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IS  バニシング・トルーパー リバース 003-004

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 残念そうに肩を竦め、クリスはセシリアの手を解いて、彼女をコックピットの中へ戻らせた。
 パイロットとして戦ってみたかったが、都合がつかないなら仕方ない。端末を手に取り、クリスは再び調整作業に入ったのだった。


 *


 夢を、見ていた。
 夢を、絶え間なく見続けていた。

 そして今この瞬間も、夢を見ている。
 とても複雑でちょっぴり嬉しい、茜色の夢だった。

 夢の中で、鞄を持った私は一人で、小学校から家への帰り道を歩いていた。
 そんな私の後を数メートル離れた所に、彼が歩いていた。
 赤い頬が僅かに腫れ、唇の端は切れて赤い血が滲んでいた。

 外では近づくな、話しかけるな。彼にそう言ったのは、私だ。
 けれどまさか初日からルールを破るとは、思わなかった。

 父親に捨てられた子供だといつも私を笑い、私の髪を引っ張るあの男の子たちと、彼は喧嘩をした。
 無言に近づいてきて、無言にあの三人を殴り倒して、無言に自分の席に戻った。
 一対三の喧嘩で勝てるなんて、強いな。

 でも、近づくなって言ったのに。
 あれくらいいつものことだから、別に気にしなくていいのに。
 あいつのせいで、私まで先生に怒られたじゃない。

 羊の世話も出来ないくせに。本当に、迷惑ばっかりかけるんだから。
 まったく、と呟きながら、私はポケットからハンカチを出して、振り返ったのだった。
 いいから、これで血を拭きなさいよ、この馬鹿。


 *


 月面という場所において、昼夜の交替システムは地球のとはまったく違う。しかし、地球の環境に適応した人間にとって、24時間という単位で一日を過ごすことは、変え難い習慣になっている。
 そのため、月面都市は照明の操作によって、擬似的に昼夜交替を演出するシステムが出来ていた。
 無論、月面都市セレヴィス・シティの郊外にあるマオ・インダストリー社も、それと近いシステムがあった。
 夜の時間に入ると、社員のみんなは次々と退勤していく。
 社内には社員寮、食堂、娯楽施設などをきちんと備えており、会社の寮で住む社員も多いが、セレヴィス・シティで買った家に帰る社員もそれなりに居る。
 通勤バスにマイカー。交通手段がそれぞれでも、高速通路を使えばセレヴィス・シティまで一時間もかからない。そして市内まで行けば、ショッピングモールやレストランから屋台まで、何でもある。
 当然、大人の夜を充実させる酒場も抜かりなく、街のあちこちに存在していた。月の低重力条件下で栽培した農作物で作られた酒は夜になると、サラリーマンと軍人たちによって大量に消費されていく。
 例えば、現にセレヴィス・シティの都心から離れた寂しくて小さな道にある、一軒の居酒屋のカウンター席に並んで座っている男女二人が、透明な液体を一杯注がれたガラスコップを口に運んでいくように。

 「隊長とこうして飲むのは、久しぶりだな」
 「そう……かもな」
 自分の右側に座っている銀髪青年の言葉に、黒いストレートロングの女性は適当に相槌を撃ちつつ、つまみの月面ポテトサラダへ箸を伸ばした。
 夜の自由時間で飲みに来た織斑千冬と、部下のクリスだった。
 地球日本の和風酒場の雰囲気を見事に再現したこの店は今、客がかなり少ない。テーブル席にいる年寄り数名以外は、カウンターの奥で月面で養殖した魚を慣れた包丁捌きで静かに捌いている店主だけ。

 「そういえば、オルコットはどうした?」
 「うん? 隊長と飲みに行くから先に寝ろって言ったけど?」
 「冷たい彼氏だな。連れて来ても別に構わないのに」
 「勘弁してくれ。あいつに酒を飲ませたら手に負えん」
 酒とつまみを消費していくうちに、二人は気さくに雑談を交わす。
 今日は落ち着いて話をするために、わざとこんな素朴な店を選んだ。一夏は今頃、恐らく鈴と箒に振り回されて、ショッピングモールを徘徊しているのだろう。
 それでいい。いつも騒がしいあいつらはどうせ、酒場の空気なんて肌に合わない。それに、あいつらに聞かれたくない話もある。

 「例の件、私の権限で調査してみた。結論から言うと、“シャルロット・デュノア”という人物に関する情報は、何も出てこなかった。……不自然なほどにな」
 コップを持ち上げて軽く揺らし、千冬は低い声でそんなセリフを口にした。

 「……そうか」
 簡潔に了解の返事をし、クリスは淡泊な表情して酒を喉に流し込む。
 別に落ち込むほどのことじゃない。あんな機密的な実験までしてた時点で、情報部所属部隊の大尉でも引き出せる程度の安い情報ではないはずだ。
 だが、あのオレンジ色の量産型ゲシュペンストMK-IIから来た通信の声は間違いない、思い出にあるあの子の声だった。
 それに、無人機のAIがあんな人間らしい返事ができるとは信じ難い。
 いつも通り、怪しい要素が多くて嫌な匂いしかしない。普段なら好奇心を押し殺す所だろうけど、あの子と関わりがあるのなら、看過できない。

 「すまんな。何の役も立てなくて」
 「いいえ、感謝している」
 「……大丈夫か? なぜお前のコックピットだけを改造したのかは分からんが、危険なら交換してもかまわんぞ」
 「大丈夫だよ。特に操縦に変化は感じない。今の所は」

 それに、事はすでに看過などのレベルを超えて、直接この身に関わってきた。
 量産型ゲシュペンストMK-IIがこっちを襲い掛かった現象に興味が湧いたのか、あの正体不明な計画を担当している責任者は部隊に接触してきて、研究に協力して欲しいと言った。
 情報部の上層もこの件については了承しているらしい。

 「そうか。それで、“シャルロット・デュノア”って一体誰なんだ?」
 「……隊長、ヤキモチ?」
 こっちの心の中に踏み込もうとする千冬に、クリスは目を逸らして薄い笑顔で、形だけの防衛線を張る。
 すると千冬はイラついたような顔して、自分のコップをクリスのコップに軽くぶつけて、豪快にコップの中の残りを全部喉へ流し込んだ。

 「そうだ。昔は私に夢中だったガキが今、別の女に現を抜かしてるのが気に入らない。悪いか」
 「チッ、俺のことを一夏の子守か何かとしか思ってないくせに」
 苦笑いしてため息をつき、クリスも酒を一気に飲み干しておかわりを注文した。

 「そんなことない。お前は長年私について来た大事な部下だから、信頼しているだけだ。一夏は真っ直ぐすぎる。篠ノ之もな。オルコットはお前にしか興味ないし、凰は冷静さがやや足りない。お前しか頼めないんだ」
 「はいはい。千冬様に信頼して頂けて感激の極みでございますよ」
 「茶化すな、まったく。……んで、“シャルロット・デュノア”って一体誰なんだ?」
 「しつこいな。……恩人の娘だよ。シャルは」
 
 新しく注がれた酒を一口啜り、クリスはようやく千冬の質問に返事をした。
 酒でも飲まなきゃ、上司だろうと他人には聞かせたくない話だ。

 「隊長は知ってるだろう? 俺って、拾ってくれた恩人の治療費を稼ぐために軍に入ったって。シャルロット・デュノアは、その恩人の娘だ」
 「なるほど。……軍と関連があった人物だったのか?」