死が二人を分かつまで -情炎-
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イタリア──ルカーニア。
そこは確かにイタリア政府の行政権下にありながら、完全にその管轄から外れていた。理由は至って単純明解、行儀の介入を是としない強大な勢力がルカーニアを支配しているのだ。大小合わせて三桁にはなろうかという数の、マフィア。それらは小競り合いを繰り返しながら、それでも互いの権益を多大に侵すことなく存在を続けていた。
その関係が一気に瓦解したのは一年程前のことだ。余所者、新興の組織がルカーニアに乗り込んできたのが始まりだった。その組織は手当たり次第に他を吸収・排除して、急速に勢力を拡大した。
現在、数多の組織は二手に分かれて睨み合っている。古くからこの土地に根を下ろしているヴァルガス家を頂点とする、旧来からのやり方を貫く保守派。瞬く間に影響力を強め頭角を現わした新参組織を頂点とする、利益追及を第一に掲げる革新派。二派はそれぞれに枢軸、連合と呼ばれていた。
会合は何の決定もなされずに終了した。相互協力と連合への敵対姿勢を継続することが確認されただけだ。帰途に就きながら、ルートヴィッヒ・バイルシュミットは小さく溜め息を吐いた。前を軽快な足取りで歩く我らが盟主の片割れ──フェリシアーノ・ヴァルガスは満足そうな顔をしていたが。
暗い地下道に足音を響かせていたフェリシアーノが、突然くるりと軽やかにターンした。ルートヴィッヒに向き直った彼はにこりと口元に笑みを浮かべる。目は笑っていなかった。
「あそこさ、もう駄目だね。切り捨てるよ」
「……それは、」
「あっち(連合)に傾きかけてるとこなんか危なっかしくて」
そう言ってフェリシアーノは肩を竦めてみせる。ルートヴィッヒは薄く頷いた。溜め息を聞き咎められたのかと思ったが、違ったらしい。わざわざこちらから出向いて意味のない話し合いをした利益は確かにあったようだ。望ましくないものではあるが。
脳天気な風に振る舞っているだけで、フェリシアーノは実によく事の真意を見抜く目を持っている。直に話せば隠し通せる嘘などないのではないかと思う程に。
「ところでさ、ルート」
ふっと素に戻ったフェリシアーノが言葉を続ける。が、ルートヴィッヒにその声は届かなかった。
地下道の途中にある開け放たれた扉、薄暗い室内の奥にルートヴィッヒの視線は釘付けになっていた。いかにも金持ちであるという格好をした人々の群の向こうに、眩い光に照らされたステージがある。そこには強かな顔をした男と、檻に入れられた何かが存在している。ぺたりと座り込んでいるそれは人間の形をしていながら、耳と尾が生えていた。形状からして犬、だろうか。
それは所謂「獣人」と呼ばれる生物だった。彼らは人間に極めてよく似た姿をしているし、言葉を理解し操る。だが扱いは動物と同等、若しくはそれよりも劣悪だ。今目の前で行われているような闇オークションで売り叩かれることも珍しくはない。特にここ、ルカーニアでは。
「では10から」
売り手の言葉にあちこちから声が上がる。
ルートヴィッヒは吸い寄せられるように室内に足を踏み入れた。獣人が物珍しかった訳ではない。彼らは金持ちの道楽の1つとして世間に浸透している。ルートヴィッヒが目を奪われたのは、その獣人の容姿だった。白にも見える銀髪と紅い瞳──アルビノ。それは獣人にしては稀な特徴だ。
が、それよりもルートヴィッヒを引きつけたのは、彼の顔立ちだった。俯いていてよくは見えないが、それでも確かに。
「こちらを…こちらを、向け」
ルートヴィッヒは口の中で呟く。声が聞こえた筈がない、けれどぴくりと耳を動かした獣人が、何かを探すかのように顔を上げ視線を彷徨わせる。息が、詰まった。
ルートヴィッヒは考えるよりも先に行動していた。人込みを掻き分け、ステージに足をかける。着ていた黒のロングコートで檻を覆うと、闖入者に室内はざわめいた。
「200だ。それ以上出す奴はいるか」
努めて静かに声を発すれば、ざわめきは別の雰囲気を帯びる。額が余りに高いことに加えて、無粋者が一体誰なのかに気付いたのだろう。この街においてルートヴィッヒの顔を知らないのは余所者か一般人、余程の下っ端くらいのものだ。その程度にはルートヴィッヒは顔が売れている。ブローカーから声が掛かるが、それ以上の値をつける度胸や懐の余裕がある者はいないようだった。
この獣人が言わば「本日の目玉」かつ最後の商品だったらしく、人がぞろぞろと捌けていく。
「ルート、」
「フェリ……済まないがこのまま帰っても?」
完全に他の客がいなくなってから室内に入ってきたフェリシアーノに、ルートヴィッヒは小切手を切りながら問う。ブローカーは思いがけない収入にほくほく顔だ。それを侮蔑的な視線で一瞥し、フェリシアーノは勿論だよとにこやかに答える。目はやはり──笑っていなかった。
枢軸において、人身売買は御法度だ。武器の密輸、麻薬取引などもそうである。獣人は一応ペットに入れられる部類だが、フェリシアーノとしては面白くないのだろう。
仮にもこの辺りは枢軸の支配下だ。商売をするには儀礼的に報告をしなければならない。もしそれがきちんとなされていたのなら、今ここで獣人は売られていなかった筈だ。場所だけ見れば昔から容認されているオークション会場だが、ブローカーは恐らく丁度いい会場を拝借しただけだろう。
どこの管轄だっけ、とフェリシアーノが小さく呟く。配下だからと言って全てに目を光らせている訳ではないから、常習的に規律違反をしている可能性もあると踏んだようだ。十中八九、近々措置が講じられるに違いない。
「じゃあ車、呼んどくね?」
「あぁ、頼む」
明らかに立場が逆転していると思いながらも、ルートヴィッヒはその好意に甘えさせてもらうことにした。仲間内において──大概の場合、ではあるが──フェリシアーノの行動には打算というものがない。
ブローカーに鍵を開けるからと声を掛けられ、檻にかけていたコートを取り払う。現われた、自分をじっと見つめてくる紅の瞳に、充足感と共に悲哀が込み上げるのを誰が止められただろうか。
◆ ◇ ◆
男に乗せられた車の中で、革張りのシートに座って俺は体を縮こまらせていた。
先程まで何も着ていなかった体には男のコートがかけられている。俺の鼻は敏感に布に染み込んだフレグランスと煙草の臭いを嗅ぎ取った。余りいい気分は、しない。
ぐるぐる喉を鳴らしてしまいそうになるのを抑えながら、俺は男を盗み見る。男は金髪をきっちりとオールバックにしていて、生真面目そうな印象を受けた。深い湖の色みたいな碧い瞳は少しだけ綺麗だと思う。思うけど、警戒を解く気にはとてもなれなかった。どうせこの男だって、今までの奴等と一緒だ。気を許すことなんて出来る筈がない。
作品名:死が二人を分かつまで -情炎- 作家名:久住@ついった厨