雪割草
〈59〉代官の屋敷へ
助三郎は用心棒の仕事に追われていた。
暇な時は自由にしていいと言われていたにもかかわらず、忙しくてそんな時間はなかった。
近江屋の主人に会いに入れ替わり立ち替わりさまざまな人がやって来た。
客が来るのを待っているだけではなく、出かけることも多々あった。
助三郎はそのつど付添ったが、刀を抜くことはなかった。二三度、同業者らしき物から石を投げられたりはしただけで襲われるという物騒なことはなかった。
用心棒を始めて五日ほど経ったとき、店に漁師らしき男が来た。
手にたらいを持っていた。盗み見すると、中には大きな魚が入っていた。
しかし、そばに付き添っていた今の自分と同じような浪人に睨まれたのでやめた。
さては、料理を作って誰かに出すのか?
その予感は当たった、晩になり、人目をはばかるように顔を隠した武士がやってきた。
目当ての代官は『背はあまり高くなく、食堂楽で太り気味』とだけお銀に聞いていた。
それと一致するかどうか…。
背格好を確認し、こそこそ探る必要はなかった。
「これはこれは、お代官様。お待ちしておりました。」
主人がご丁寧に呼んでくれた。
「これ、代官ではない。御前様と呼ぶ約束であろう。」
「失礼いたしました。御前さま。…良い魚が入りましたよ。」
やはり、魚を食う気か。
俺は全然食べてないのに…。
宿で由紀さんと格さんが作ってくれた魚料理、美味かったな…。
いかん。よそ事考えてたらいかん!
自分を諌めたつもりが、しかめっ面をしていたようだ。
「近江屋、この男は?」
やばい。睨んじまった…。
怪しまれるかな?
「私の用心棒に雇いました。中々の使い手だそうで、残念ながら機会がないので腕前を拝見出来ておりません。」
「ほう、興味深いな。どうだ?わしの配下と試合させてみようか。それをつまみに料理を頂こう。」
「それは良い考え、佐々木殿、がんばってくださいよ。」
「わかった。」
代官に付き添ってきた侍と試合ということになった。
しかも真剣勝負でという無謀な話。
あからさまに嫌がっている侍が哀れに感じた。
真面目そうな男だが、いやいや付いてきた感がうっすらだが目に見える。
ろくでもない代官だ。この男もこんなやつに仕えなきゃならんなんて可哀想に。
嫌がってもいられないので、支度を手短にし試合になった。
なかなか強い侍だったが、水戸藩随一の剣豪助三郎には到底かなわなかった。
首に打ち込む寸前、峰を返し寸止めにした。
下手に他藩の人間を殺すと水戸藩に迷惑がかかる。
この男も可哀想だし。
言い方が悪いが、利用できるかも知れん。
「参った…。」
助三郎が勝った。
「おぉ!強いの!その方名は?」
「佐々木助三郎と申します。」
「気に入った!明日からわしの所に来い、まずは用心棒になれ。良いな?」
「はい。謹んでお受けいたす。」
よし、敵の懐に潜入できる。
有力な証拠を探れる!
その日で近江屋の用心棒兼内偵は終わった。
明日の朝まで時間ができた。
夜が遅いが、一度報告がてら宿に戻ろう。
心配しすぎて格さんがおかしくなっても困るしな。
「…ただいま。」
起きてたか。
やっぱり格さんは書き物してる。
真面目だな。
「あれ、助さん?戻ってきたのか?」
なんでこんなうれしそうな顔する?
でも、こいつの悲しい顔は見たくない。
「非番だから。…それに、お前が心配するから。」
「…ありがとう。何か変わりはあったか?」
すぐに仕事の顔になる。
やっぱり真面目だ。
「代官に気に入られた。明日からそいつの屋敷に行く。」
「…危険が増えるな、気をつけろよ。」
「あぁ。心配するな。俺は早苗を迎えに行って結婚して、年取って爺さんになるまで死にはしない。」
「そうか…。」
なんで寂しそうな顔をする?
言ったらいけないこと言ったか?
まぁいい。
「…ご隠居は、御休みだよな?」
「あぁ。」
「じゃあ、報告頼む。俺はそろそろ行くな。」
「頑張ってな。」
部屋を出ると、なぜか玄関までついてきた。
「またお見送りか?」
「……。」
「イヤじゃないから。行ってくる。」
「無事でな。絶対帰ってこいよ。」
返事は返ってこず、背を向けたまま片手をあげ、去って行った。
「助三郎さま、御武運を…。」
聞こえないようにつぶやいた。
この姿で、見送りたかった。でも、今はダメ。
あと少しでこの件が終わる。
そうしたら、全部言わないと。
打ち明けたら、あの人との関係が終わるかもしれないけど…。
覚悟できたはずなのに、まだ怖い。
弱いな、わたし…。
格之進に変わり、日誌を書き終え床に入った。
次の日の朝、新助から驚く発言を聞いた。
「…格さん、昨日の晩、女の人が玄関で去って行く助さんを眺めて立ってたんですが、なんでしょうね?」
「へ?」
見られてた。夜で誰も居ないと思ってたのに。
どうしよう…。
「お化けですかね?ふっと消えたんですよ!」
なんだ。良かった、わたしだって気づいてない。
でも、ちょっとひどい。人を幽霊にするなんて。
新助は早苗の憤慨をよそに、勝手に憶測をたてはじめた。
「…もしかして幽霊じゃなくて、生霊ですかね?
御国の許嫁の方が、助さんから音沙汰がない、女癖が悪いって怒って…。」
わたしは、源氏物語に出てくる|六条御息所《ろくじょうのみやすどころ》みたいに嫉妬のあまり生霊になんかならないもん!
助三郎さまを苦しめたりしない!
それに、あの人は女癖は悪くない。自分で言ってた。だから、信じる!
それなのに新助さん、あの人の見せかけの女好きっていう嘘を信じてそんなこと考えてるの、許せない!
仕返ししよう。
「…あのな、新助、幽霊や生霊を軽々しく口にすると怖いぞ。」
「どうなるんです?」
「とり憑かれる…。」
「まさか、そんなこと。」
「あーぁ。言わんこっちゃない。お前の後ろに続々と集まってきたぞ。犬やら猫やら首のない女の人まで!お前、引き寄せやすいんだな。渋滞してるぞ。」
「ギャー!誰かとって!!」
なんにも憑いてないわよ!
人をお化け扱いしたバツ!
助三郎さまをバカにしたバツ!
話を聞いていたのか、光圀が寄ってきて真剣な表情で聞いた。
「格さん、ワシも何か憑いてないかの?」
「はい?」
「肩がここ二三日重くての。もしかしたらと思ってな。」
「…肩もんで欲しいんでしたらおっしゃってください。」
「なにも憑いてないかの?」
「はい。奥方様はたまに見にいらっしゃいますが。」
公家のお嬢様だったというお綺麗な御正室が、ごくたまに後ろに座ってご隠居さまを眺めていらっしゃる。なにも害はないので黙っていたけど、いい機会だから言ってみた。
「居るのか?あの者が?」
「はい。にこにこされていますよ。」
「そうか、良かった。あれに睨まれたら悲しくなる。暇なら、肩もんでくれんか?」
「はい。わかりました。」
その頃助三郎は代官の屋敷にいた。
何やら配下の者たちを集め、ひそひそ話し合っていた。
追いやられ、手持無沙汰にしている昨晩試合した侍に声をかけた。



