たとえばこんな間桐の話
平日。間桐家の朝。
綺麗に磨かれた窓ガラスから日の光が入り、数年前までは常に薄暗かった間桐邸の内部は明るい。
幽霊屋敷だのおばけ屋敷だのと言われたその面影は最早無く。
かつて内部を流れていた澱んだ空気も、今は清浄なそれとなっている。
そんな間桐の廊下を、ふらふらと歩く影一つ。
ご機嫌に鼻歌など歌いつつ、
「これから毎日蟲倉焼こうぜぇぇ!!」
叫ぶのは、間桐のお飾り当主、間桐鶴野。
片手には常時酒瓶。赤ら顔でハイテンションにそう叫ぶ様はどこからどう見ても酔っ払いだが、やたらと明るい為にあまり危機感やら警戒心は湧いてこない。
……台詞に着目しなければ、の話だが。
実際毎日蟲倉は焼いている。ヒャッハー!!なんて世紀末的に叫びながら。ロクに魔力も込められていない炎である為、威力はお察しだが。
遠坂の魔術なら効くんだろうなー、とか思いつつ、その内手製の爆弾で吹っ飛ばしてやろう、とか考えている。
元々間桐の支配者である臓硯に怯え暮らして酒に逃げたアル中がこんな感じになったのは、息子が蟲倉に落とされたその日。
酒に溺れたアル中状態でも息子への愛情は失っていなかったらしく、そこへ自らも飛び込んだ為だ。
幼少の頃に何度か蟲倉は体験済みで、死に掛けた事もある。それでもここまで生き延びて、得た息子だ。
魔術回路が己と同じく少ないながらもあった為に、妻である女はどうにか逃がせたものの、息子は家から出す事も出来なかった。
何とかしたいと思っている内に蟲倉行きだ。正直考えている余裕も無く、本能のまま、感情のままの行動だった。
息子は自分に似て蟲共と相性が悪かったらしく、やはり死に掛けて。
だけど生き延びた。自分が一緒にいてくれたからだと言われた時は、それはもう号泣した訳だが…。
ともあれ、そこからだ。もう開き直ってしまったのは。
どうせ死に掛けた身。そしていつか必ず死ぬ身だ。
息子も巻き込んだ、助ける事も出来ない、どうしようもない父親である自分は。
もうこの現状を受け入れて、いつかあの蟲爺に殺されてしまう日まで、全力で嫌がらせし続けてやろうと決めた。
開き直ってしまえば気は楽だった。
蟲共の影響もあったかもしれない。精神的に、やはりどこか致命的に壊れてしまってもいるのだろう。
だが、それがどうした。寧ろ好都合だ。
開き直った人間は強いし、怖い。それをあの妖怪蟲爺にも解らせてやろうじゃないか。
それに、味方も増えた。この家から逃げた筈が、結局戻ってきたお人好し。
自分に負けず劣らずぶっ壊れていて、無駄に強くなった、馬鹿で愛しい弟が。
養子としてこの家に来た娘も強かった。もう家族の一員だ。
歪み切って壊れ切ったこの家で、仲良し家族の出来上がり。ついでに忠犬までもが加わった。
ああ、楽しい。楽しくて堪らない。
心情をそのままに、浮かれた様に足取り軽く。
そうして、今日も今日とて間桐鶴野は。
間桐の色、と言われる紫よりは青に近い、ワカメ等と揶揄されるウェーブの掛かった髪を揺らしながら。
「おはようございます糞蟲爺!!ちったあ日の光を浴びやがれぇぇぇーーーっ!!」
朝一で臓硯の部屋に扉を蹴破りながら侵入し、挨拶すると同時、全力で酒瓶を投げつける。
「僕はっ!!」
一匹。
「お前がっ!!」
二匹。
「泣くまでっ!!」
三匹。
「蟲共をっ!!」
四匹。
「投げるのをっ!!」
五匹。
「やめないっ!!」
纏めて放って合計八匹。
その全ては避けられ、または相手の使役する蟲に阻まれて、“それ”に届く事無く地に落ちる。
「………当たれよ、せめて共食いしろよ、蟲が」
ちっ、と忌々しげに舌打ちをして吐き捨てる。
朝の恒例、臓硯へのご挨拶である。
殺伐としてはいるが仕方が無い。
間桐慎二。齢七歳。五歳で非処女。
蟲倉入りしてこちらも精神的にぶっ壊れ済み、もう後は余生として割り切った恐るべきショタである。
基本的にクールでドライ。年齢相応にはしゃぐ事もあるしノリが良い所はあるものの、平時では醒めた眼で世の中を見ている。
もう臓硯の事は蟲としか呼ばない。そしてその蟲が人の言葉を発しても聞かない。だって蟲だから。
今も何やら爺の形をした蟲が何やら喚いているが、当然聞かない。
さっさと朝食が用意されてあるだろう居間に向かう。
その場に残るのは、蟲の残骸と孤独な蟲爺である。掃除は使用人がするだろうし、爺も勝手にどこぞへと行くだろう。
慎二はそう断じて歩みを進める。その途中に廊下を這っていた蟲を見つけ、取り敢えず踏み潰した。
先程まで投げ続けていた蟲は、蟲倉から持ち出してきたものや、そこらにいた大小様々な蟲共だ。
最近出られる様になった外でも監視用の蟲がそこいらにいる為、暇さえあれば引っ張り出して気に食わない相手にぶつけたり壁にぶち当てて潰し殺したりしている。
それでも死滅したりはしないのだから、別にいいだろう、と慎二は深く考えずに目についたら殺していた。
蟲倉で死に掛けたり処女を散らされたりはしたが、蟲自体に恨みは無いし嫌悪感がある訳でも無い。ただ単に、あの爺の同類の様なものだから、取り敢えず潰しておきたいだけだ。
と、蟲の山を見つける。
うぞうぞもぞもぞ蠢くその様子に溜息を吐いて、無造作に蹴散らす。
出てきたのは自分が年を取ればこうなるんだろうな、と思う程に似ている男だ。
特に髪質と色がそのまんまである。並んで歩けば親子と一目でわかる。それが嫌な訳では無いが、同じすぎて苦笑しか出なかった。
「……親父、おはよう。また蟲けし掛けられたのか」
「……おー、マイエンジェール……」
未だに半分程蟲に埋もれてがじがじされている実の父にそう呼ばれ、笑顔で鶴野の顔面を踏んだ。
「………照れ隠しにしてもヒドス」
「うるさいよ親父、きもい」
「ほんと酷い!!」
素っ気無く吐かれた言葉に涙を迸らせながら、がばりと身体を起こす鶴野。
その動きに蟲が散り、それ以上鶴野に群がる事も無く、逃げる様にどこぞへと消えていった。
「毎朝の事とはいえ、懲りないな、親父」
「お前も蟲爺に喧嘩売ってるじゃないか」
「僕のは挨拶だよ。あと運動に付き合ってもらってるだけ。ずっと家の中に閉じ込められてたんだから、責任取ってそこは付き合ってもらわないと」
平然と心にもない事を言いながら、連れ立って居間へ向かう。
「あ、そういえばもう酒が無い!!どうしよう、私の命の源が!!」
「たまには酒飲まない日があってもいいんじゃないの?」
「酒瓶は私専用の武器でもあるのに!!」
「蟲投げろ。そこら中にいるだろ」
「あいつら敵じゃないですかー!!やだー!!」
「大体酒瓶なんて使い捨てにしかならないじゃん。割れるし。効率悪すぎるし。あの爺の形した蟲には効かないし」
「私のストレス解消だからやめる気は無い!!」
「今日の朝食なんだろうなー」
「この子私に興味無さすぎる!!」
きゃんきゃん喚く父親の叫びを見事にスルーしながら、慎二は居間へと続く扉を開けた。
「お父さん、お兄ちゃん、おはようございます」
作品名:たとえばこんな間桐の話 作家名:柳野 雫