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IS  バニシングトルーパー 044

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 なぜ声を出さずにこんな所を歩いているか、よく分からない。疲労しているせいか、思考すら覚束ない。 
 それでも、ふらふらとした足取りで前へ進む。
 本能的に何かから抜け出そうと、必死に前へ。
 そんな彼の横を、二人の子供が追い越して行った。

 そのうちの一人は子供の頃――街頭をさまよう時代の自分だった。
 食べかけのパンを咥え、もう一人の子供を手を引いて、必死の形相で小道を駆ける。
 逃げているのだ。追ってくる黒服の大人達の銃口から。
 地面に落ちた画具を拾う暇もなく、ただ緊張で張り裂けそうになっている心臓を手で押さえ、仲間を連れて逃げる。
 暖かい寝場所を探していただけなのに、マフィアたちの倉庫だなんて知らなかったんだ。

 突如に銃声が響き、足に激痛が走った。暖かいが液体が飛び散り、地面に落ちたパンを赤く染める。
 体のバランスが崩れ、地面に倒れ込んだ。後ろから迫る複数の足音に恐怖心を煽られ、彼は頭が真っ白になって必死に喉から叫び声を搾り出す。
 死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
 この世界の美味しいものをまだ何一つ知らないというのに、殺されてたまるか!

 すると次に瞼を開いた瞬間、自分はの死体に囲まれていた。
 眼から鼻から耳から口から大量の血をこぼし、銃を握ったまま地面に崩れ落ちた黒服たちの死体に。
 この恐ろしい事実に足の痛みを忘れて仲間へ手を伸ばすと、来ないでと拒絶され、まるで化け物でも見たかのような顔で逃げられた。

 どうして? この死体の山はどういうこと? 

 銃声がもう一度夜空に響き渡り、肩から鮮血が飛び出すまで、彼は呆然と逃げていく仲間の後姿を眺めてそんな疑問を考え続けていた。

 ――あの時だったな。初めて覚醒した時って。
 思い出にあるこの光景から目を逸らし、少年は自分の足運びを止めない。
 見覚えのある場面が、次々と浮かび上がっては消えていく。

 手術台に乗せられた自分を見下ろす、老人の不気味な笑顔。
 初めて席に座って食べた、暖かくて美味しい手料理。
 新しく出来た姉が少年へのクリスマスプレゼントを包む、不慣れな手付き。
 冷たくて硬い右手を握り、シーツの中で静かに流す自分の涙。
 好きと言ってくれたあの子の幸せそうな笑顔。
 そして、自分の中の何かを必死に拒んでいるように身悶えている、ウェーブのかかった青いロングヘアの男の苦しそうな横顔。

 生きたい。美味しいものを食べたい。楽しいことをしたい。周囲に好かれたい。好きな女の子を一緒にいたい。姉さんやあの男の力になりたい。
 結局俺って、それだけの小物だ。
 夢も理想も正義もなく、人格者も救世主でもない。ただ見捨てられないよう、自分を周囲に合わせて必死に生きようとする小市民。

 それでも自分を抑えきれずに、大事なものたちを守るヒーローになりたい時がある。
 大して強くもないくせに、無茶はするんだな。

 「だが君の行動は、ある意味正しいと思う」
 いつの間にか少年の隣に一人の男が現れて、そんな言葉を発した。
 同じ銀色の髪をしている、細い体型の若い男だった。その宝石のような綺麗な碧色の瞳から鋭い視線を放ち、真っ直ぐに少年の虚ろな蒼い瞳を捉えた。
 この男から、誰かと似た雰囲気を感じ取ってしまった。
 よく知っている、誰かと。

 「激情の欠ける人間も、理想だけで突っ走る人間も、本当の意味では強くなれない」
 「……っ」
 「それより、時間はもう残り少ない。終焉を導く因子は既に現れ始めた。早く“ゲート”を開け」
 「……誰だよ、お前は」
 男の意味深な言葉を理解しよと、ゆっくりと回復し始めた思考力で必死に考え、少年は乾いた唇を動かし、男と会話する。

 「あの男と共に“調律”を行う、もう一人の“番人”だ」
 「……」
 「あれの残骸がそっちに流れ着いた以上、無視はできない。その力が悪用される前に、彼の枷を解くのだ」
 「そのためにまずは“ゲート”を開く、か」
 「そうだ。君にはその役目を果たしてもらう。だから、死んでもらっては困る」
 「……そういえば俺、重傷負ってたっけ」
 何かを思い出したかのように、少年は慌てて自分の体を見下ろして触りながら、周囲を見回す。
 切り刻まれた傷口はほぼ塞がったが、全身はまだ疲労感と痛みに襲われている。
 予想通りだ。この体は普通の人間より頑丈で外傷の回復が早いが、不死身じゃない。

 「ていうか今何時だ?」
 「……この子たちのことが気になるのか?」
 男の言葉に応じるように、二人の前に横へ広がるホログラムスクリーンが浮かび上がる。
 そこに映りだされているのは、複数のISによって海上で繰り広がれている激戦の光景だった。
 昆虫のような形をしている暗緑色ISのハイスピードに翻弄され、切り刻まれていく一夏と鈴。
 エネルギーの翼を広げて、光の弾丸を大量にばら撒く銀の福音を追いつけようとして、迎撃を食らう箒とレオナ。
 ラウラのハイゾルランチャーの直撃を受けてもビクともしない重装甲ISが振り回す、武人のような雰囲気を漂わせる太い鉄棒に殴り飛ばされる隆聖。
 そして、破壊されたバックパックをパージした砲撃IS「ラーズアングリフ」の狙いから逃げながら、強敵の「グレイターキン」と苦戦するシャルとセシリア。
 仲間達の表情は、苦悶に満ちているのだ。決して、有利な状況ではないのだろう。

 「あいつら……。すぐに出撃しないと」
 「その状態では、無理だ」
 「それでも、行かなきゃ」
 男の言葉に、少年は苦笑いで返し、踵を返した。

 「君はもっと冷静なタイプだと思っていたが」
 「場合によるよ。分の悪い賭けは好きじゃないけど、知り合いや好きな子がピンチなら心配はするし、リスクがあっても助けたい。これが、小市民のあるべき姿だ」
 「……そうか」
 少年の言葉に、男は感慨めいた低い呟きを口にし、僅かに表情を緩めて投影中の映像に視線を向け、赤い砲撃IS「ラーズアングリフ」を纏っている少女を見つめた。
 微妙にどこか悲しげな表情を浮かべながら戦う、銀色のショートヘアの少女を。 

 「無理を承知で頼む。ゼオラを……救ってやってくれ」
 「……関係は聞かないでおくけど、そういう名前だったっけ」
 「ああ。ゼオラ・シュバイツァー。……ダメか?」
 「いや、別にかまわないよ。……あいつが救われたいと思っているのならな」
 「感謝する。せめてのお礼に、少し力を貸そう」
 「いや、いいよ。自分で何とかする。小市民でも、俺は男だ」
 相手の申し出を断り、少年はいつもの飄々とした笑みを浮べ、自分の右拳を握り締めて別れを告げた。

 「じゃ、もう行くから」
 「……最後の忠告だ。“巫女”の完全覚醒は近い。気をつけろ」
 徐々に遠ざかっていく碧瞳の男が、真面目な表情で少年の顔を見て、そんな意味不明な言葉を送った。

 「えっ? どういう意味?」
 光の中へ溶け込むようにぼけていく男の 輪郭へ、少年は腕を伸ばした。
 しかし彼が何かを掴む前に、目の前の風景が一変した。

 「う、うっ……」
 瞼を開けると、見覚えのある和風部屋の天井と、宙へ伸ばしかけた腕が視界に飛び込む。