雪割草
〈17〉好きな人
早苗は命じられた為替の受け取りを無事済ませ、早苗に戻って由紀とおしゃべりを楽しんだ。
しかし、以前の失敗をふまえ、早々に格之進に変わり宿へ戻った。
その途中、神社の前を通りかかった。
遠くに巫女の姿が見えた。
また、神社には不釣り合いな物々しい格好の侍が。
皆武器を手にし、巫女の居る社を取り巻いていた。
「…あれ何かしら?」
由紀が興味を示し、早苗も違和感を感じた。
「なんだろな?」
気になった二人は、そっと茂みに隠れながら、もっと観察するために近寄った。
「何見張ってるのかしら、この人たち」
「だよな。人数が多すぎる」
警戒する早苗とは裏腹に、由紀は緊張感の欠片も無かった。
「もうちょっと寄ってみましょ」
腰をあげた由紀を早苗は止めた。
「いや、危ない。やめておこう」
「良いじゃない」
二人がそうこそこそやっていると、案の定感づかれた。
「おい! そこで何をしおておる!?」
早苗は頭を働かせ、とっさに由紀を自分の身体で隠した。
声を上げた侍は、二人を見ると怒りの表情は消えた。
そのかわりつまらなそうな顔で
「…なんだ。逢い引きか。こんな場所でやるではない! あっちでやれ」
シッシと二人を追い払った。
「…申し訳ございません。行くぞ」
早苗は由紀の手を引き、これ以上怪しまれないように早々に立ち去った。
少し離れた所へ来ると、ようやく二人はほっと一息ついた。
「ここまで来れば大丈夫だな…」
由紀は早苗を見上げ面白そうに言った。
「わたしと早苗が逢い引きですって! 笑えてくるわね」
しかし、早苗は一切笑わなかった。
じっと由紀を見つめていた。
「…早苗?」
しかし、彼女はポツリと呟いた。
「…由紀」
「なに?」
由紀は笑いをこらえ、早苗を再び見上げた。
すると、低く囁いた。
「…ずっと好きだった」
由紀はまたも吹き出しそうになるのをこらえ、さらっと返した。
「わたしも好きよ。親友だもの。早苗が一番!」
そう言って彼女は早苗に背を向け、歩き出そうとした。
しかし、手を掴まれた。
「ちょっと、なんの冗談?」
しかし、早苗の声は真剣だった。
「…男としては? 俺じゃダメか?」
違和感を感じた由紀は、早苗の方を向いた。
自分を見つめる目は、真剣そのものだった。
「男って…。あなた早苗でしょ? 女の子じゃないの」
しかし、その眼差しは変わらなかった。
そして、訴えるように言った。
「俺のどこが女だ? 俺は男だ。格之進だ」
少し怖くなった由紀だったが、冗談だ、おふざけだと自分に言い聞かせ、握られていた手を振りほどいた。
「なに言ってるの? ふざけてないで、早く帰りましょ!」
そうして、再び先に立って歩こうとしたやさき、今度は腕をつかまれた。
「ちょっと!?」
「行くな。俺は本気だ」
そして、彼女は引き寄せられた。
気付くと由紀は、早苗の腕の中だった。
先ほどうっすら感じた違和感は、恐怖に変化しつつあった。
「しっかりして! わたしよ! 由紀よ!」
必死に見上げたその顔は、微笑を湛えていた。
「わかってる。お前は由紀だ。俺の大好きな、由紀だ」
しかし、由紀はその笑みに惹かれるどころか、恐怖した。
それは女の子が自分に見せる笑みではなく、男の笑みだった。
「早苗!?」
「大好きだ…」
そうささやくと、早苗は由紀を抱き締めた。
その瞬間、由紀は驚きで凍りついた。
抱き締めてくるその人物の身体は間違いなく男だった。
許婚に抱き締められた時は、その逞しさ温かさにホッとした。
離れたくない、ずっとこのままで居たいと強く思った。
しかし、今は全く違った。
先ほどまで一緒におしゃべりしていた女の子の親友。
彼女が男の姿に変われる事は、頭で理解はしていた。
しかし、じっさいにその身体に触れて驚いていた。
女の子の早苗の身体とは程遠い。
引き締まった、逞しい男の体。
「…好きだ」
耳元でそう囁かれ、由紀の肌は粟立った。
既に頭の中は恐怖で一杯。
しかし、彼女は勇気を出し、身体を引き離して訴えた。
自分の為にも、親友の為にも。
「早苗! あなたには許嫁が、佐々木さまがいるでしょ!?」
しかし、効果は無かった。
「は? あいつは友達だ。それ以上でもそれ以下でもない」
その言葉を聞いたとたん、由紀は愕然とした。
今まで早苗の口から、そのような言葉聞いた事が無い。
男の姿でも助三郎を想い続ける。
その筈だった。
「なに言ってるの!? 本気で言ってるの!?」
深刻な由紀とは裏腹に、早苗はまるで男のようなふるまいを続けた。
「当たり前だろ? 男なんかより、かわいい女の子がいいに決まってる」
由紀の頬に触れ、じっと見詰めた。
「やっぱりおかしいわ! しっかりして!」
その眼に由紀は訴えた。
しかし、もうなにを言ってもダメだった。
「おかしくない。由紀の近くにいたら、由紀が好きになった」
そう言うと、由紀の肩に手をやった。
なにをされるか感付いた彼女は逃げようとしたが、無駄だった。
男の力に、勝てるわけがなかった
「由紀…」
大抵の女の子が惚れるであろう男前の顔が近づいてきた。
しかし、由紀には心に決めた男がいる。
ときめきなどしなかった。
猛烈な恐怖のせいで彼女は固まった。
「やめて…」
訴えたが、掴まれた腕を振りほどく事は出来なかった。
「与兵衛、さま…」
眼をギュッと瞑り、許婚に己の不義を謝った。
しかし、彼女の唇が奪われる事は無かった。
代わりに女の子の笑い声が耳に届いた。
「うそ!」
はっとして眼を開けると、そこには早苗がいた。
彼女は笑っていた。
しかし、被害者の由紀は笑いどころではない。
「もう! なにするの!?」
しかし、早苗は悪びれずニヤニヤしながら由紀をからかった。
「どう? ドキドキした?」
「しないわよ!するわけないでしょ!」
そっぽを向いて怒る彼女を早苗は笑いをこらえながら覗いた。
「本当?」
由紀は怒り心頭。
「いくらなんでもやりすぎよ! 格さん男なんだから、ああいう冗談はやめてよね!」
「わたしは女です! もうしないから大丈夫」
一先ず仲直りはできたが、早苗は女のまま宿への道を歩き始めた。
由紀が格之進と歩く事を拒否したからだった。
「…ねぇ、助さんの真似したの?」
突然の質問に早苗は驚いた。
先日助けられて時、彼は抱き締めただけだった。
懐かしくなったが、同時に少し寂しくなった。
「…してない。あんな事あの人しないもん」
「だったら、あれは早苗の願望?」
「へ?」
キョトンとする彼女に由紀は呆れた。
経験が無さ過ぎる彼女に恐怖した自分は、何だったのかと。
「…仕方ないわね。でも格さん力強すぎ」
半分冗談だったが、早苗は真剣に受け止めた。
「そんなに痛かった? 力加減が未だにわからないから…」
由紀は仕返しに、彼女をからかった。