雪割草
〈88〉茶屋の娘
女の家は、小さな茶店だった。
お孝という名で、早苗、由紀より一つ年下だった。
彼女は店の売り物の茶と団子を惜しげもなく一行に出しもてなした。
「どうぞ、これくらいしかありませんが…。」
「おいしい!」
食いしん坊の新助はまた誰よりも先に団子に手をつけていた。
「ありがとうございます!」
「……。」
笑顔のお孝に見とれ、だんごが喉に詰まりそうになったが、必死に茶で流し込み事なきを得た。
その様子を見ていた早苗は助三郎と結託し、新助を連れだした。
「…おいらに何のようです?」
「あの子に惚れたか?」
「え!?ちっ、違いますよ!」
あからさまに誤魔化そうとする新助を二人はおもしろげに眺めた。
「図星だな。別にいいだろ?」
「そうだ。いいなぁ、一目惚れか。で、新助どうする?」
「どうするって?」
漠然とした助三郎の助言にあきれた早苗は補足説明をした。
「まず聞くんだよ、相手がいるか、結婚してるか。」
「無理です!おいらなんか…。」
おどおどし始めた彼にカツを入れた。
「自信をもて!お前はいいやつだから。大丈夫だ!」
「…機会を見つけて誘ったりもするんだぞ。いいな?」
一行は宿場近くに宿を取るつもりだったが、光圀のわがままでお孝の家に泊まることになってしまった。
しかし、この絶好の機会を早苗と助三郎が喜んだのは言うまでもなかった。
由紀まで巻き込んで新助を手助けするつもりだった。
お孝の店はなかなか評判らしく、客がよく来た。
そこで、新助は接客に慣れていたので、店の手伝いを買って出た。
自然と会話も生まれ、二人で仲良く話す光景に一行は満足した。
光圀も、痛む腰は二日もたたないうちに治ったが、新助のために仮病を使い、店に居座った。
みな優しく見守っていたが、核心がつかみたい由紀は、直接行動に出た。
夜、彼女は店の片づけを終えたお孝に声をかけた。
「ちょっといい?お孝ちゃん。」
「あっ、由紀さん。どうかしました?」
「ちょっとお話したくてね。早苗、早く来なさいよ。ご隠居さまはお風呂。大丈夫だから!」
早苗を手招きし、お孝の前に立たせた。
ずっと人前では格之進のままで過ごしていたせいで、お孝に女として会ってはいなかった。
「あの、この方は?」
「…早苗です。よろしくね。」
「早苗さんもお供なの?」
「この子ね、格さんなの。こっちが本当の姿なんだけど、今ご隠居さまに怒られてて戻っちゃいけないの。でも、女の子同士でしゃべりたかったから。こっそりね。」
「そうですか。すごいわ。変身できるの!」
あっさりと早苗を認めた彼女を巻きこみ、女の子だけのおしゃべりが始まった。
「単刀直入に聞くけど、新助さん、どう?」
「面白いですよ。話ししてて楽しいし、明るくなります。」
「男としては?」
少し、間を置いてお孝は恥ずかしそうに言った。
「…すてきです。」
「…早苗、大丈夫そうね。」
「…うん。良かった。」
一方、助三郎は奥手ながら新助の手助けをしていた。
以前散々迷惑をかけさせ、心配させたお礼も兼ねて。
風呂で一緒に入っていた新助に尋ねた。
「新助、お孝ちゃんどうだ?」
「…本当に、理想なひとです。綺麗で、明るくて、接客が上手くて、話題が豊富で…。」
「若女将候補としてか?それとも、添う相手としてか?」
「両方です。…彼女しかいません。」
熱い気持ちが込められた彼の言葉に、助三郎は自分のことのようにうれしくなった。
「ご隠居。お願いします。新助のために。」
「わかった。後ろ楯してあげよう。しかし、あちらの気持ちが一番だがの。」
「はい。」
次の日、新助はお孝に告白することにした。
不安でしょうがなかったが、皆に後押しされ、当たって砕けろも一興と、覚悟を決めた。
後ろの方で皆はこそこそしながら彼を心配そうに眺め、犬のクロは隣にくっついて来て離れず、二人きりにはなれなかった。
意を決して、お孝に想いをぶつけた。
「…おいらと、一緒に来てくれませんか?」
「え?」
「…お付き合いしたいなって。」
しばらく沈黙が続いたのち、悲しい返事が返ってきた。
「…ごめんなさい。とても嬉しいけど。」
撃沈した新助は自暴自棄になり、自分を卑下し始めた。
「…やっぱり、おいらみたいな男ダメですよね。カッコ悪いし、ふざけてるだけだし。
…助さんや格さんみたいに格好良く生まれたかったな。」
しかし、お孝は必死に彼のその無益な考えを止めさせた。
「そんなこと言わないで!中身が大切だから…。」
「…無理しなくていいですよ。おいら平気なんで、フラれた数なんて星の数ほどありますから…。クロ、帰るよ。」
しかし、クロは新助の言葉を聞かず、お孝に近寄って行った。
座り込んで、彼女をじっと見上げ、悲しそうに鳴いた。
その仔犬を見た彼女は突然しゃがみ込み泣きだしてしまった。
「…新助さんの人柄は素敵だから。…ほんとに。」
皆は真意を汲みかね、動揺したが、光圀だけはうろたえずお孝に近寄り優しく話しかけた。
「…お孝さん、理由は新助が嫌いとかイヤなわけでは無いのでは?」
「……。」
泣いているお孝は返事をしなかった。
「ねぇ、教えてくれない?この人の将来の為にも必要でしょ?」
「新助さんは悪くありません。悪いのは、わたしです…。」
「どういうこと?」
またも黙りこくるお孝をお銀と由紀がなだめ、重い口を割らせた。
「…わたしは、卑しい人間です。ですから、人に好かれてはいけないんです。」
一行はその言葉に驚いた。
「…どういうことかな?」
「…わたしは捨て子です。しかも、罪人と夜鷹の遊びでできた要らない娘。
その素性のせいで、今までろくな事がありませんでした。」
淡々と話し始めた彼女を一行は黙って見つめていた。
「…わたしの身の上を知るとみんな離れて行きました。友達も、昔好きになった人も…。
その人に言われました。胡散臭い女だって。ずっと騙してたって。
…婚約を破棄された上、ひどい嫌がらせを受けました。耐えきれず、逃げてこの地にたどり着きました。
それで、別人として生きていこうって…。だから、だから…。」
再び泣きだしたお孝をお銀と由紀に任せた。
「もう、よろしい。辛いこと聞いてしまったの。」
「…嫌で嫌で、なんど死のうと思ったか。ですから、皆さんこんな女、忘れてください…。」
しかし、そばで黙って聞いていた新助はすぐさまお孝に駆け寄った。
「お孝ちゃん、おいらはそんな素性気にしない。今のお孝ちゃんが好きだ!」
「…え?」
「…おいらにはもったいない、手が届かないくらいな人だ。でも、好きになっちゃった。
もう一度言いますが、付き合ってくれませんか?結婚を前提に…。お願いします。」
しばらく、泣いていたが落ち着いたお孝は恐る恐る新助に聞いた。
「…本当に、こんな女でいいの?」
「…いいえ、貴女だから良いんです。」
その言葉に、お孝は笑顔になった。
客に見せる作り物の笑顔ではなく、本当の心の底からの物だった。
「…ありがとう。新助さん。」