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凌霄花 《第一章 春の名残》

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〈12〉約束



「…どうだ? 様子は?」

 助三郎は一足先に赤穂に帰って見張りを続けていたお銀を労いがてら、眼下の様子を聞いた。

 早苗はクロと家で留守番。故に、久しぶりに妻に見送られての出勤だった。
 すこしばかりだが幸せな気分を味わった助三郎だった。
 彼とは対照的に、お銀は不満があったようだ。

「…どうもこうも無いわ。全然話し合いに進まないの」

 その日は赤穂在藩の藩士皆を集めての大評定。
すこしくらい屋根裏で声を上げても気付かれないくらい、大広間はうるさかった。
 
「休憩してろ。俺が見張ってるから」

 眼下はお銀の言葉通り、『評定』ではなく『混乱』だった。




「大学様が閉門!?」

「だそうだ。しかもな…」

「なんだなんだ?」

「…吉良様は存命だと!?」

「だったら、なんで殿は腹を切らねばならんのだ!?」


 赤穂には様々な情報が次々に届いていた。
 一つは、浅野内匠頭の弟で嗣子であった大学長広が謹慎処分にされた事。
 それは、御家存続が絶望的である事を示していた。
 それに追い打ちを掛けるように、赤穂城を受け取りにやって来る大名の名前も報せの中にあった。
 
 そして、二つ目。
 それは、吉良上野介の生存。

『喧嘩両成敗』の世でこれは異常な事だった。
互いに同じ罰を受けるのが普通。一人が切腹もう一人はなんのお咎めも無し。
 許せる筈がなかった。

「許せん! 吉良め!」

 若く、血気盛んな者たちは、吉良を恨み始めていた。
しかし、年配の物はもっと大きな、もっと厄介な物を考えていた。

「…お上は、何を考えている?」




 深刻な大広間の上、屋根裏で見張りの男、助三郎はうとうとし始めていた。
ただ男たちが怒鳴って、喚く。
 つまらないことこの上ない。
 そんな彼の目蓋に、愛しい妻の姿が浮かんできた。
 
 早苗がクロを抱っこし、助三郎に手を振る姿だった。
それは今朝見送ってくれた、妻の姿。

『早く帰って来てね。助三郎さま』

 可愛い妻の姿に、彼はニヤケた。

「すぐに帰るから…」

 その彼を呆れ顔で見ていた者がいた。
その者は助三郎の幸せな夢を邪魔した。
 
「助さん。見張りの最中に寝るんじゃない!」

 揺すり起こされ、助三郎は眼を開けた。
その瞳に映ったのは、同僚だった。

「…あれ、お前、こんなところでなにしてる。今日休みだろ?」

「休みだ。だけど、姉貴から差し入れ持ってけって頼まれたから来たんだ」

 そう言って、格之進の姿の早苗は背後から大きな風呂敷包みを取り出し、助三郎の眼の前に置いた。

「弁当? お前が作ったのか?」

 いつもの乗りでそう聞くと、否定された。

「俺じゃない。姉貴の手製だ」

 酒の席でもないのに、己の本来の姿を『姉貴』と呼ぶ。
これも、早苗の気遣いと助三郎は合わせた。
 眼の前の『格之進』を『男』と思えば、『早苗』に恥ずかしくて言えない事も言える。
 
「やった! 早苗の弁当じゃないと喰った気しないからな!」

「そうか。そういえば、やけに張り切って作ってたぞ」

「…へぇ。で、お前はおこぼれに預かれたか?」

「いいや。一口もくれなかった。姉貴はお前の事しか考えてない」

 早苗も助三郎と一緒だった。
己を『男』『助三郎の親友』『同僚』と思えば少し恥ずかしい事も言える。
 
「そうか…。あ、早苗によろしくな」

「おう。じゃあ、頑張れよ」

 早苗はすぐに屋根裏から去った。




 休憩を終え、お銀が屋根裏に戻って来た。
そろそろ腹が減って来る時間だった。
 彼女は助三郎の傍に置いてある風呂敷に気付いた。

「あら? それ、お弁当?」

「あぁ。早苗の手製だ。お前もどうだ?」

「いいの? じゃあ、御一緒させていただくわ」

 助三郎が風呂敷を解くと、中から文が出てきた。
そこには柔らかく優しい文字が。

『お仕事大変ですが、頑張ってください。元気が出るように、助三郎さまの好きな物いっぱい入れました。早苗』

 妻の優しさが垣間見える文を手に彼は愛しい妻を思い浮かべた。
 これだけでお腹いっぱいになれそうな幸せを噛み締めた。




 評定は行き詰ったらしく、しばらく休憩になった。
屋根裏の二人もこれを機に、弁当をつつきながらの休憩。
 徐にお銀が彼に聞いた。
 
「…そういえば、最近ちゃんと早苗さんと寝てる?」

 大好きな早苗の手料理を頬張り、上機嫌な助三郎は答えた。

「いや、それがさ、機会が無くて水戸出てから一度も……ってなに聞くんだ!?」
 
 途中でおかしな質問をされた事に気付き、顔を真っ赤にして怒った。
 お銀はそんな彼を笑った。

「…ねぇ。なんでそんなに奥手なの?」

 興味津々で見られた助三郎は、恥ずかしくなり彼女に背を向けた。

「うるさい!」

 しかし、それ以上お銀が彼をからかう事はなかった。
彼女は茶で口直しをすると、居住まいを正し神妙な面持ちで口を開いた。

「…助さん。真面目な話、いい?」
 
「…なんだ?」

 助三郎も、そっぽを向く事を止めお銀に向いた。

「…早苗さんと、そういう事するのに抵抗がある?」

「え?」

「男と女になるのに、抵抗があるのかって聞いてるの」

 子どもが一向に出来ない夫婦を、亡き光圀は大層気にかけていた。
時たま、寂しげな不安げな表情を見せる早苗を見ていたお銀も心配していた。
 なにが原因なのか地道に調べていたが、ようやく彼女はその本当の原因に気付いた。

 夫婦として過ごす夜が少なすぎる。

 光圀存命中の旅では仕方のない事と割り切っていた。
助三郎が光圀の眼を気にして、我慢しているだけだと彼女も思っていた。
 しかし、助三郎が早苗を誘えない光景を目の当たりにして確信した。
 
 率直に質問をし、その答えを待った。
すると、彼は俯き加減で小さく言った。

「それは絶対にない…」

「…じゃあ、なんでそんなに我慢してるの?」

「早苗が、大事だからだ」

「え?」

「俺の欲望で、早苗に負担が掛かるのが怖い。早苗をおかしくするのが怖い…」


 お銀はなにも言葉を返せなかった。
なぜなら、彼の中に黒い物を見たからだった。

 結婚前、早苗は精神を病んだ。
その原因は誰であろう、助三郎。
 その時、彼女は心が壊れ、荒み、自害を図った。

 それ故、助三郎は妻の心が、肉体が、己のせいで傷付き壊れることに猛烈な恐怖心を抱いていた。
夫婦生活が長くなるにつれ、大分治癒してきたその心の傷。
 しかし、完治はしていなかった。

「ごめんなさい。もういいわ…」

 お銀は仕事に戻った。
しかし、彼女は夫婦の為に何かできないかと思案を巡らせた。



 その日の評定はなにも進展が無かった。
『昼行燈』の家老は上座で眼を瞑って座り、『ケチケチ』家老はおろおろするばかり。
 若い藩士は『仇討』だの『籠城』だの過激な事を大声で語り、年寄りたちは涙にくれた。

 日が暮れはじめた頃、欠伸を噛み殺している助三郎にお銀が言った。

「助さん、もう帰って良いわよ」

「え? なんで?」

「貴方にこんなつまらない見張りより、最高に楽しい仕事あげる」