死が二人を分かつまで -情炎-
思いがけず見付けた面影に胸の疼痛が呼び覚まされる。側に置かずにはいられなかった、他人のものになるなど考えられなかった。けれど近付けば近付く程、苦しさは跳ね上がる。失われたものを取り戻したくて心が喘ぐ。
ギルベルト、口の中で呟いて、ルートヴィッヒは額に口付けを落とす。月光は変わらず夜空から降り注ぎ、ギルベルトの銀髪を煌めかせていた。
◆ ◇ ◆
明るさと暖かさとに俺の意識は眠りの底からゆっくりと浮上した。ぱちりと目を開けると清潔そうな白が視界に飛び込んでくる。寝惚けた頭でおかしいな、と思う。広々としたベッドで寝るのが何だか怖くてソファで寝た筈なのに。ソファの布地は濃い青だった。それなのに今見えているのは白。
変だ、明らかにおかしい。眠っている間に自分で移動した訳ではないだろう。とすれば誰かが俺をソファからベッドに移したんだということだ。誰か──というとルートヴィッヒくらいしか俺には考えられない。でもそれでもおかしさは付き纏う。
誰かが部屋に入ってきて俺に触れたなら、俺は目覚めていなければならないのだ。今までだって、部屋の扉が開かれた瞬間に意識が覚醒していた。それなのに今回はうっすらとでも起きた記憶がない。気付けないくらいに深い眠りに引き込まれていたのだろうか。そこまで俺は、リラックスしていたのだろうか。与えられた部屋、誰かの気配が残るここで?
信じ難い、実に信じ難い。ふるふる頭を振りながら俺はのんびりと体を起こす。伸びをしてこしこし目を擦っていると、廊下を進んできた足音が扉の前でぴたりと止まった。小さなノックの後、静かにドアが開かれる。無意識的に体が強張るが、それはすぐに解消された。入ってきたのが、ルートヴィッヒだった、から。
「あぁ、起きていたのか」
「ん、今起きたとこ」
ルートヴィッヒは流石に昨日みたいにきっちりとしたスーツに身を包んではいなかった。でも詰まったシャツの首元は、ネクタイを締めたら如何にも格好良さそうな様子だ。スラックスもシンプルな黒だし、これからちゃんとネクタイして上着も羽織るのかなぁ。
体格いいから似合うよな、かっちりした格好。ひょろひょろで生っ白い俺には絶対にそんなの似合わない。着てるっていうか着られてるようにしか見えないだろう、十中八九。あぁ、自分で言ってて悲しくなってきた。
地味にヘコんでいる俺を余所に、ルートヴィッヒがカーテンを開けていく。途端に差し込んでくる眩しい朝日に俺は目を細めた。外で鳥が囀っているのが微かに聞こえてくる。こんな穏やかな朝を迎えるのは、いったいいつ振りだろうか。つくづく自分は運とかそういうものに恵まれていないと思う。
「Guten Morgen」
まだベッドの上にいる俺に、ルートヴィッヒがそう言って身を屈めてくる。でもそれは途中で急停止した。難しい顔で固まった後、気不味さを拭うようにくしゃくしゃと頭を撫でられる。
何、するつもりだったんだろ。
「……Morgen,Lutz」
気恥ずかしくてぼそぼそ口の中で呟くと、ルートヴィッヒは少し驚いたような顔をして、それでも薄く微笑んだ。柔らかく髪を混ぜられて俺は微かに尻尾を振る。こいつの手ってデカくて気持ちいいから好きだ。暖かくて何か安心、する。
ベッドに座ったまま見ていると、カーテンを全て開け終わったルートヴィッヒは徐にクローゼットを開いた。中には綺麗に整理された服が並んでいる。迸る他人の気配に、俺はどうしようもない疎外感を感じずにはいられなかった。堪らずに目を逸らす。
一見新品ばかりのそれらは、それでも誰かの趣味で選ばれてその人物に着られていたことが明白だった。この部屋の元住人、ここにいるべき筈の人。どうしていないのか何があったのかは分からないし、尋ねることが俺に出来る訳もない。ここを宛行われたのは単なる偶然なんだろうか、それとも。
「朝食は食べられそうか?」
言いながら差し出される服。俺はそれを受け取るより他にない。
気分が悪いこともなく寧ろ空腹だったから、こくりと頷いておく。着替えたらダイニングに来いと言い置いてルートヴィッヒが部屋から出ていく。完全に足音が行ってしまうのを待って、俺は渡された服をベッドに投げ出した。拍子に起きた風で綺麗に畳まれた服が広がる。白いカッターシャツと、濃紺のスラックス。鼻先を寄せてみるが香るのは洗剤と太陽の匂いばかりだった。誰とも知らない奴の匂いがするよりはマシ、なんだろうか。
でも俺の心は隠されている真実を知りたがっている。その欲求を満足させるには、きっと何かしらの手掛かりがあった方がよかった。朝から盛大に気分が落ち込むことになる気がするけど。
って、そんなことを考えている場合じゃなかった。あんまり待たせたら悪いし怒られるかもしれないし、早く着替えていかないとな。俺は着ているパジャマをもそもそ脱いで、手早く服を身に着ける。そんな筈はないのに、それはまるで俺の為に作られたかのように着心地がよかった。少しだけ気分が持ち直す。自分に合うちゃんとした服を着るのは、何だか凄く久し振りだった。色々ある中から合いそうなのをルートヴィッヒが選んでくれたのかと思うと、ちょっとこそばゆいような温かい気持ちになる。
あいつならもしかして、心の声が呟くのを俺はふるふると振り払う。それはまだ早いし、怖い。だって──。
また考え込んでしまいそうな自分に気付いて、俺は漸く部屋を出た。
昨日通った道順は何となく頭に入っていたから、それを逆に辿っていく。長い廊下を歩いて、階段を下りて、右に曲がって。人の気配がする辺りの様子には、確かに見覚えがあった。ここだと確信を持って扉を開く。
小規模なパーティーを開けそうなダイニングにはルートヴィッヒしかいなかった。運ばれてきてから余り時間が経っていないだろう朝食がテーブルの上に乗っている。難しい顔をして何か──書類らしきものを読んでいたルートヴィッヒは、俺を見ると少し表情を緩める。視線で促されるままに席について、俺は食事に手を伸ばす。前に、自然に十字を切った。無意識に出るから多分癖みたいなものなんだと思う。
それをルートヴィッヒが食い入るように見ていた気がするけど、思考はパンを口に入れた瞬間にそっちに持っていかれてしまった。何だこれ、美味しい。このふかふか具合が俺好み。サラダもヴルストも自分でも驚くくらいにぺろりと平らげて、最後に牛乳で喉を潤す。夕食も美味しくてヤバかったし、腕のいいシェフ雇ってるのかも。
カップを置いてほっこり和んでいると、ちらりと腕時計に視線を落としたルートヴィッヒが隣の椅子にかけてあった上着を手にした。さういえばいつの間にかネクタイ、してる。
「俺は仕事にいくが、好きに過ごしていてくれ。この屋敷の敷地内ならどこに行っても構わない」
「、ぇ」
俺ってもしかして一人にされるのかと思ったら、勝手に非難めいた声が口から飛び出していた。
作品名:死が二人を分かつまで -情炎- 作家名:久住@ついった厨