止め、ゼンガーは真剣な表情で答えた。

 「……我が師の高潔なる信念を受け継ぎ、悪を断つ剣となるためだ」
 「悪を……断つ? 」
 ゼンガーの言葉を完全理解できずに、神夜は首を小さく傾げた。