IS バニシングトルーパー 038-039
部屋の奥、一人の男の子――クリスがベッドに腰をかけていた。入ってくるセシリアの顔を見て、彼は手に持っているものをベッドに置いて、机の引き出しを開いた。
「適当に座って。飲み物は何がいい?」
「有難うございます。では……紅茶をお願いしますわ」
チャーミングな笑みを浮かべて、セシリアはちょっと意地悪そうな口調でそう言った。
最近クリスが紅茶の淹れ方についても研究しているのを、セシリア知っていた。いわばこれは“練習の成果をチェックしてあげるわ”という意味の言葉でもある。
「……分かったよ」
評価はお手柔らかにな、という目で苦笑いして、クリスは電気ポットの電源を入れて近くの椅子に腰をかけ、自分のベッドに腰をかけたセシリアと向き合う。
「こんな時に、何か用かな?」
「あら、用がないと来てはいけませんか?」
ピンク色の薄い唇を尖らせて、セシリアはちょっと不満げにクリスを睨む。
本当は三日も会えなかった分、一杯お話しをしたいと思っただけなのに。
「そんなことないけどな。セシリアならいつでも大歓迎だよ」
「な、ならよろしいですけれど……うん?」
ベッドに置かれている、クリスがさっきまで持っていたものが目に入り、セシリアはそれを手に取る。
一冊のスケッチブックだった。
一 ページずつスケッチブックを捲っていくと、鉛筆で描かれた様々なものがセシリアの目に飛び込む。
クリスのコーヒーカップ、柔らかそうで小さな女性の手、美味しそうなケーキ、見覚えのあるISを纏った少女たち、さらに新装備の設計図らしきものまで。
その中には適当な落書もあるけど、丁寧で繊細に描き込まれた絵もある。だがどれも対象の特徴をしっかり捉えていて、躍動感を感じさせてくれる。
内容の豊富さに好奇心をくすぐられ、セシリアは会話を忘れてページを捲っていく。
「おい、黙ったまま見られると恥ずかしいんだが?」
「あっ、ああごめんなさい。それは全部、クリスさんが描いたものですか?」
「まあ、な」
丁度このタイミングで、電気ポットの電子音がなり始めた。
椅子から立ち上がって、クリスはティーポットを温めた後スプーンで茶葉を入れ、沸き立てのお湯を注ぎ込んで蓋をした。
透明のティーポットの中で、茶葉が踊り始めたのが見える。
これで、合格点をもらえるといいな。
「意外ですわね。まさかクリスさんにはこんな特技が……」
スケッチブックの中からブルーティアーズを纏った自分が描かれた一ページを見つけて、セシリアは思わず嬉しそうにニヤけてしまう。
好きな人のことを、また一つ知ってしまった。
「特技ってほどのものじゃないよ。ただの暇つぶしだ」
茶葉の具合を観察しつつ、クリスは返事を返した。その背中を眺めて、セシリアは次のページを捲った。
そしてその次の絵が瞳に映り込むと、セシリアは顔が曇り、唇を噛み締めて黙り込んだ。
――クリスが描いた、シャルロットの絵だった。
白いシーツで肌を包み、ベッドの上で無邪気な寝顔を晒している絵だった。
途中まで描いてやめた未完成の絵だが、それでも彼女の口元に浮んでいる笑みは、いかにも幸せそうに見えた。
完全に信頼している人間の前だからこそ、そんな顔を見せたのだろう。
「クリスさん……」
ちくちくと痛む胸元に手を当てて、眉を顰めてセシリアはスケッチブックを閉じた。
覚悟していたはずなのに、こんなにも切ない気持ちになるなんて。
やっぱり、諦められない。
「はい、お待たせ」
顔を上げると、湯気を立てているティーカップを差し出しているクリスの笑顔が目に映る。
ありがとうございますと礼を言って、セシリアは何とか微笑み返し、ティーカップを受け取った。
甘くて落ち着いた香りに、ミルクを入れたのが一目で分かる淡い色。一口を口に含むと、優しい甘さが胸の奥まで染みこみ広がっていく。
――わたくしの好みの味を、覚えておいてくれたんだ。
顔を伏せてティーカップの中身を眺めながら、セシリアは切なげに小さなため息をついた。
「……クリスさんって、絵が上手いですわね」
「まさか。ちゃんと学んでないから、水彩とか全然できない。鉛筆が限界なんだよ」
椅子に腰をかけ、クリスは自分が入れた紅茶をじっくり吟味しながら、返事をした。
「では、自学で?」
「ああ。小さい頃は、街で似顔絵を描いて稼いだ金で生活してたんだ」
「えっ?」
一拍子遅れて返ってきた、あまりにも意外な返事に、セシリアは顔を上げて驚いたような表情でクリスの顔を見る。
クリスが過去の話を聞かせてくれたのは、これが初めてって気がする。
「どういうこと、ですか?」
「……親も金もないから、自力で生き延びるしかなかったんだ。ヴィレッタ姉さん達と出会うまでは」
昔のことを思い出しつつ、クリスはどこか懐かしそうな表情で遠い目になる。
「そう言えば、あの頃は一人だけ仲間が居たな。花を売るやつ。夜になったら集まって、二人の稼ぎを合わせて売れ残りのパンを買って、食べたら一緒に安全な場所を探して寝る」
同じ銀色の髪に、同じ蒼い瞳。そういえばあいつ、名前は何だっけ?
思い出せない。そもそも聞きすらしなかったかもしれない。
ちゃんと生きているといいな。
最後はあんな別れ方だったけど。
「随分と、苦労しましたわね」
「今となっては紅茶にIS。俺も随分と出世したものだな」
自分を嘲笑うように口元を歪ませ、クリスは自分の珈琲カップの中にある赤い液体を凝視する。そんな彼を見て、セシリアも押し黙った。
貴族の家に生まれたセシリアにとっては、想像すらできない経歴だった。でも彼がそんな話を笑いながら聞かせてくれたのは、信用してる証拠だと思いたい。
――あの子もこんな風に、クリスさんから色々と聞いたのかしら。
ふっとセシリアの頭の中に、そんな疑問が浮んだ。
最近のクリスは出会った頃みたいな、人に自分のことを話したがらないような感じがしなくなった。嬉しい変化ではあるが、それもあの子のお蔭だと思うと、なかなかに悔しい。
やはり遠慮しすぎたのが行けなかったんだ。
「来たよ、クリス!」
噂をすれば影。ゆっくりと開かれたドアから、一人の女子生徒がさらさらの金髪を揺らして、部屋の主の名を呼びながら部屋の中に入ってくる。
そしてクリスのベッドに腰をかけているセシリアの存在に気付き、彼女は手を振って挨拶をした。
「あれ、セシリアも居たんだ。こんばんは」
「……こんばんは、シャルロットさん」
薄く微笑み返して、セシリアはクリスの隣に立ったジャージ姿の少女――シャルに挨拶を返した。
「ああっ! ずるいな~二人だけで紅茶なんて」
クリスとセシリアが紅茶を飲んでいるのを見て、シャルはクリスの肩に手を乗せて、不満げに唇を尖らせた。
すると、クリスは苦笑いしながら椅子から立ち上がり、ミニキッチンの方へ歩いた。
流し台の近くに置いてある小さなコーヒーカップにお湯を入れて暖めた後、改めて紅茶を入れて部屋の中に戻り、シャルに渡した。
「これでいいだろう?」
「ありがとう!」
作品名:IS バニシングトルーパー 038-039 作家名:こもも