雪割草
〈55〉近江の名物
一行は琵琶湖を眺めながら歩き、大津に着いた。
せっかくだからということで、近江名物の鮒ずしを食べることになった。
とは言ったものの、新助以外全員途中棄権した。
匂いがきつく、気楽に食べられるものではなかったからだ。
「由紀、鮒ずしはこの匂いが有ってのもの。食べて見た方がいいじゃろ?」
「ご隠居さまだって、一口で止められたじゃないですか?」
「…お銀、どうじゃ?」
「イヤです。わたし、匂いがきつい物は食べない主義なので。」
「…助さん、食べたか?」
「作った方には失礼ですが、私の口に合いません。どうだ?格さん。」
「味はともかく、匂いがいかん…。」
「格さん、味覚正しいですね。こんなにおいしいのになんでいやなんですかね?」
「おまえ、臭くないのか?」
自分の分は平らげ、残った皆の分を消費していた。
「匂いは我慢すれば平気ですよ。良薬口に苦しですね。」
「あきれたやつだ…。」
うまそうに食べ続けている新助の姿を見ながらふと助三郎はあることを思い出した。
「そういえば、この匂いのせいで人生破滅になったやつがいたな。」
「明智光秀か?」
そういえば大津の近くの坂本は明智光秀の居城。
逸話は聞いたことがあった。これがあの「腐った」料理なのか。
こんなの御膳に出したら誰だって怒るわ…。
「助さん。わかりやすく説明してくださいよ。」
尚も食べながら新助が助三郎にせがんだ。
「わかった。信長公が家康公を招いた事あったろ?天下統一目前の時に。
その接の待役を任されたのが明智光秀だ。その時な、何を考えたのか、その鮒ずしを出した。」
「へぇ。これをですか?」
「地元の人ならこういう食いもんだってわかるだろ?でも、尾張の出の信長公には分らなかった。匂いをかいで、『腐っておる!』って激怒して、光秀を接待役から外したんだ。」
「それで毛利攻めに加盛させられたんだろ?」
「そう、秀吉公の援護だ。自分より身分の低かった男の手助けなんかに行きたくなかったんだろうな。それに、光秀は知識がある教養豊かな人間だ。武力よりも、接待の方が性に合ってたのに、信長公に全否定されて無念だったんじゃないかな?」
「それで、本能寺の変ですか?」
「そういうことだ。」
「悲惨な人生だな。この後もずっと謀反人とよばれつづけて…。」
早苗は桶狭間で会った今川義元を思い出した。
でも、明智光秀の方がもっとかわいそうかも。
本人はともかく、娘のガラシャまでも被害を被り、最後は自害して果てた。
「でも、格さんが言ってたように、どんな奴でも尊敬できるとこがある。」
「光秀はどこじゃ?助さん。」
「はい。妻をめとったときの逸話です。新助、解説いるか?」
「はい!その話は知らないので。」
「明智光秀の妻はな、美女だったそうだ。でもな、婚儀前に|疱瘡《ほうそう》を患った。」
「可哀想ですね。」
「一命はとりとめたんだがな、跡が残るだろ?|痘痕《あばた》が。無惨な姿になったそうだ。」
「で、どうしたんです?」
「両親はそっくりだった妹を替え玉にして嫁がせようとしたんだ。
でもな、光秀は妹を見るなり『これは私の妻ではない。妻はただひとり。』って拒否した。
それで、約束通り姉の方と結婚した。」
「かっこいいですね。光秀って。」
「いい話。ね?お銀さん。」
「そうね、そんな男の人に憧れるわね。」
早苗はふと疑問に思った。
助三郎さまは尊敬すると言っているけど、もしわたしが同じようなことになったらどうするの?
昔は体制がしっかりして無かったから、好きな人と添い遂げれば良いけど、今は違う。
家と藩を守るため、最適な結婚して、優れた跡継ぎ残さないと。
もし、わたしがおかしくなったら、間違いなくこの人はわたしを棄てる。
いや、捨ててもらわないと、いろんな人に迷惑をかける。
そういう時代。
今のところはわたしのことを結婚相手として見てくれてるけど、いざという時動揺しないように心づもりはしとかないといけない。
もしもその時が来たら、潔く諦めて身をひかないと。
この前みたいに、人前で泣いたりしたらみっともない。
ちゃんと身を処すことのできる女にならないといけない。



