【かいねこ】桜守 前編
「一晩、大人しくしてなければならないそうだ」
いろはは苦笑しながら、寝具の中へ身を滑らせた。
脇へ寄り、自分の隣を軽く叩いて、「どうぞ」と言う。
一瞬混乱したが、俺は何でもない風を装って、寝台に腰掛けた。
「大事ないか」
「ああ、笹井様のおかげで。腕のいい方だな」
「性格はいい加減だがな」
俺の言葉に、いろはが吹き出す。
「随分な言い種だな。自分の主人だろう?」
「お前も笑ったじゃないか」
「不意をつかれたのだ」
くすくすと笑う姿は、幼子のようにも見えた。
だからこそ余計に、彼女があの化け物に立ち向かうことが無茶に思える。
「笹井様から、山吹様のことを聞いた。気持ちは分かるが、無茶なことはするな」
「そうだな。笹井様にも怒られたよ。何度も手間を掛けさせているのに、いつも親身になってくださる。心の優しい方だ」
その言い方がどこか寂しげに聞こえ、意外な感じがした。
「竹村様は、どんな方なのだ?」
俺が聞くと、いろははふっと視線を逸らし、
「お前が羨ましいな」
かろうじて聞き取れる程の声で言う。
「どういうことだ?竹村様は、お前に」
「すまないが、少し疲れてしまった。一人にしてくれないか」
横たわり、布団を引き上げる姿に、俺は口を噤んだ。
笹井様からも、無理はさせないよう言われている。
「そうか。邪魔をしたな。ゆっくり休んでくれ」
いろはの背に声を掛けて、俺は部屋を辞した。
翌朝様子を見に行ったときには、もういろははいなかった。
笹井様に聞くと、不機嫌そうに「戻った」と言うだけ。
昨夜のいろはの様子を思い返し、彼女の真意は何処にあるのだろうと疑問が沸いた。
竹村様は、いろはを出来るだけ大切に扱っているように見える。人形のことは詳しくないようだが、人形遣いでもなければ、多少は仕方ないことだ。
何故、いろはは俺のことを「羨ましい」と言ったのだろう。
何処か蚊帳の外に置かれている感じがして、歯がゆさを覚える。
次は何時彼女に会えるだろうと、そればかりを考えていた。
作品名:【かいねこ】桜守 前編 作家名:シャオ