雪割草
焦る早苗とは裏腹に、危機感も緊張感も何もない由紀だった。
「ごめんなさい。格さん!」
早苗は彼女をじっと見た。
「…由紀」
「なに?」
早苗は彼女に聞いた。
「何か変な物食べたのか? それともどこかで頭打ったのか?」
「なんで?」
「変なことばっかりいうから…」
「変なこと? どこが?」
早苗は冗談半分で笑顔で聞いた。
「あ、それとも、この俺に惚れたか?」
すると呆れた顔で彼女は返した。
「はぁ? 早苗に惚れるわけないでしょ? わたしの与兵衛さまのほうが何十倍も何千倍も素敵なんだから!」
そう言って一人で浮かれ始めた。
「はいはい…。『与兵衛さま』か…」
早苗は初めて由紀の口から将来の夫の名を聞いた。
そして、彼女にその男について何も聞いてない事実を思い出した。
親友の許嫁に興味が湧いた早苗だった。
二人がいるその場所へ、助三郎がやってきた。
「格さん、ご隠居が呼んでる」
「あぁ、すぐに行く」
助三郎は由紀が気になったようだった。
彼女は一人で夢見心地。舞を踊るような妙な動きをしていた。
「由紀さん、どうした? 変なもん食ったのか?」
その途端由紀はぴたっと妙な動作を止めた。
「何よ! なんで助さんもそういう変なこと言うの?」
早苗はそんな彼女を笑った。
「ハハハ。由紀さんはお相手の方を想ってたんだよな?」
「そうよ! 愛しの与兵衛さまよ!」
「へぇ、由紀さんの好い人か」
「助さんノロケを聞きたいってさ。じゃあな!」
早苗はそこで逃げた。
「ご隠居、お話とは?」
早苗は呼び出した本人、光圀の前にいた。
彼は茶を早苗にもすすめ、茶請けを口に運びながら話を始めた。
「路銀はどうじゃ?」
「少なくなって来ています」
路銀管理を任せられた早苗はこまめに勘定し、帳簿をきっちりつけていた。
なるべく安い宿を探し、節約に努めていたがさすがに財布の中身は減ってきていた。
「為替の受け取りをこの掛川でしてほしいのじゃが。行ってきてくれんかの?」
「はい。…ですが、私でも出来ますか?」
為替の受け取りなど経験がなかった。
送られてくる金は藩の金。
指針の注意が必要。
しかし、光圀は彼女を信頼していた。
「簡単じゃ。助さんに頼もうかとも思ったが、あれに金を預けるのはの…。だから格さん、お前さんに任せる」
「はい。わかりました」
主の期待にこたえようと、彼女は今度こそ無事に使いから帰って来ようと心に決めた。
光圀の『格之進』への用事はここで終わった。
彼は呼び名を変えると、優しく彼女に言った。
「早苗、街でゆっくりしてきなさい。助さんも時間をずらして休ませるでな、気遣いはいらん」
「ありがとうございます」
早苗は由紀とともに街へ向かうことにした。