雪割草
〈85〉試合
次の日、一行は温泉宿に泊まった。
助三郎から提案された一対一の試合は、昼から近くの原っぱでやることになった。
二人とも、ずっと実戦ばかりだった上に、いろいろあって稽古もままならなかったが、早苗は一つ不安なことがあった。
まともに稽古したのは、早苗の正体が発覚する前だったので、助三郎に手加減はされなかった。しかし今、はたして彼は自分を女として見るのか、好敵手として真剣に勝負してくれるのか、見当がつかなかった。
「助三郎、手加減するなよ!」
「格之進!お前になんか負けないからな。」
「言ったな!行くぞ!」
「望むところ!」
早苗の心配は無用だった。
以前と変わらない人を斬るような真剣な視線で木刀を振っていた。
しかも、以前より断然強かった。
果敢に立ち向かっていったが、彼に一瞬の隙を突かれ、首筋で寸止めされた。
ニヤリと満足げに助三郎は笑った。
「どうだ?」
「参った…。」
「お前、強くなったな。手こずったぞ。」
「え?」
「隙がなかなか見つけられん。頑張ったな。」
「ありがと…。」
二人で光圀の前に向い、感想を聞いた。
「助さんは、また腕が上がったの。間違いなく水戸随一じゃ。もちろん、早苗も上手くなった。そろそろ真剣でどうじゃ?」
「ご隠居。真剣は…私には重くて振れません。」
早苗は冗談半分で言ったが、助三郎の様子はおかしかった。
「…刀は、刃物はダメです。絶対に持たせないでください!お願いします。」
青ざめて懇願する彼に一同は驚き、それ以上刀の話はやめになった。
気になった早苗は、助三郎の様子をうかがった。
「大丈夫か?」
「あぁ。何ともない。試合、続けよう。」
彼は笑顔に戻っていた。
「次は柔術だったかな?」
「はい。助三郎、今度は負けないからな!」
「どうだかな。」
隙だらけの助三郎を背負い投げし、寝技で固め、圧勝した。
「…あれ?助さん?どうした?」
「参った…。」
「手加減したのか?」
「いや、悔しいが、俺の鍛錬不足だ。お前強すぎる…。」
助三郎はあまりにみっともない負け方をしたので、光圀にお叱りを受けた。
「助さん。柔術もしっかりやるのじゃ。良いな?」
「…はい。しかし、ご隠居、水戸にもこれくらいの使い手はいないでしょう。一度、藩士を集めて試合させてみては?」
「そうじゃな。良い考えじゃ。武道大会でもやろう。」
「やった。俺、剣術で優勝してみせる!」
「助さん。言ったであろ?柔術の鍛錬もじゃ!」
「はい…。」
しばらく休憩ということになり、二人で木陰で寝そべっていたが、突然助三郎がうれしそうに声をあげた。
「俺は幸せだ!」
「なんだ、急に?」
「だって、友だちと許嫁と、まぁじきに妻になるわけだけど、ずっと一緒にいられる。」
うれしそうに言う助三郎だった。
「変な奥様だけどな。」
「何処にもいないぞ、対等に試合ができて、共働きできる夫婦なんて。」
「おもしろそうだが、水戸に帰ったら早苗でいたい。」
少し、助三郎はさみしそうになった。
「…疲れるか?男は。」
「…楽なことも嫌なこともある。半半だ。」
今度は興味津々だった。
「ちなみに、良いことってなんだ?」
「力が強いから重労働が楽にできるし、背が高いから、便利だ。」
「へぇ。そうか。」
「…後はな、お前と友達でいられるのがうれしい。」
そう言うと、助三郎は本当にうれしそうな顔をした。
早苗のままで『好き』と言ってあげる時とは別の種類の表情だった。
「じゃあ。悪いことは、なんだ?」
「イヤだ。言いたくない。」
元が女、嫌なことは山ほどある。
「ふぅん。なんとなくわかった。」
「おい、イヤらしいこと考えてるんじゃないだろうな?」
「そうじゃないのか?」
何の疑いもないまなざしに、早苗は呆れた。
「やっぱりスケベだな。…まぁ、いい機会だ、言っておく。」
許嫁に言っていなかった事を打ち明けることにした。
「なんだ?」
「俺は男として、女と結婚はできない。」
「なんで?」
「…子が作れないからだ。」
「作れないって…?」
「…わかるだろ?」
「…そうか、使えないんだ。…勿体無い。」
「何ブツブツ言ってる?」
「いや、なぁ、それだったら、良い女見ても何ともないのか?」
ちょっとスケベな話になりそうだったが、追及したくなった。
「男ってどうかなるのか?」
「……。」
なぜか助三郎は顔をそむけ、黙ってしまった。
早苗はそんな彼をからかうことにした。
「なぁ、早苗さん見てどうなるんだ?」
「…心臓がバクバクなる。」
「それで?」
「…抱きしめたくなる。」
「それで?」
「…それ以上聞くな!恥ずかしい!」
彼は真っ赤になっていた。
「ははは。耳まで真っ赤だ。面白いなぁ。」
笑っていた早苗だったが、次の瞬間、とんでもない言葉と、妙な視線に氷ついた。
「…しかし、お前の立派なのに宝の持ち腐れだな。」
「…お前、いつ見た?」
「大分前、風呂入った時に。」
忘れようと思っていたいやな思い出を掘り起こされ、恥ずかしさを通り越し、怒りに震えた。
「…助三郎、ちょっと顔かせ。」
「なにする?」
「…一発殴らせろ。」
ここにきてようやく自分が何を言ったかわかったようだった。
必死に謝り始めた。
「すまん!恥ずかしい思いさせて。女の子に言うことじゃなかった。ほんとにすまない。なにがどうなど言うもんじゃない。ほんとに悪かった!」
それ以上下ネタで会話はしたくなかったので、打ち切った。
「わかったなら、もういい…。」
休憩後、最後の試合に臨んだ。互いに得意なもので勝負することになった。
助三郎が木刀、早苗が素手で試合をしたが、いつまで経っても決着がつかなかった。
最後は二人とも汗だくで、息をあげながら怒鳴りあっていた。
「いい加減、手、抜けよ!」
「お前こそ、手加減しろ!」
あまりにも熱くなってきたので、光圀が止めに入った。
「もうそこまでじゃ!お前さんら両方強くて決着つかん。そう言うことじゃ!」
「ちっ。悔しいな。」
「あぁ。いつか決着付けような!」
カンカン照りで暑くてやってられなくなったので、宿に退散した。
汗だくの二人は涼しい井戸端で水を飲んでいたが、突然助三郎が脱いだ。
「おい!」
「ん?お前も、汗ふかんと冷えるぞ。」
「脱ぐな!目のやり場に困る…。」
「は?お前も俺と同じだろうが。なのに恥ずかしいのか?」
「…風呂入ってくる。じゃあな。」
「変なやつ。」
炎天下だったせいか、助三郎は格之進が早苗ということを忘れていた。
風呂か…。
ここ露天風呂で風呂場が広いから二人でも入れるよな。
せっかくだから格さんと一緒に入ろうかな?
一人で入っても面白くないし。
よし、そうしよう。
「格さん!一緒にいいか?」
しかし、返ってきたのは女の叫び声だった。
「ぎゃー!変態!スケベ!出てって!」
桶やらなんやらいろんな物が飛んできたので、助三郎は必死に避けた。
いかん、早苗に戻っていたか。