死が二人を分かつまで -情炎-
慌てて口を閉じるけど、絶対聞かれた、よな。でもでも、一人で放っとかれてもどうしていいか分かんないし。執事とかメイドとかと一緒に留守番とか、何してればいいんだろ。それに俺のことよく思ってないだろうし。じっとしてるより他、ないよなぁ。
考えれば考える程テンションが落ち込んで、ぺたんと耳が伏せるのが分かる。何やってんだ俺、下手にどうこうされるより放っておかれる方が余程いいのに。
「……一緒に来るか」
やおら投げられた言葉に俺は過剰なくらいに反応してしまった。
「え、ぁ、でも邪魔に、」
「そうそう邪魔にはならん。来るか?」
別に怒った風も呆れた風もなく、立ち上がったルートヴィッヒが手を差し出してくる。ここで尻込みしたら置いていかれそうで、俺は怖々とその手を取った。途端にそう強引にでもなく引き寄せられてぽすりとルートヴィッヒの腕の中に収まる。わ、わ、何されんの俺。心の準備が出来ないまま、抱き締め、られた。
あれ?痛いことされるかと思った、のに。ちょっと遠慮がちに回される腕が何か新鮮だ。表情が見たくて首を動かすけどルートヴィッヒの顔は視界に入らなかった。身長、そんなに変わんないんだな。体格差で俺の方が小さく見えるけど。
「お前はもっと甘えることを覚えるべきだ」
独り言みたいに耳元で囁かれた言葉に、俺はぞくりと体を震わせる。こんな近くでそんな声、出すなよ。耳弱いんだからな。
赤面してるのが恥ずかしくて離れようとしたけど、ルートヴィッヒは暫く腕を解いてくれなかった。俺からルートヴィッヒの顔が見えないんだから、俺の顔もルートヴィッヒに見えてないかな。でも妙に早鐘を打ってる心音には、きっと気付かれたんだろう。
碌に目を合わせられない状態のまま、ルートヴィッヒに連れられて屋敷を出る。玄関の前には、昨日と同じかは分からないけれど、一目で高級と知れる車が待機していた。側に控えていた黒スーツの男が車のドアを開けて、ちらりと俺を見る。ぞくりと嫌な感覚が走って唸り声を上げそうになる。それを必死で耐えた。
あぁでもアレ、いつもの目だ。人間が俺を見る時の目。気持ち悪いって、禁忌の子だって言って、俺のことを嬲りものにする奴らの目。見るな見るな見るな俺をそんな目で、見るな。息が上手く出来なくて浅い呼吸を繰り返す。
足を止めてしまった俺の肩にルートヴィッヒがそっと手を置いてくる。服越しに伝わる体温に少しだけ安心した。努めてゆっくり深呼吸をして嫌な感覚を追い出し、優しく誘われて車に乗り込んだ。
車は実にスムーズに──スムーズ過ぎるくらいに道を進んでいく。何だこれ、何で前に全然車いないんだ?というか対向車ま皆無だし。そんなに早い時間でもないのにおかしい。
むぅと眉根を寄せたら、狙い澄ましたかのように答えが目に飛び込んできた。開かれたデカい、門扉。もしかしなくても今まで通ってたとこって敷地の中、だったりするん、だよな。玄関に辿り着くまでにどんだけ距離あるんだよ。というか玄関までの車道を二車線にしてるのとか初めて見た。
ルートヴィッヒってもしかして、希少価値つくくらいの金持ちだったりするんだろうか。でもその割には嫌味っぽいところないしなぁ。華美にしてるでもないから何かこう、らしくない。ストイックな黒スーツを完璧に着熟しているルートヴィッヒを俺は見つめる。と、不意に上がった視線と目が合ってしまった。
「どうかしたか?」
これがいつもの通勤風景ですが何か、と言わんばかりに向けられる視線。
あぁ駄目だ、完全に住む世界が違う。持つ者と持たざる者の差を見せつけられた気がして、今更ながら軽くヘコむ。神サマって凄く不公平だよな。博愛精神を取り戻してくれると涙が出る程に嬉しいんだが。
ルートヴィッヒに何でもないと応えかけて、だけど俺は頭を擡げた好奇心を押さえ込むことが出来なかった。
「あのさ、あの敷地って…どれくらいあるんだ?」
「……8000平方メートルは下らなかったと思うが」
へー、もう広大過ぎてどれだけ凄いのかとか分からなくなってきたんだけど。普通の家の敷地ってどれくらいなんだっけ。前の飼い主のとこもかなり広かったけど、あれってどれくらいあったんだろう。取り敢えず想像つかないくらい広いってことでいいか。きっと端から端まで見ても同じ感想しか抱けないだろうから。比較出来るものとかあったら俺にも分かりそうなのにな。暇と機会があったらちゃんと調べてみよう。無駄にはならない筈。
とか何とか風景を見ながら考えていたら、車がゆっくりとスピードを落とした。ホテルみたいな感じの正面玄関にぴたりと横付けされる。時間にして20分くらいだったからそんなに遠くまでは来ていないらしい。ルートヴィッヒがドアに手を掛けるがそれよりも早く、中から出てきた男がドアを開いた。
「お早う御座います、社長」
「あぁお早う」
人と擦れ違う度に挨拶を交わしながらずんずん進んでいく背中を、見失うまいと俺は必死で追い掛ける。結構若そうなのに社長って、やっぱり親の後を継いだとかそういう部類なんだろうか。つくづく生まれの差って厳しいと思う。
それにしても、さっきから出会う人間という人間は皆、いかにも普通の会社員といった様子だ。どう見ても堅気っぽくないけど、単に金持ちなだけなのかな、ルートヴィッヒって。
──なんて、そんなことある訳がなかった。
連れられていった先、最上階の6階には不穏な空気が充満していた。別に今すぐ何か起こりそうとか、そういうんじゃない。こびりついた硝煙の臭いが嫌なことを連想させただけだ。この階にいる奴らは他から違って、物騒な雰囲気を纏っているのが多い。何で銃携帯が標準なんだろう、そんなに危ないのかここ。帰りたくなってきたんだけど。
ルートヴィッヒから離れたら何か起きそうで怖くて、俺は小走り気味についていく。不審げに自分に向けられる視線が不安を煽ったのかもしれない。明らかに場違いだって分かってるからそんな目で見ないで欲しい。さっきとは別の意味で呼吸が浅くなる。
そんな風に絶えず緊張していたものだから、漸く目的地に着いたらしいルートヴィッヒが足を止めた時は心底ほっとした。嗅覚が鋭いのも考えものだよな。知りたくない情報まで分かるとか困るし、精神的に非常に負担になる。特にこういう、マフィアがのさばっている街では。
小さくノックをした後にルートヴィッヒが扉を引き開ける。部屋の様相に俺は暫くぽかんとしてしまった。
一言で言うなら、複数人が自分が一番リラックス出来る場所を持ち寄った、そんな風体。何とも形容し難いコラボレーションをしているインテリアが、おかし過ぎて逆に調和しているような錯覚に陥る。俺、ここに入らなきゃ駄目なのかな。通常の感覚とか常識とかいうものがコンマ1秒で崩壊しそうなんだけど。というか確実にするだろ、これは。混沌としてて目が当てられない、当てたくない。
それなのにどうしてルートヴィッヒは平然と中に入っていくんだ。もうこれの餌食になった後なのか。だとしたら何というか、とても同情する。
「あ、お早う御座います、ルートヴィッヒさん」
作品名:死が二人を分かつまで -情炎- 作家名:久住@ついった厨