雪割草
〈22〉宿場はずれの宿
その日、一行は二川の宿場に泊まる予定であった。
しかし、なかなか宿が見つからない。
どこを覗いても
『申し訳有りませんが部屋は満室でございます』と断られた。
宿探しに疲れ始めた助三郎は、あきらめ半分に早苗に言った。
「格さん、どうする? 俺らは野宿でも平気だが、ご隠居と由紀さんにはつらいぞ」
「……うん、まぁ」
自分も野宿はイヤだった早苗は言葉を濁した。
しかし、もっと不満を抱いた者がいた。
「ちょっと、わたしはどうなのよ!?」
お銀は一人放置されて不機嫌。
助三郎はニヤッと笑った。
「お銀も平気だろ?」
不機嫌極まりないお銀を前に、早苗は助三郎を諌めた。
「助さん、言いすぎだ」
早苗が味方してくれたので、お銀は助三郎に嫌味を言った。
「そうよ。そんな助さんは一人で寂しく野宿しなさい。格さんも野宿はイヤですって。ね?」
その通りだった。
「野宿だと風呂に入れんからな」
その言葉を聞いた助三郎は面白そうに早苗を見て言った。
「お前、風呂好きなんだな。だからやけに長いのか?」
早苗はギクリとした。
若干気にしていた、長風呂。
それは彼に気付かれていた。
「べ、別にいいだろ……」
しどろもどろに言ったが、早苗は少し早めに風呂を上がろうと決心した。
遅いと覗きに来られたら、たまったものではない。
正体がバレる。
「よし、格さんが風呂に入りたいっていうから、空いてる宿をもっと入念に探そう!」
改めて宿探しに熱意を燃やす助三郎をみて、由紀が面白そうに言った。
「さすが助さん、優しいわね」
しかし、どうにも宿は見つからなかった。
男三人ならどうにかという宿、女はダメという宿。
条件が合わず、宿探しは難航した。
「どうする? このままだと冗談抜きで、寺でも探すしかなくなるぞ」
さすがの助三郎も焦り始めた。
早苗と二人でああでもないと話し始めた。
その時、一行の元に人が近寄ってきた。
小柄な人の良さそうな男だった。
「兄さん方、宿を探してるんですか?」
早苗は彼に正直に告げた。
「はい。ですが、どこを探してもダメだっていわれまして。どこか御存じですか?」
男は満面の笑みで早苗に言った。
「はい、ぜひうちに来てください!」
どうやら彼は宿屋の人間と見える。
早苗は彼に頼りたくなった。
「五人で、男女別部屋が良いんですが、大丈夫ですか?」
どの宿に言っても断わられた、少し難な条件を突き付けたが、男は動じなかった。
「大丈夫、大丈夫! 早速案内いたします!」
男はそう言って、一行の先となり案内をしはじめた。
そこは宿場のはずれにある、なかなか綺麗な宿だった。
しかし、他の客は誰一人いなかった。
また、宿の者も少なかった。
案内してくれた男と女将、料理人だけのようだ。
部屋に通されると、早苗はホッとして荷物を下ろし、伸びをした。
「よかった。宿があって……」
硬い地面の上で野宿。そんなことを経験せずによくなった事を早苗は感謝していた。
しかし、助三郎は違った。
「案外高いんじゃないか? 綺麗な宿だし」
その言葉に早苗も少し不安を抱いた。
しかし、すぐさま頭を働かせ助三郎に言った。
「よし。当分酒は無しだな」
「えっ。何で?」
酷く驚いた様子で助三郎が言った。
「金がもったいない。それに、ここらで財布の口を引き締めないと。」
助三郎は手を合わせた。
「なぁ、そこをなんとか。な?」
しかし、早苗は酒抜き宣言を撤回しなかった。
「ダメだ。最近飲んでばっかだ。体にも悪い」
先が長い旅、健康がなにより大事。
助三郎は諦め、大人しくなった。
「わかったよ…… 我慢するさ……」
酒無しの夕餉を終えた。
尚も少し不満げな助三郎を他所に、お銀は光圀と話していた。
「なんで他の宿はお客がいっぱいなのに、ここはがら空きなんでしょう、ご隠居さま」
「うむ、汚くもないし景色もなかなか。料理は素晴らしかったのぅ」
傍で聞いていた早苗は主の意見に頷いた。
しかし、助三郎は声を上げた。
「酒があれば言うことなしですよね!? うっ、なんだその目は……」
早苗は彼を睨んだわけではなかった。
『また酒か』と若干呆れた気持ちで見ただけだった。
「やましいことがあるから、俺の目が変に見えるんだろ?」
「やましいって、俺は何も悪い事しようなんて……」
なぜか助三郎の眼が泳ぎ始めた。
早苗は声を低くして脅した。
「抜け出して飲みに行く気だな? 絶対に行かせないからな」
助三郎は眼を瞑り、黙ったまま天を仰いだ。
どうやら早苗の勘は当たったようだ。
「あー。つまらん。ねぇ御隠居?」
助三郎は形勢不利と見て主を巻き込んだ。
光圀も彼の味方だった。
「はいはい。……またこっそり二人で行こうかの」
「……はい、是非」
ここに来るまで、彼ら二人は数回、勝手に二人で飲みに行っていた。
しかし早苗は、主と許婚が飲みに行くのを好まなかった。
それは、助三郎が飲みすぎると使い物にならなくなるから。
万が一の時、危なくてかなわないから。
しかし、そんな当たり前のことを言ってもするりとかわされるのが落ち。
早苗は違う攻め方をした。
「御隠居。路銀は藩のお金です」
「そうじゃな」
「藩のお金はちゃんとしたことに使わないといけません、せっかく領民が汗水たらして収めた……」
早苗は自分の懐にある路銀と主の財布、許婚の財布の中の金がいかなるものか話し始めた。
しかし、馬の耳に念仏。
光圀は穏やかに聞いているふりをしたが、助三郎は聞いていなかった。
「……なんか格さん、最近特に口うるさいですね」
ボソッと言う彼に、光圀は笑った。
「……イライラしとるのじゃろう。お前さんの行動がよろしくないから」
助三郎にはその意味が解りかねた。
「……なぜです? 私、なにか悪いことしていますか?」
「……それは」
やたらに道行く女をちらちら見る。
声をかけたがる。
ニヤケながら女と話している。
早苗を怒らせる行動は山とあった。
当の早苗は、話をろくに聞いていない主と許嫁にイラッとした。
「なに二人でこそこそしてるんですか? 人の話を聞いてください!」
バシッと畳を叩くと、男二人は首を窄めた。
「あ、あぁ、聞いてる聞いてる」
「はいはい。聞いておるぞ」
二人の明らかな誤魔化しを見た早苗は悪態をついた。
「これだから男は……」
そのうっかりな悪態を助三郎が聞いていた。
「……ん? お前だって男だろ?」
早苗はしまったと思ったが、どう誤魔化していいか解らなかった。
しかも、助三郎は若干のうろたえを見せる早苗に気付かず、彼女を無意識に追い込んでいた。
「……なんか、お前、たまに変なこと言うよな?」
「へ? そ、そうか?」
早苗は焦った。
しかし、そんな彼女に助け船が現れた。
一行の部屋に、女将が挨拶にやって来たのだった。
後ろに先程一行を宿へ連れてきた男も居た。