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IS  バニシング・トルーパー リバース 003-004

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 「ないと思った。けどDC戦争後に気付いた。シャルの父親はPMCの社長でEOTI機関、いやDC軍の資金援助をしていた。……投資やってる金があったら、まずは愛人一人の治療費を何とかしろって話だ。まったく、金持ちの連中はこれだからムカつく」
 「そう……だな」
 「おばさんが病気で倒れて、治療費とかで生活が厳しくなって来たから、シャルの父親と交渉して、何とか彼女だけをそっちの家に送った。その後は一度も会ってない。シャルの父親の家に行っても会わせてくれないし、手紙の返事も来ない」

 ゆっくりとしたテンポで、クリスはコップを指で叩きながら、悔やみと悲しみが交じった目でコップの中の小さな波紋を眺めた。
 肉親が居ない分だけ、彼の思いは単純で強い。
 受けた恩は、必ず返す。そう、決めていたのに。

 「情けない男よ、俺は。迎いに行くって言ったのに。おばさんのことは任せろって言ったのに」
 「そう自分を責めるな。……お前はよくやってた。全力を尽くした。私には分かる」

 自分を酷く咎めている部下の横顔を目尻に、千冬は自分の酒を進めた。
 他人からはただの金の亡者に見えたかもしれないけど、彼の事情を知っている千冬は、彼が金を絶対的に必要としている理由を分かっていた。

 「……でも結局この話は、俺個人の事情だ。隊長にも迷惑をかけてすまなかったな。ここからは自己責任の範囲で何とか調べる」
 「そういう態度こそ止めろ。お前は普段抑えている分だけ、感情的になったら何をするか分からん」
 「大丈夫だよ。迷惑かけないように調べるから」
 「ちっとも大丈夫じゃない。早まるなよ?」
 「はいはい……そんなことより、隊長のベースは早いな」

 深呼吸して千冬のコップの中を一瞥した後、クリスはやや強引に話題を切り替えて、薄く笑った。
 隊長も皆も、立場というものがある。迷惑をかけるのは避けたい。
 だがシャルのことばかりは、感情的にならない保証ができない。

 「気をつけろよ。ここで意識を失ったら、次に覚めた時はベッドの上かもしれない。そして俺が隣で気だるげに煙草を吸ってる」
 「その時は、きちんと責任を取ってもらう」
 「取るわけないだろう。一夏とセシリアに殺される」
 「分かってるなら、そういう冗談はよせ」
 クリスの冗談を軽くあしらい、千冬は店主が持ってきた刺身をつまみ、醤油をつけて口に放り込む。
 宇宙育ちのサーモンはコスモサーモンと呼べるかどうかはともかく、味は悪くない。

 「でも隊長が寂しいって言うなら、いつでも相手しますよ。こう見えても、六年間ずっと隊長の写真を財布に置き続けてきたんだ」
 「気色悪いことを言うな」
 「酷いな。先輩たちから隊長の写真一枚を奪い取るためにどれだけ苦労したことか」
 「お前ら、碌なことしないな」
 「女神だったんだよ、隊長は俺達にとって。笑顔の写真一枚って凄く高かったんだ。金で買うか、練習と称して力ずくで殴り倒して奪い取るしかない。因みに俺は金がなかった」
 財布から出した一枚の写真を、クリスは台面に置いて千冬に見せた。
 地球連邦軍の主力戦闘機「F-28メッサー」を背景に、僅かに微笑んでいるパイロットスーツ姿の千冬の写真だった。 
 それを一瞥した千冬は微かに頬を染め、眉を顰めた。

 「見せるな。さっさと仕舞え」
 「あの頃の隊長は若くて綺麗だったな……」
 「……殺されたいか」
 「冗談です。今はもっと綺麗になってます」
 隣から来る鋭くて冷たい殺気に、クリスはさっさと写真を財布に仕舞って、箸を動かす。 

 「とにかく、あの頃の皆は、隊長のことが凄く好きだったんだ。教導隊に選抜されたと聞いて、皆は泣きながらも嬉しかった」
 懐かしくて嬉しそうな笑顔で、クリスは昔話に華を咲かせる。
 初めて配属された部隊にはやや暴力で綺麗な上官と、変態で馬鹿で親切的な隊友たちが居て、幸運だった。

 「隊長の誇りは俺達全員の誇りだったんだよ。だから、事故から弟を庇って大怪我して、二度と機動兵器に乗れなくなって、それで教導隊の話もパーになったって聞いた時、全員で一夏をタコ殴りしようかって話してたんだ」
 だが結局その計画が実行される前に、隊友たちはDC戦争の初期に戦闘機でリオンシリーズに立ち向かい、DC軍が掲げる大義とやらの犠牲品になったわけだが。

 「私が言うのもなんだが、命拾いしたな。一夏は」
 「いや、結局一夏は殴られたよ、俺に」
 「……いつ」
 「一夏が部隊に来た初日、格納庫の裏に呼び出して」
 「お前な……」
 まさか知らないうちにそんな暴力沙汰があったとは。初めて知った事実に迷惑そうな顔して、千冬はクリスを睨みつける。

 なんだがんだで、結局は弟が一番大事か。
 その視線から顔を逸らし、クリスはまるであの日のことを思い出したかのように、面白いとばかりに口元を吊り上げた。

 「でも何発を殴ってもあいつは全然反撃しないから、すぐ止めたよ。面白くないし」
 「……」
 「それで、なぜ反撃しないって聞いたら、殴られた方が気持ちが楽だってさ。真性のマゾだなあいつ」
 そんな軽い冗談を口にしながら、クリスは楽しげに笑った。

 「そしてあいつは俺に言ったんだ。“殴りたいなら気が済むまで殴って構わない。だが千冬姉のものになるはずだった栄光は、俺が取り戻す”ってな。地面に這い蹲ったままで」
 「馬鹿か、あいつは」
 先日に一夏から受け取った転属申請書を思い出して、千冬は照れくさそうにもう一度コップを空にして、顔を上げて店の天井を見上げた。
 原始的な雰囲気を醸しだしているやや暗い照明が、今の目にはとても優しくてありがたい。

 「馬鹿だろうけど、嫌いじゃないさ」
 そう言いながら、クリスは千冬の右手に自分の左手を、そっと重ねた。
 女性らしい、白くて綺麗な手だ。
 けれどこの手は、もうPTの操縦桿を握ることはできない。デジタル指令書を受信するための端末を持ち上げることが、今の彼女の限界だった。
 それでも彼女は指揮官として、この部隊に残ることにした。
 本当の理由を詳しく語ってくれなかったが、彼女が居るだけで皆が心強いのは事実だ。

 「だから、あいつが隊長の栄光を取り戻すまで、俺が隊長を守ってやるよ」
 優しく微笑みかけ、クリスは千冬の瞳を真っ直ぐに見てそう告げ、ゆっくりと自分の顔を彼女の顔へ近づけていく。
 しかし彼の視線を受け止めた千冬はどこか鬱陶しげな顔して、すぐにクリスの頬をつねって止めさせた。

 「45点だな」
 「……厳しいな。65点くらい貰えると思ったのに」
 「馬鹿言え。そもそも恋人の居る男に、及第点はやれん」
 「えっ、何? セシリアと別れたら結婚してくれるって? いやでも、セシリアはセシリアでいい女だし、迷うな。三人一緒じゃダメ?」
 「最低だな、お前は」

 不真面目な態度で軽口を叩く部下に、千冬は大きなため息をつき、再び箸を手に取ったのだった。


 *


 夢を、見ていた。
 夢を、絶え間なく見続けていた。

 そして今この瞬間も、夢を見ている。
 とても悔しくて泣きそうな、嫌な夢だった。