【かいねこ】桜守 前編
「やあ、随分丁寧にやってるじゃないか」
「あ、柿野さん」
柿野さんは、満足げに部屋を見回して、
「若いもんは仕事が丁寧だね。あたしなんか、やりたくても体が言うことを聞きやしない」
「そんなことは」
「そうそう、ついでにこっちもお願いできないかね。あたしだけじゃあ、手が回らなくてね」
手招きされ、後をついていくと、柿野さんは階段近くの壁を示し、
「ここなんだけどね。こうしてこうすると」
壁が横にずれ、通路が現れる。
「これ、隠し通路ですか?」
「そうだよ。この先は庭に続いてる」
「こんなものがあるなんて、驚きました」
「先代の道楽みたいなもんさ。いざという時に役に立つだろうと言って。そんな時は、来ないほうがいいけどねえ」
柿野さんは、しみじみとした口調で言った。
「先代というと、藤林様のお父上ですか」
「そうさ。大層なやり手でね。一代で財を成された方だ。お亡くなりになった時は、それはそれは沢山の方がお別れに来なすったよ」
「お父上と、お母上も既に・・・・・・?」
「ああ、相次いで亡くなられてね。旦那様は、大層気落ちなされていたよ。お若くして、色々なものを背負わなければならなかったからねえ」
「ご苦労なされたのですね」
「そうだよ。ああ見えて、あんたの主人より三つ若い」
「え!?」
驚きの余り、はたきを取り落としてしまう。
顔を合わせた時から、十かそこらは年上だと思っていた。
柿野さんはにやりと笑って、
「やっぱり勘違いしてたね?まあ、あんたの主人は、若く見えるからねえ」
「いや、あの、す、すみません・・・・・・」
「いいってことよ。わざとそう見せてる部分もあるからさ。あまり年若く見られると、仕事にも支障があるからねえ。誤魔化されなかったのは、あんたの主人くらいさね」
隠し通路の壁を、そっと撫でる。
「旦那様が幼い頃、良く此処に隠れておいでだったよ。人が通りがかると、飛び出してきて脅かされたものだ。あの頃は、家の中も賑やかでねえ」
柿野さんは、懐かしそうに目を細めて言った。
「旦那様にはねえ、お兄様がいらっしゃったのだよ。子供ながら穏やかでお優しい方でねえ、旦那様も大層懐いていらっしゃった」
その口調から、藤林様の兄も今は亡くなられているのだと分かる。
「お兄様は、その、ご病気で?」
俺が聞くと、柿野さんは首を振って、
「いや、妖魔に襲われたのさ。丁度、今頃の時期に。小さくても兄なんだねえ。旦那様を庇いなさって、その時に負った怪我が元で。先代も奥様も大層ふさぎ込まれてねえ。お小さいながらも、あの方は人を引きつける魅力を持っていらしたよ」
溜め息を交えながら、話してくれた。
藤林様にとっても、妖魔は仇なのだな。
だから、いろはを止めないのだろうか。
彼女があれほど無茶な振る舞いをしても、「本人の意思だから」と言って。
笹井様がいろはを追いかけようとした時に止めた、藤林様の言葉を思い返す。
『放っておけ。どうせ聞かん』
藤林様は、いろはに兄の仇を討ってもらいたいのだろうか。
そんなことを、ぼんやりと考えた。
作品名:【かいねこ】桜守 前編 作家名:シャオ