死が二人を分かつまで -情炎-
忠告をしてくるなど珍しいこともあるものだ。しかも入れ込むななどと──こちらを気遣うような。ルートヴィッヒは口を開きかけたが、ロヴィーノが先手を打った。追い払うような仕草で退室を促されてしまう。それは食い下がったところで何も言わないという明確な意思表示だ。そう決めたなら彼は梃子でも喋らないに違いない。
軽く溜め息を吐いてルートヴィッヒは部屋を出た。
入れ込むな、か。
廊下を歩きながら口の中で呟く。そんな忠告を受ける程に自分は傾倒しているのだろうか。偶然に出会ったあの、獣人──ギルベルトと名付けた彼に。そんなことはないと否定することは、生憎とルートヴィッヒには出来なかった。
一目見た瞬間に心を動かされた。手に入れなければ、と思ったのだ。
それは欲求などではなく、義務の色を帯びていた。足が手が口が勝手に動いた。己にも理解不能な程の激しい衝動につき動かされて、ふと我に返った時には腕に痩せた体を抱いていた。
様子こそ違えど、それは確かに。脳裏に浮かびかけた思い出の断片をルートヴィッヒは消し去る。懐古している場合ではない。気が乗らないことは抱え込まずに出来るだけ早く処理するに限る。となれば、ギルベルトを探さなければ。フェリシアーノ、アントーニョと一緒にいるだろうから騒がしい部屋を見付ければいい。
階下に足を運びながらルートヴィッヒは耳を澄まそうとし、しかしそうするまでもなくギルベルトを発見した。開けっ放しのリビングの扉から顔を覗かせている。足音を聞き付けたのだろう。彼は尻尾を振りながらぷーっと頬を膨らませてみせる。
「ルッツ遅いー」
おそーい、と室内にいる2人の唱和が飛んでくる。
ルートヴィッヒは苦笑しながらギルベルトを手招いた。何の疑念もなくとてとてと寄ってきた彼は、手中の箱に興味を示したようだった。きょとり、瞳が瞬かれる。だが決して手を伸ばしも中身を尋ねてきもしない。
どの飼い主だか知らないが余程手の込んだ躾をしたものだと、ルートヴィッヒは内心で吐き捨てた。ギルベルトの手前、努めて顔に出さないようにしたが。
「フェリシアーノ、部屋を一つ借りても?」
「なぁに、内緒の話? 用意終わってる筈だからいつもの客室使っていいよ」
箱を見留めたフェリシアーノが含みのある笑みで答えを寄越してくる。ギルベルトのことを歓迎しながら、彼もまた、ロヴィーノと同じで全面的にその存在をよしとしている訳ではないのだ。
フェリシアーノの場合、兄とは違って直感やそういった類のもので判断した結果ではあるけれど。ただ彼の怖いところは、その直感がほとんど外れないことだ。大占い師も真っ青の的中率には敵だけでなく味方も一目置いている。勿論ルートヴィッヒも。
ギルベルトを連れて客室に向かいながら、ルートヴィッヒはずっと背中にフェリシアーノの視線を感じていた。
よく使わせてもらう客室には、既に持ってきた荷物が運び入れてあった。荷物と言っても着替えや細々した日用品が少しばかりな為、それ程多くもない。ギルベルトにも別に部屋が用意されており、彼の荷物はそちらに行っているから、置いてあるものの大半は元々この部屋にあるものだ。
ルートヴィッヒはソファに腰掛けると、自分の隣の座面をぽんぽんと叩いた。ここにおいで、と子供にするような仕草だが、ギルベルトに気にした様子はない。寧ろ嬉しそうな気配さえ見せて隣に納まってくる。近過ぎも遠過ぎもしない、絶妙な距離だ。
買い上げた当初は間に人が2人も座れる程だった。それが打ち解けるに従って、少しずつ少しずつ詰まっていった。ギルベルトがごく間近に抵抗なく来るようになったのは意外に最近のことである。その距離を、また大きく離してしまうかもしれない。そう考えるとルートヴィッヒは一気に憂鬱な気分になる。
それならば渡さなければいいと思いもした。しかしそうもいかないのだ。申請と登録はもう済んでしまった。受理はすんなりといっても削除はすんなりといかないだろう。何せそういう趣旨の制度なのだから。圧力でも掛ければ簡単に解決する問題だが、権力や財力は安売りするものではない。ここぞという時に効果的に使わなければ。
そっと息を吐き、ルートヴィッヒは箱の蓋を外していく。興味津々に見つめていたギルベルトの目が現れた物を捉える。
それは正しく、どこからどうみても首輪だった。
黒の鞣し革に銀の金具。余計な装飾のない、ごくシンプルなもの。とはいえ素材から形状から指定して作らせたものだから、首輪にしては法外な額がかかっている。
そこまでしたのは常に身に着けることになるからだ。出来るだけギルベルトに不快な思いをさせたくなかった。だから革は肌触りのいいものを、金具は重くないものを選んだ。縛り付けたい訳ではないのだ、決して。ギルベルトにこの首輪を嵌めることが即ち、ギルベルトを自分の所有物だと主張することであったとしても。
何も言おうとしないルートヴィッヒにギルベルトは困り顔になる。それから怖々とルートヴィッヒの手に自分の手を重ねた。
「つけて、くんねぇの? これ」
「いいのか?」
「ん、」
確認の言葉に振られる首の方向は縦。向けられる視線はどこまでも真っ直ぐで真剣だ。無理をしている様子はない。
ルートヴィッヒはゆっくりと首輪を取り上げ、ギルベルトの首に回す。生白い肌に、それはやけに重々しく映った。しかし実際のところ軽いそれは、手を放してもギルベルトに不要な負担を強いることはなかった。
試すように軽く身動きをしたギルベルトが、ふっと表情を緩ませる。ぱたぱたと尻尾を振りながら擦り寄ってくるのがおかしくて、ルートヴィッヒは苦笑を漏らす。こんなもの、与えられて嬉しい筈もないだろうに。だがその反応はルートヴィッヒの気持ちを少しだけ軽くさせた。こうしたのは間違いではなかったと、そう思わせてくれた。
間近にある旋毛に僅かに口付けると、擽ったそうにくふくふと笑いが零される。そっと絡められた指を握り返そうとした時──お前ら何してんだ、というロヴィーノの声と共に部屋の扉が開かれた。
転がり込むようにして室内に入ってくるのはフェリシアーノとアントーニョだ。目が合うと2人は微苦笑を浮かべる。
「盗み聞きしてんじゃねーよ、全く」
「ヴェーだって気になるんだもん」
理由になってないぞちくしょー、言いながらロヴィーノがちらりとギルベルトに目を向ける。首に自分の渡した首輪が嵌っているのを見取ると視線はすぐに外された。
フェリシアーノと一緒に怒られているアントーニョの首にも、首輪はきちりと嵌められている。真っ赤なエナメルのそれはやはり特別製で、いつだったかロヴィがくれたんやでー、と嬉しそうに話しているのを聞いた気がする。その時のアントーニョといい先程のギルベルトといい、ルートヴィッヒには反応が不可解でならない。もし自分が彼らの立場なら嫌だと思うのだが。
人間と獣人の思考の格差などないだろうに、どうしてそうも態度が違ってくるものか。ルートヴィッヒは首を傾げるばかりだった。
作品名:死が二人を分かつまで -情炎- 作家名:久住@ついった厨