雪割草
〈20〉正義は勝つ
遡る事数時間前の昼、光圀に頼まれたお銀は城で偵察をしていた。
そこには藩主の息子二人の姿が。
弟は兄を探していた。
「兄上! いらっしゃいますか?」
彼が部屋を覗くと、兄は書見をしていた。
彼は弟の声を聞くと彼に眼をやった。
「どうした?」
「弓術、見て頂けませんか?」
人懐っこい弟にせがまれた兄は、笑顔で返した。
「わかった。先に行ってなさい。後から行く」
この様子を、黒幕の家老が陰でじっと見ていた。
「……なんだ? 何か用か?」
不機嫌そうに兄は家老を睨んだ。
しかし、そんなのには動じず、家老は兄に理不尽な忠告を始めた。
「……まだあの弟君と付き合っているのですか? いい加減おやめください。 貴方は……」
うるさい祖父の言葉を受け流してはいたが、うるささに耐えかね、彼は読んでいた本を閉じ声を荒げた。
「あれは私の弟だ! なぜお前につべこべ指図される必要がある!?」
しかし、暖簾に腕押し。孫の抵抗など物ともせず、意味深な笑みを家老は浮かべた。
「それは、貴方が次期藩主だからです。示しをつけないといけませんので」
出世欲に取り憑かれている祖父に落胆し、兄は大きな溜息をついた。
そしてダメもとでふたたび抵抗した。
「何度言ったらわかる!? 次期藩主は弟だと言っている!」
しかし、家老には何の意味もなさなかった。彼はクックといやみな笑い声を漏らした。
「貴方が長子。この藩を継ぐべき地位に居られる」
兄は冷静に言い放った。
「私はそんな物に興味はない。藩主になど、成りはせぬ」
そうして、弓懸けと胸当てを手にし、部屋を出た。
後に残ったのは家老のみ。
頑なな孫の遠ざかる後ろ姿を見つめ、ぼやいた。
「困ったものだ……」
この様をお銀は屋根裏からすべて見ていた。
そして、この悪事の根源は、この家老と断定した。
そこに一人の男がやってきた。
「……御家老。よろしいですか?」
「ん? なんだ?」
男は家老にそっと耳打ちした。
お銀は焦った。
彼女の耳をもってしても、彼らが何をしゃべっているのかが聞き取れなかった。
彼女はこの時、重要なことを聞き逃していた。
遡る事、千代と早苗が話していた夜、お銀が見た男と家老は密談をしていた。
男は懐から小さな袋包みを取り出した。
「明日、これを若君にお渡しください」
家老はそれを手に取り、首をかしげた。
「なんだ? これは」
男は薄笑いを浮かべ、淡々と話し始めた。
「明日は皆様揃っての殿の御見舞いの日。その際、茶会を開きましょう」
「ほう、それで?」
家老はまだ男が何を計画しているのかがわからなかった。
しかし、男は続けた。
「もしも明日、計画が駄目になった場合、もしくは未来が我々の思い道理ではない場合、これを使うのです」
家老ははっとして手の包みを開いた。
中から出てきたのは茶を入れる、棗《なつめ》
「もしや、この中身は……」
「そのとおりでございます。この棗の中の茶を弟君に飲ませます。さすれば……」
ここまで言えばわかるだろう。と言わんばかりの表情で彼は家老を見た。
家老もようやく意味を察知し、低く呟いた。
「……次期藩主はわが孫、若様の物。ということだな?」
男は冷たい笑みで答えた。
「はい。政は御家老の思いのまま。さらに、幕府にも取り入ることが叶います」
「やっとその時が来るのだなぁ」
感慨深げに手の中の棗を見る家老に男は頭を下げた。
「おめでとうございます。」
すると家老は笑いながらそれを制止した。
「これ、気が早いわ。すべては済んでから」
「そうでございましたな。いや、失礼」
「では、くれぐれもぬかるでないぞ」
「はい……」
時は戻って、お銀が張り込みをしていた頃。
早苗と助三郎も家老の屋敷の傍で張り込みをしていた。
家老は登城予定。それ故、彼が出てくる所を見届けた後、自分たちも城に向かう計画だった。
「張り込みってつまらんな」
助三郎は大あくびをした後、そう文句を言った。
早苗はつられてあくびが出そうになったが、どうにかこらえた。
「我慢だ。ちゃんと見てないといつ出てくるか分からないぞ」
そう忠告したそばから彼は驚いたような声を上げた。
「あっ」
「なに? 家老が出てきたか?」
しかし、彼の見つけたものはまったく違うものだった。
「あの猫、子ども連れてる」
「え? どこだ?」
動物が好きな早苗は彼の指差す方を見た。
本当に子猫を連れて歩くかわいらしい姿に絆されたが、すぐさま我に返った。
「……ってそんなもの見てるなよ。ちゃんと見張るんだ!」
「喜んで見てたくせに……」
つまらなそうにぶつぶつ文句を言い出した彼を無視し、早苗は見張りを続けた。
するとまもなく、人が出てきた。
「あっ。来た!」
駕籠で家老らしき人物が出ていくところを二人でしっかり見届けた。
助三郎はボソッとつぶやいた。
「護衛が多いな…… こんなんじゃ、城もいっぱいいるな。キツイかもしれんぞ、今回」
いつになく弱気な彼を鼓舞するべく、早苗は言った。
「何言ってる? 助さんいつも楽しんでるじゃないか?」
すると助三郎はいつもの調子に戻った。
「まぁ。発散にはもってこいだからな。規則なしの武道試合ってとこだな」
「……発散? まぁ、いい。見張りも終わったし、御隠居のところに行くか?」
「そうだな」
二人して城へ向かおうとした時、何者かが必死に走ってくる様子が助三郎の眼に入った。
「あれは…… 由紀さんじゃないか?」
「へ?」
早苗が眼を凝らすと、本当にそれは由紀だった。
彼女は必死に走って、二人の元にやってきた。
「助さん! 格さん! 大変!」
「落ち着いて。どうしたんだ?」
息を切らしている彼女をいったん落ち着かせたのち、彼女に話を聞いた。
「……千代ちゃんと、ご隠居さまが、連れ去られたの」
二人は大いに驚いた。
「え!? 由紀さんは大丈夫か? ケガとかは?」
「わたしは大丈夫。どうにか逃げてここまで…… でも二人が…… ごめんなさい!」
謝る由紀を二人は責めなかった。
穏やかに彼女をなだめ、助三郎は敵の情報を彼女から聞き出そうとした。
「由紀さん、相手は何か言ってたか?」
「確か、二人を城の近くの屋敷に連れていくって……」
助三郎はその言葉を聞くとすぐさま走り出していた。
「わかった。行くぞ格さん!」
そんな彼を横目に、早苗は素早く由紀に今後の指示を出した。
「由紀、お前は安全な所に隠れてろ。いいな?」
「はい!」
早苗は助三郎の後を追って走った。
二人は由紀の聞いた話を基に城の近くの屋敷を探した。
そして警備が厳重な一軒の屋敷を見つけた。
「あれに違いない」
「だな」
しばらく様子を見たが、警備を破るのは難しいということで二人は相談し始めた。
「どうする? 俺が囮になるから格さんが突入するか?」