雪割草
「そうか? でも、すごかったぞ、あの、ほら、家老投げ飛ばしてた時」
早苗は驚いた。
「…見てたのか?」
「あぁ。面白かった。家老が吹っ飛んだところ」
楽しそうに話す助三郎を見て、早苗は恥ずかしくなった。
怪力だと思われたくなかった。
助三郎は家老が吹っ飛んだのを早苗の『怪力』を理由にはしなかった。
代わりに一人で結論を出していた。
「格さん、使い先に長く留め置かれて、疲れたろ?」
「へ?」
「相当イライラが溜まってたんだな、可哀想に…」
本当は、自分が捕まった恨み、妾にされそうになった恨みが原動力だった。
しかし、そんなことは絶対に言えない。
ただ黙って、すべて彼の想像に任せた。
早苗は同じあばら家から脱出した娘たちに会いに行った。
彼女たちの無事を確認したかったからだ。
「…大丈夫でしたか? 皆さん?」
姿が男だったが、早苗は構わず皆に聞いた。
すると、彼女は娘たちに囲まれた。
「はい! 大丈夫です」
「悪い人を懲らしめてくださってありがとうございます」
早苗はゾッとした。
自分に向けられる視線が、早苗の時に受けたのと違った。
皆の眼が、男を見る眼になっていた。
そして、彼女たちは口々に好き勝手話し始めた。
安堵感、解放感もあってか辺りは黄色い声がこだました。
「助さんもですけど、格さんも格好いいですね!」
「由紀さん、こんな方々と旅ができてうらやましいわ」
「格さんは、お相手はいらっしゃるの?」
「助さんは早苗さんとなんですよね?」
早苗は立ち尽くしていた。
女の時に気付かなかったが、男から見た女の会話は恐ろしい物だった。
彼女はたびたび送られてくる熱い視線に背筋を凍らせ、黄色い声に辟易した。
助けを求めた許婚は全く使い物にならなかった。
彼は女の子に囲まれ、嬉しそう。
大きな溜息をついた早苗の耳に、ある声が届いた。
それは由紀に礼を述べる娘の声。
「…由紀さんと早苗さんがいてくれたので頑張れました。ありがとうございました」
「いいえ。わたしは何もしてないわ」
しばらく話していたが、彼女は由紀に窺った。
「…あの、早苗さんは? どこにも見当たらないのですが」
さすがの由紀もこの質問には困った。
彼女は今、女の子に囲まれている。
「え、早苗? えっと…」
答えに詰まり、彼女はお銀に助けを求めた。
すると、厄介な事に助三郎までが話に入って来た。
「そうだ。早苗はどこに居る?」
お銀は『そこにいるじゃない、男だけど』と言いたくなったが、言わなかった。
忍びの口は固い。
とっさに考え、実しやかにサラっと言った。
「心配いらないわ。親戚の方が迎えに来てくださって帰っていったわ」
するとほんの少し残念そうな表情を浮かべたが、助三郎は安堵した。
「…無事ならいいか」
次の日の早朝。
小田原の宿を出た一行は西へ向って再び歩き出した。
早苗は少し浮かれていた。
助三郎に初めて抱きしめてもらった嬉しさが忘れられなかったのだ。
しかし、大好きな許婚の興醒めの一言に現実に引き戻された。
「…お前いいな、女の子にモテて」
「は?」
『女の子にモテる』
自分は女だと自負する彼女には、あり得ない言葉だった。
呆然としていると助三郎は早苗の脇を肘で小突いた。
「憎いな、こいつ!」
「…助さんだろ? モテるの」
嫌だが仕方ない。
藩でも指折りの美男子、剣豪で名が通っている。
現に、いつも女の子に囲まれていた。
「…前はな。結婚決まってからモテなくなった」
助三郎はつまらなそう言ってのけた。
早苗はその言葉に、呆れてものが言えなくなった。
結婚を申し込んだのは助三郎。
それにもかかわらず、彼は『モテなくなった』と言う。
いったい、何のために自分を妻にと望んだのか。
早苗には皆目見当がつかなかった。
「…まぁいい。早苗に会えたし。 あっ。そうだ、格さん、遣いは無事にできたのか?」
「へ? あぁ、まぁ、な…」
無事に出来た筈が無い。誘拐され、皆に迷惑を掛けた。せっかく助三郎に返事を書く機会を得たのに、書いた文は紛失。踏んだり蹴ったりの早苗はこっそり溜息をついた。
しかし、そんなことは知らない助三郎。主にねだり始めた。
「ご隠居、次の使いは私に御命じください!」
大方、自由行動に眼が眩んだのであろう。
「わかった。次からは助さんにしようかの」
由紀が助三郎の眼を盗んで、早苗の傍に近寄って来た。
「ねぇ、助さんとは二人きりで話せた?」
「あぁ、少しだけ…」
早苗は思い出し笑いをこらえ、小さく返した。
「あら? やけに嬉しそうね。良い事あったの?」
乗りのいい親友に、早苗は昨日の事を一緒に喜んでもらいたくなった。
「聞いてくれるか?」
「えぇ。教えて」
興味津々の彼女に、早苗は顔を少し赤らめながら打ち明けた。
「…助三郎に、初めて抱き締められたんだ!」
その途端、由紀の眼は点になっていた。
「…えっ?」
それに気付かない早苗は話しを続けた。
「ぎゅってされたんだ…。温かかった…」
夢見心地な早苗を見ていた由紀の眼は、いつしか妙な輝きを持ち始めた。
「それで、何か言われた?」
「『無事でよかった』って。…それと、久しぶりに『早苗』って呼んでもらえた」
そこで由紀の眼の輝きは消えた。
なぜかボソッと残念そうにつぶやいた。
「そういえば早苗に戻ってたわね…」
妙な発言に早苗は突っ込んだ。
「なに言ってんだ? 当たり前だろ?」
由紀は照れ隠しか、作り笑いし始めた。
「あ、ホホホホホ。ごめんなさい。変なこと想像しちゃった…」
不思議な彼女を早苗は見詰めた。
「は? どんな?」
すると、由紀は彼女から逃げるように離れて行った。
「ううん。なんでもない。気にしないで!」
由紀が離れると、今度は助三郎が近くに寄って来た。
好きな男とこういう形でしか傍に居られない事を少し儚んだが、贅沢は言えない。
「なあ、格さん。女の子苦手なのに、由紀さんは平気なのか?」
どうやら彼に、由紀としばしば一緒に居る所を見られていたようだ。
早苗は少し焦った。
相手が居る由紀を『好き』と言えば横恋慕。
『友達』といえば正体の露見が危ぶまれる。
「いや、その…」
どう返事しようか迷っていると、助三郎は勝手に先輩面して忠告した。
「お前に限ってそんなことはないだろうが、手だけは出すんじゃないぞ」
「へ?」
「相手は紀州。お前は水戸。御三家の間にいざこざを起したら厄介だからな」
「あぁ…」
正義感を出す彼に適当に合わせた。
すると、彼は早苗を慰めようとしたのか、こそっと言った。
「まぁ、由紀さんも由紀さんだが…。お前はもっと良い他の女見つけろ。な?」
「え? 女?」
早苗が望むのは『良い女にモテる事』ではない。
たった一人、眼の前の助三郎に『女として好かれたい事』だった。
しかし、そんなこと彼が知る由も無い。