雪割草
〈09〉心強い味方
その夜、夕餉の席で早苗と助三郎は光圀から今回の旅の目的を聞いた。
「…上様によると、紀州徳川家に何か揉め事があるそうじゃ。それが何かはっきりさせ、解決してこいというのが目的じゃ」
「それに関して、紀州殿はなんと?」
助三郎から質問が出た。
「…何かあると感付いておるらしい。それで上様に相談されたそうじゃ。で、わしに話しが回って来た」
「そうですか…」
何かを考える助三郎の隣で、早苗も一つ質問した。
「紀州ですと、東海道ですか?」
「そうなるの。船ならば早いが、それだと途中の国々の様子がわからん。つまらんじゃろ?」
「それもそうですね。どうせなら、色々みたいですしね」
「そうじゃろ?」
男二人は盛り上がり始めた。しかし、早苗はそうもいかなかった。
国を出る際に親に強く言われた。
これは仕事であって、物見遊山ではないと。
それを強く心に念じていた彼女は、主と許婚の会話に疑問を感じた。
「…あの、仕事で旅に出るのではないのですか?」
そっと二人にその疑問を投げかけると、ゆるい答えが返って来た。
「そうじゃ、仕事じゃ。じゃが、息抜きは必要じゃ、のう?」
「はい。仕事仕事では肩がこります。そういうことだ、格さん」
「…そういうものなのかな?」
その後、食事は光圀と助三郎の旅の話で盛り上がった。
道中のどこに何があるだ、どこで何を見たいだ、そういう類の話ばかり。
本気で遊山に行くのではと再び疑問を感じた早苗は、一人黙々と食事を口に運んだ。
そんな食事が終わった頃、助三郎があの話題を持ちだした。
「御老公、お話があるのですがよろしいでしょうか?」
いつになく真面目なその声音に、早苗は何かあると感じ、腰を浮かせた。
「俺は席をはずそうか?」
しかし、止められた。
「いや。格さんにも関係ある。居てくれ」
部屋を片付けると、光圀は興味津々で助三郎を見た。
「さて助三郎。話とは何じゃ?」
「今日、早苗の親友の由紀殿に会いました。」
早苗は驚いた。
探し求める彼女は、許婚の彼と会っていたのだった。
なぜ彼が彼女と会えたのか少し不思議に思ったが、うらやましさが先に来た。
彼女と会いたくて、堪らなくなった。
「あぁ…由紀か。そういえばここで勤めておったのぅ。それで?」
助三郎は本題に入ることにした。
「近々ご結婚なさるそうなのですが、お相手が紀州藩士の方だそうで」
「ほう。それで?」
「どうやらその方が、紀州藩の揉め事に巻き込まれているらしいのですが…」
興味津々の光圀とは反対に、早苗は不安でいっぱいだった。
いつか手紙に、『結婚する、遠い所へ行くかもしれない』と書いてあった。
その時は少し寂しさを感じはしたが、祝う気持ちが強かった。
しかし、今、その相手が正体の掴めない危険と隣り合わせになっている。
不安で、心配で仕方がなかった。
「…そこで由紀殿直々に御老公にお話しをと思いまして」
助三郎のその遠回しの願いに、光圀は快諾した。
「そうか。一度会って話をしたい。すぐに呼びなさい」
「はっ。そう思いまして、今晩迎えに行くと約束いたしました。よろしいですか?」
「わかった。行きなさい」
助三郎は一礼すると、由紀を迎えに出て行った。
気配が着たとたん、光圀は早苗に眼をやった。
「早苗」
「はい。なんでしょうか?」
「…早苗として今すぐ会いたいだろうが、少し耐えてくれ。今回の旅、おそらく由紀を連れて行ったほうがことが上手く運ぶじゃろう。落ち着いてから、ゆっくり会いなさい」
由紀と会える。
由紀と旅ができる。
その嬉しさに、早苗の心は浮きたった。
しかし、そこは落ち着いて主に礼を述べた。
「お気遣いありがとうございます」
すると、あまりその反応が面白くなかったからなのか光圀はふざけた。
「…由紀が格さんに惚れてしまっては困り物じゃのぅ」
「は!?」
あり得ない一言に、彼女は妙な声を上げてしまった。
それを見た満足げに光圀は高笑い。
「ハッハッハッハ!」
嵌められたと思った早苗は溜息をついた。
おふざけ好きな主と許婚とどう上手く接して行こうか、本気で悩み始めた。
しかし、そこへ助三郎が戻ってきた。
そして、彼の後ろには長らくあっていなかった友達の姿があった。
すぐさま駆け寄りたく思ったが、ぐっとこらえた。
綺麗に着飾った彼女が光圀の前に座った。
その姿に、早苗は息を飲んだ。
水戸でつるんでいた時とは身のこなしが違った。
彼女のまわりに、『出来る女』の雰囲気が漂っていた。
「お久しぶりでございます。ご老公さま」
「勤めご苦労であった。大まかな話は助三郎から聞いたぞ。お相手がのう…」
「はい。江戸詰めだったのですが、国で大変なことになったと言い残し、国に帰ったまま。
それから便りが一向に参りません…」
当の本人が一番不安な筈。
しかし、彼女は感情を抑えていた。
それが早苗にはひしひしと感じられた。そんな彼女は心の中で彼女を慰めた。
「それは心配じゃろう…。どうじゃ? わしらについて紀州まで行くかな?」
光圀は、由紀を旅に誘った。
早苗は、『はい』という返事を期待した。
その願いがかなったか、彼女は即答した。
「はい。ご迷惑はおかけしません。ぜひお供させてください」
満足げにうなずき、光圀はすぐに行動に移すことに決めた。
「では、支度が出来しだい出立する。わしからはお役御免の願いを出しておくので心配はせずともよい。少し退くのが早くなったと思って安心しなさい」
「はい。ありがとうございます」
安心した由紀は、一息つくと部屋にいる一員を見渡した。
そしてお銀を見て笑みを浮かべた。
「お銀さん。お久しぶりです!」
「由紀さん。元気だった?」
「はい。お銀さんは? …あ、結婚されました?」
「残念ながらまだなのよ。良い人居ないかしら」
それを聞いていた助三郎がつぶやいた。
「…プッ。無理だな」
「助さん!」
横の早苗がすぐ窘めたが、お銀の耳には入っていた。
「誰かしら? 変なこと言ったの?」
キッとお銀が助三郎を睨んだ。その彼女の手は簪に伸びていた。
ギョッとした助三郎は大人しく反省の意をあらわした。
「…すまん、何でもない」
「相変わらずですね。佐々木さまは…」
そして、由紀がとうとう格之進の姿の早苗に気がついた。
「…あの、こちらの方は?」
早苗は緊張し始めた。
自分から見た彼女は親友でも、相手から見れば初対面の男。
今までの様に変な眼で見られるのではと、不安になった。
「この者は初めてだな。『渥美格之進』じゃ。よろしく頼む」
「よろしくお願いいたします。渥美様」
彼女は変な眼で見ることはなかった。
他人行儀で居心地が悪かったが、笑顔で挨拶をされた以上、早苗もそれに倣った。
「こちらこそ、由紀殿」
由紀が帰った少し後、早苗はお銀と風呂場にいた。
その日の疲れをいやしながら、二人でおしゃべりしていた。
「…せっかく会えたのにね。話せなくて残念ね」