死が二人を分かつまで -情炎-
部屋の入口で躊躇していた俺は、いきなり聞こえた声にびくりと体を震わせた。俺からは死角に入っているのか見えないけれど、中に人がいたらしい。声音からしてルートヴィッヒと親しそうな感じだ。
「お前こそ早いな、菊。フェリシアーノたちはまた重役出勤か?」
「そのようですね。ほら、昨日テレビで恋愛映画やってたじゃないですか。恐らくそれかと」
「あぁ、好きそうな話だったな確かに」
ぽんぽんと飛び交う言葉。やっぱり親しげなそれに、俺は更に部屋に入り難くなる。入っていったら邪魔だろ、絶対。ついてきたりするんじゃなかった、大人しく待ってればよかった。今更後悔しても遅いことがぐるぐる頭の中を回る。
だっていうのに。俺がまだ部屋の中にいないことに気付いたルートヴィッヒは、おいでと俺を手招くのだ。逆らえないって分かってやってんのかな。ついでに俺が入りたくないと思ってるのとかも。死地に自ら突っ込んでいかなきゃいけないのか俺は。
いやいやちょっと待て、今までの苦境を思い出せ。あれに比べれば目の前の混沌空間に足を踏み入れることなんて造作もない筈だ。よしいける、頑張れ俺。
意志に反してなかなか言うことを聞いてくれない体をどうにか動かして室内に入る。後ろ手に扉を閉めるといよいよ逃げられなくなったようで嫌な汗が出た。なぁ、本当に何なんだこの部屋。
形式からして3つのブースが存在しているのは分かる。分かるけど理解は出来ない。不協和音が物凄いのに誰か気付いてくれよ頼むから。
ブースの1つ目はルートヴィッヒがいる辺りで、全体的にモダンで色目が少ない家具が置かれている。無駄なものを一切排除したら結果こうなった、みたいな風だ。
2つ目は猫脚とか、柔らかくて優雅な印象を受ける家具が並んでいる。隅の方にあるのはカンバスだろうか。随分と芸術家肌の奴がいるらしい。
そして3つ目は、床が底上げしてあって緑色のものが敷き詰めてある。そこが一番異色だった。所謂東洋趣味、というかそのもの。脚が短いテーブルの各辺に対して平らなクッションが配置されていて──ルートヴィッヒと喋っていた男が、その1つに座っていた。真っ黒な短髪に黒曜石を連想させるこれまた真っ黒な瞳。黒いスーツを着ているからそいつは実に見事に黒づくめだった。
俺がじっと見ているのに気付いたのか、そいつはにこりと微笑んでみせる。う、何かそこはかとなく怖いんだけどこいつ。腹に一物抱えてそうっていうか何ていうか。
「初めまして、私は本田菊。ルートヴィッヒさんの同僚です」
宜しく、そう言って頭を下げられて俺は非常に、焦った。
そんな風に名乗られたことがないものだから、どう返していいやらさっぱり見当がつかない。
困ってルートヴィッヒの側に寄ると、おやおやとでも言うように──菊、だっけ?に笑われる。だってしょうがないだろ、何て言ったらいいのか分かんないんだから。耳も尻尾も垂れさせて広い背中を見つめると、ルートヴィッヒは苦笑を浮かべて俺の頭を撫でる。声にも僅かに笑みが含まれていた。
「済まんな、俺にもまだ余り慣れていないんだ。ほら、挨拶くらいしないか、ギルベルト」
「え、と…初め、まして?」
でいいのかなぁ、俺はルートヴィッヒの後ろから菊の様子を窺う。
菊は俺とルートヴィッヒの死角になりそうでならない位置でガッツポーズをしていた。あ、何か凄くいい笑顔。唇の動きで呟いたことが分かったんだけど、『こみけ』って何なんだろう。ミステリアスな奴。東洋人って皆こんな風だったりするのかな。興味あるけど何か怖いから聞かないでおこう。
菊はちょっとしてから我に返ったようにはっとして、俺に向き直った。満面の笑みのお手本みたいな顔のまま、仲良くして下さいね、と告げられる。こくこく頷く俺に、ルートヴィッヒと菊は実に生暖かい目を向けてきた。ちっこい子供を見るみたいにしないで欲しい。俺だって一応、20かそこらは生きてるんだから。
抗議にごくごく小さく喉を鳴らしてみたけど、それは仕事に本格的に取り掛かった2人には届かなかった。ちぇー、と唇を尖らせながらルートヴィッヒの側のソファに腰を下ろす。好きにしていていいとは言われたものの、余りちょろちょろしてたら鬱陶しいだろう。ここで大人しく色々観察してよう。
そう思って気に入る位置を探していたら、ソファと壁の間に何か挟まっているのが見えた。結構な大きさのものだ。俺は好奇心に駆られて隙間に手を突っ込み、それを引き摺り出す。すぽんっ、勢いよく現れたのは、黄色い塊だった。滑らかな触り心地の布、中は綿じゃなくて細かいビーズみたいなのが一杯詰まってる感触がする。有り体に言えばそれはいやに大きなクッションで、ついでによく見てみたら小鳥の形をしている。
か、可愛いじゃねぇか。何で隙間なんかに押し込められてたんだろ。こんなに、こんなに抱き締めると気持ちいいのに。落っこちて誰も気付かなかったんだろうか。なくなってたら目立つと思うんだけど。
あぁでもそんなこと、どうでもいいや。俺は今、こいつを思う存分もふもふしていられたら幸せだ。もぎゅうと全身を使って体の内側に抱き込んでソファに寝転ぶ。
円らな小鳥の瞳を見つめているうちに、俺は次第に眠りの中へと誘われていった。
ふわふわゆらゆら、意識がゆっくりと浮上していく。何だか周りが煩い気がする。くぁ、と欠伸をしながらうっすらと目を開く。
と、途端に鮮やかなエメラルドグリーンが飛び込んできた。
「あ、起きた」
「ふぁ?!」
間近で上がった声に俺は小鳥クッションを抱えて身を縮める。
何度か瞬きを繰り返してよく見ると、エメラルドはソファの脇に屈んでこちらを見ている奴の瞳だった。それも獣人──多分猫、の。好奇心の強そうな目が俺をじっと捉え、尻尾はゆったりと揺らされている。
「ロヴィー! なぁロヴィ、この子起きたでー!」
西の訛り全開の喋り方でそいつが叫ぶ。ああぁこんな近くでデカい声出すな、煩い。
俺は顔を顰めながら、声が向けられた方に視線を遣る。そこは丁度、部屋の3つのブースの中で誰もいなかったところだった。猫脚家具とか置いてあるところ。そこに、実に見事にそっくりな容貌をした男が2人立っていた。1人は昨日見た、ルートヴィッヒと一緒にいた奴だ。そいつは明るい顔で、もう1人は余り興味のなさそうな顔で、こっちに向かって歩いてくる。
ちょっと、ちょっと待て何これどういう状況なんだ。俺が眠りこけてる間に何があった。というかルートヴィッヒも菊も何でそんなにこにこしてこっち見てんだよ。助けてくれたりとかしないのか。そんな気これっぽっちもないってのか。
うーっと低い声で唸ってみるけど、2人は全く意に介さない。こっち来るな、来ーるーなー。目で必死に訴えても、駄目。こいつら空気読むとかそういうこと出来ないのかよっ。
なんて考えているうちに、ソファの脇には3人が並んでしまった。座面の前部を塞ぐような形で、俺はソファに閉じ込められたようになる。あの、な。これは何の苛めなのか教えて欲しいんだけど。俺が困るのがそんなに楽しいのか。
おろおろする俺を余所に、昨日ルートヴィッヒと一緒にいた奴がのんびりと口を開いた。
作品名:死が二人を分かつまで -情炎- 作家名:久住@ついった厨