雪割草
〈56〉魚がない!
宿に泊まり、夕餉が出てきた。
しかし、その献立に皆閉口した。
文句を言ったのは助三郎だった。
「なんだこれ?格さん、宿代ケチったんじゃないよな?」
琵琶湖が近くて魚が取れるはずなのに、野菜だけ。
しかも菜っ葉のお浸しと、薄い汁物だけ。
肉けがない。
「ちゃんと払ったのにな。…おかしい。」
「良いじゃないですか。食べましょう!無いよりはましですよ。」
食い気の新助にはそう思えたらしい。
しかし、残すのは失礼なのできちんといただいた。
物足りなさがずいぶんと残っていたが。
早苗は助三郎と満たされてない腹をごまかすために、将棋をしていたが、助三郎の集中が切れた。
「ご隠居、何か外に食べに行きませんか?」
「そうじゃの、足りんかったしな。」
「やった!おいしいもの!」
「由紀、お銀、一緒に行くかな?」
「いいえ、結構です。あれで足りたので。」
「わたしも大丈夫です。殿方だけでどうぞ。」
腹が減っているのは男だけということで、
夜の街に出かけた。
「女はあれで足りるから良いよな。金がかからん。」
「…俺だって普段なら大丈夫なのに。」
姿が男の時は食欲が女の時より旺盛。
出立前家での特訓の最中、どうにもお腹が減り、兄と一緒になってがつがつ食べたら『食費がなくなる!』と怒られた。
もちろん、食べた分、体を動かしてるので太りはしないが、そのせいで筋肉がつく。
ゴツくなるのはイヤ。由紀にからかわれる。
もうちょっと男に変わってる時間を減らしたい…。
なるべく早く水戸に帰りたい…。
宿の近くに店を見つけ中の主人に声をかけた。
「ごめんよ。飯くれ。」
「へい、何にしましょう?」
「魚ないか?」
「残念ながら、鮒ずししか…。」
「はぁ?なんで?」
助三郎はひどく落胆した。
「旅のお方ですか?」
「そうですが?」
「このあたりは野菜か鮒ずししかありません。」
「なんで?」
「魚をとったらいかんという規制がかかってるんですよ。鮒ずしは去年とった魚で作ったんで、今出せるんですがね、このままいくと来年は野菜だけになっちまいます。」
「そうですか。…変な規制だな。」
「で、お客さん。ご注文は?」
「ちょっと待ってくれ、考えさせてもらう。…ご隠居、生類憐みの令ですか?」
「江戸はうるさいが、地方は平気じゃろ?それにの、綱吉殿に文句を言っておいた。魚を禁制にしたら、食べるものがなくなるとな。」
「それはごもっとも。」
「それにの、ワシの好きな鮭が食べられなくなるのはイヤじゃ!」
本題から逸れてきたが、腹が減ったままの早苗たちは、食べ物の話に喰いついた。
「ご隠居は、鮭がお好きですか?」
「あの皮がたまらんのだ。酒と一緒に食べれば言うことなしじゃ。」
「へぇ。通ですね。」
なんかおいしそう。食べたいな。
「ご隠居はな、ご自分でうどんも打てる、皆が食ったことないような物も食されてるんだ。ですよね?ご隠居?」
この話に新助がかなり興味を示した。
「何食べたんですか?教えてください!」
「豚、羊、牛の肉は美味かった。滋養がつくぞ。乳もイケる。それを固めた物もなかなかのものだった。」
「すごいなぁ。食べてみたいなぁ。」
「牛、食べるんですか?」
可愛いのに。あれを食べるなんて…。
「そうじゃ。おかしいかも知れんが、異国の者は普通に食しておる。」
「なんか、かわいそうだな…。」
一人牛を憐れんでいると、助三郎に突っ込まれた。
「なぁ、お前、魚食うだろ?」
「あぁ。」
「それと一緒のことだ。生きるためには仕方がない。イヤなら草食にでもなるか?」
「それは無理だな。」
やっぱり野菜だけじゃ味気ない。たまには魚が食べたい。
「だろ?朝昼晩、そのつど魚さん、牛さんに感謝して食べればいいんだ。」
「なんで『さん』付けする?」
「かわいいかなって…。」
「ふぅん。で、どうする腹減ったまま帰るか?」
「ふぅんで済ますのかよ…。せっかくだ、腹にたまるものでも食おう。あとは酒で誤魔化す。」
「わかった。」
「おっ。格さんが飲酒を許した!こりゃ明日雨でも降るかな?」
「変なこと言うと、お前だけ酒は抜きだぞ。」
「いや、もう言わないから!」
「…わかった。皆で飲もう。主人、腹にたまるものと酒たのむ!」
「はい、少々お待ちを!」
主人が作ってくれた野菜入りの雑炊で腹を満たし、酒で気分を紛らわした。
帰り道、光圀が突然言いだした。
「調べた方がよさそうじゃ。のう?」
「魚ですか?」
「そうじゃ。どうも気になる。」
すかさず助三郎が名乗り出た。
「明日、漁師に聞き込みしてきましょう。」
それに負けじと早苗も立候補した。
「では、私は魚屋にでも。」
「おいらも良いですか?料理屋を回ってきます!」
「食いまわるんじゃないぞ。いいな?」
「わかってますよ!献立や料理法は後学のために聞いてきますけど。」
「皆、頼んだぞ。」
「はい。」



