凌霄花 《第一章 春の名残》
内匠頭は彼を取り囲んでいた侍たちに、取り調べのため別室に連行されて行こうとしていた。
その様子を、短慮だ、乱心だと鼻で笑う大名もいたが、彼に同情する大名も少なからず居た。
彼等は、内匠頭を哀れそうに眺め、溜息をつくと各々の持ち場へと戻って行った。
人気が無くなった松の廊下に残っているのは淡路守ただ一人となった。
彼は、血が染みついた畳の傍に立ち友の無念を慮った。
「無念であろう…」
我慢が出来ないほどの、酷いいじめ。
それに気付いていながら、助けられなかった自分を悔いた。
そして、何者かに羽交い絞めにされたことで、憎き敵に止めを刺せなかった武士としての無念さに心を痛めた。
その彼の傍に、男が寄って来た。
「…殿、早く御召し替えを」
「…あ? あぁ」
淡路守は家臣であるその男と、控室に下がって行った。
彼はこの後、着替え所ではなくなった。
先ほどの男を怒鳴りつけ、有り余る怒りで一発殴った。
なぜなら、彼こそが内匠頭を羽交い絞めにした男、梶川与惣兵衛(*13)であった。
「…殿は、その現場をご覧に?」
大まかな事件の流れを藩主綱條から聞き終えた助三郎は、そう聞いた。
すると、藩主は顔を歪め手を握り締め不快を露わにした。
「すべて終わってから、報告だけを聞いたのだ。あの、あの腹黒い柳沢に!」
あまりにすさまじい形相に、それまで黙っていた早苗がそっと声を掛けた。
「殿。あまり苛立ちますと、お身体に障るかと…」
その声で我に返った綱條は、深呼吸をすると穏やかな口調に戻した。
そして事件後、内匠頭が切腹の沙汰を受けるまでを話し始めた。
作品名:凌霄花 《第一章 春の名残》 作家名:喜世