【かいねこ】桜守 前編
「・・・・・・ト、カーイトー、聞こえるか?聞こえたら、右手を上げてくれ」
右?右・・・・・・お嬢様は・・・・・・
「えーっと、右ってあれだ、箸?箸を持つほう?あれ?お前、右利きだよな?」
ごちゃごちゃと耳元で言われ、顔をしかめる。
「あ、反応あった。起きろー、朝っつーか昼だぞー。あ、そうそう、薫嬢ちゃんは無事だから、安心して起きろー」
ぐだぐだと聞こえる声が、遠い記憶を呼び覚ました。
先ほどから漂う甘い匂いに、眉を顰めながら目を開き、
「・・・・・・こぼすから、皿を使って下さい」
「大丈夫だよ。掃除すんのお前だし」
何が大丈夫なのかと睨みつけながら、俺は身を起こす。
目の前で暢気にどら焼きをかじっている男性に、ため息をつきながら、
「お久しぶりです、笹井様」
笹井様は、俺を作った人形遣い。
人形遣いとしては年若いが、腕は確かだ。腹の立つことに。
「んー、何年振りだっけ?五年?一度点検に行った気がする」
「三年です。貴方は『全く』変わりませんね」
「全く」の部分を強調して言ってみたが、相手はどこ吹く風で、
「そう?いいことだ」
「『男子三日会わざれば刮目して見よ』と言いますが」
「あれ、難しい言葉知ってんね、お前は」
のほほんと返してくるのが、余計腹立たしい。
「そんなことより、薫お嬢様がご無事なのは、本当ですか?」
「嘘ついてどうすんだよ。大丈夫、すぐに手当をしたから」
「そうですか」
その言葉に安堵した。お嬢様さえ無事なら、それでいい。
もっとも、最悪の事態であれば、俺はそのまま廃棄されていただろうが。
「お嬢様は、今どこに?」
「え?あー・・・・・・うん」
急に視線を逸らし、言いにくそうな様子に、覚悟を決める。
「梅木様のご実家に帰られたのですか?」
「うん・・・・・・まあ、そう聞いてます。娘さんの養生の為に」
「俺の修繕に、何日かかりました?」
「えーと・・・・・・二日ですかねえ・・・・・・」
「随分早いですね」
「いや、幾つか幸運が重なったからな。お前はそれなりに頑丈に作ってたから、体の方は大した傷じゃない。ただ、頭部の損傷は慎重に扱わないと、軽微な傷でも重大な不具合を起こ」
「それで、引き取りに来られるのですか?」
いきなり流暢に話し出したかと思ったら、またぴたりと口を噤んで目を逸らす。
・・・・・・だから、この人は嫌なんだ。
人形相手に、余計な気を回す。この人と話していると、まるで、自分がヒトになったかのような錯覚に陥る・・・・・・
「来られないんですね?」
「・・・・・・暫く、此処に居ればいいよ。家主の許可も取ったから」
暫くとは、何時までのことなのか。
問いつめそうになって、口を閉ざした。
代わりに、ぐるりと部屋の中を見回し、
「家主とはどなたですか?そう言えば見覚えのない部屋ですが、此処はどちらのお屋敷なのでしょうか?」
どうやら客用の寝室らしい洋間は、落ち着いた作りの家具が備えられている。
俺が寝かされていた寝台も高級な物で、かなり裕福な支援者でもついたのだろうか。
「ん、紹介するから、一緒に来いよ」
そう言って笹井様が立ち上がると、どら焼きの屑がぽろぽろと落ちる。
俺は気づかれないように舌打ちしてから、寝台を降りた。
作品名:【かいねこ】桜守 前編 作家名:シャオ