雪割草
モテる彼の事、女の対処方法は上手に違いない。
少し不本意だったが、彼女は腹をくくることにした。
「やっぱり、わからない。助さん見て覚えるよ」
この話はこれでお仕舞い。
そう思い、早苗は湯漬けをかき込んだ。
「そうか。なら、御隠居と三人で吉原に遊びに行こう! な?」
あり得ないその誘いに、早苗は呆れかえった。
「そんな危ない所には行かない」
「お堅いことで…。格さんって面白い。からかい甲斐がある」
笑う助三郎を早苗はキッと睨んだ。
しかし、彼はそんな事には気付いていない。
食事を運んできた女中に話し掛け、笑っていた。
早苗はそんな彼の姿を見て、姿が変わってもからかわれるのは変わらないのだと半ば諦めの気持ちを抱いた。
昼をとった後、二人は身支度をして庭に出た。
早苗が身体をほぐしていると、助三郎から木刀が手渡された。
「素振り、見せてくれ」
「わかった」
早苗は大人しく彼に従い、木刀を構え、二三度振りかぶった。
その姿を黙って見ていた彼は、所見を述べた。
「見た所そこまで酷くはなさそうだな。本当に苦手なのか?」
「あぁ…。酷いぞ。絶対呆れる」
国で一二を争うほどの腕前の彼と、たった数日間集中特訓した早苗では歴然の差がある。
到底勝てる筈がない。
しかし、負けず嫌いな彼女はバカにされたり笑われたくなかった。
いつもそんな彼女をからかう男は、少し様子が違った。
真面目な顔で、彼は言った。
「そうか? まぁ、どれだけのものか、一度手合わせしてみよう」
「…いきなり?」
心の準備ができていない彼女は驚いた。
しかし、彼は既にやる気満々。
「実践有るのみ! 素振りだけじゃ意味はないだろ?」
静かに木刀を構えた。
その姿に、早苗は息を飲んだ。
彼の顔は、彼女が見たことない表情だった。周りの空気はピンと張りつめていた。
いつもの男前がさらに男前になった。
早苗は、それに見惚れる寸前だった。
しかし、『今は男』と心を落ち着かせ、邪念を払うと木刀を構えた。
「よし、掛かってこい!」
助三郎のその声に、早苗は木刀を持つ手に力を込め、木刀を突きだした。
特訓の成果がほんの少しは出たようだった。
身体は以前よりもしっかり動き、相手の剣筋が見えた。
さらに、わざと助三郎が作ってくれる隙を見極め、そこを的確に突く事が出来た。
彼は早苗に手加減をしていたようだったが、それは女にするものではなく、あくまで素人の男に対する手加減だった。
しかし、助三郎に敵うわけが無かった。
彼は巧みに早苗の攻撃を受け止め、はね返した。
気付くと、彼は早苗の首筋で寸止めしていた。
「討ち取ったり…」
爽やかに勝利を宣言する彼に、早苗の鼓動は激しくなった。
闘志が静かに燃える瞳に、彼女はやられた。
急に顔に血が上るのを感じると、急いで身体ごと彼から眼を逸らし、赤くなった顔を隠そうと俯いた。
その姿に、助三郎は少し息を弾ませ、彼女に窺った。
「疲れたか…?」
「へ? あ、あぁ…少し…」
「なかなか良い試合だった。格さんの力量も見られたしな」
「そう…か?」
「あぁ。結構いけるじゃないか。いざというとき、それくらいなら問題ない」
真面目な顔で、からかうという行為を全くしない彼の姿に、早苗は驚いた。
「…そうかな?」
更に彼は続けた。
「自信を持て。人それぞれに得意不得意は有る。平太郎殿は、少し厳しいようだな」
その通り。兄の平太郎は厳しく彼女を特訓した。
妹を危険から守りたいがためつい力が入ってそうなったのだが、早苗が気付く事はなかった。
その妹は、いつか兄を見返してやろうと心に決めていた。
「これからも、剣術指南よろしくたのむ」
やる気が俄然出てきた早苗は、頭を下げた。
「おう。任せてくれ」
それから、少しの休憩の後、相撲を取ることに決まった。
すると助三郎は突然片肌脱ぎになった。
突然の事に驚いた早苗はさっと眼を逸らした。
しかし、そんなことに助三郎は気付かない。
「さてと、土俵は面倒から無し。どっちかがどっちかを投げたら決着が決まる。どうだ?」
決まりを決めて同意を求めた彼だったが、早苗はそんな場合ではなかった。
「へ? あ、あぁ…」
曖昧に相槌を打ち、余所を向いている彼女に助三郎は心配そうに近寄った。
「ん? 大丈夫か?」
余計気まずくなった早苗は更に口ごもってしまった。
再び顔は熱くなり始めた。
「あ、うん、大丈夫…」
「そうか?」
なにかと心配してくれる彼の優しさにドキドキし始めた。
しかし、そんな不安定な状態で相撲などとったら怪我をする。
精神統一をするため、彼女は眼を閉じ深呼吸した。
そして、落ち着いたころ眼を開けた。
「よし、やろう」
「お、もう良いか? だが…そのままでいいのか? 動きにくくないか?」
早苗の身形に、助三郎は疑問を投げかけた。
「あ、あぁ、このままだ」
自分で見るのも憚られる男の身体を、許婚の前に晒すなどできるわけがなかった。
着物に袴姿で、早苗は構えた。
「来い!」
相撲は思ったより、難しくはなかった。
助三郎より、平太郎の方が強いのではと思うほどの手ごたえだった。
勝利したのは早苗。助三郎に勝った事が嬉しく、また不思議に感じていると、彼が感心したように言った。
「格さん強いな。鍛練すればもっと強くなるんじゃないか?」
「そうかな?」
「あぁ。得意は伸ばすべきだ」
「頑張ってみる」
頑張らなければいけなかった。
旅は仕事。その仕事の最優先する物は光圀の身の安全。
それを実現するためには、お供である早苗が身体を張って守る必要がある。
それには、強くなるための鍛錬が必要。
強くなって、主にも許婚にも迷惑にならないような存在になる。
自分の身は自分で守り、いつかは大事な人を守る。
その目標を叶えるべく、彼女は『男』として暮らす決意を強固な物にした。
「結構汗かいたな」
「確かに、ちょっと暑いな」
盛大に身体を動かした二人の額に、少し汗が浮かんでいた。
手で拭っていた助三郎が思いついたように言いだした。
「風呂、一緒にどうだ?」
「へ!?」
突然のお誘いに、早苗は間抜けな声を上げてしまった。
思っても見なかった風呂への誘い。
「ん? 俺、なんか変な事言ったか?」
少し不安げな顔をする彼を安心させるべく、早苗は作り笑いでごまかした。
「あ、いや、別に…」
しかし、お誘いに『はい』と言えるわけがない。
許婚の前で脱げるわけがない。
自分の男の身体など見せたくはない。彼の裸を見たくも無かった。
興味が無い訳ではなかったが、危ない橋は渡りたくなかった。
ただ眼が合っただけ、少し顔が近かっただけ、それだけで鼓動が激しくなる。
裸など見た日には、自分がどうなるのか見当がつかなかった。
しかし、無下に断るのにも抵抗があった。
まだ格之進としては出会ったばかり。
仕事を共にするたった一人の『同僚』とは仲良くしなければならない。