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雪割草

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〈24〉お風呂好き



 一行は岡崎に入った。
岡崎城下に宿を取った次の日の朝、早苗は助三郎を探していた。
 なぜか朝餉のあとから、ずっと姿が見えなかった。

「ご隠居、助さんは?」

 由紀と談笑しながら、茶をすすっていた光圀に早苗は聞いた。

「あぁ、用事があってな。城に遣いにやった。戻るのは夕方くらいじゃろう」

「……あ、そうでしたか」

 彼の不在の理由が、抜け出したのではなく、正当なものであったことでほっと一安心した早苗だった。

「じゃからな、早苗に戻りなさい」

 期待が込められた眼差しでそう言われた早苗だったが、従うことはなかった。

「いえ、新助がいるので、ちょっと……」

「……そうじゃった。残念じゃな。まぁ、格さんも茶を一杯」

「はい、頂きます」

 大人しく座って茶をすする早苗は、あまり喋らなかった。
そんな様子を見ていた由紀は突然口を開けた。

「ねぇ、早苗」

 そのとたん、早苗はせき込み、由紀を制した。

「……おい、聞かれたらどうする」

「怖いわね、気にし過ぎよ」

 しかし、早苗は取り合わなかった。

「なんだ? 由紀さん」

 助三郎も、新助もその場に居ないのに親友に『さん』付けで呼ばれるのが不満だった。
その腹いせか、由紀は早苗をからかった。

「格さんは、寂しいんでしょ? 助さんが居ないのが」

 早苗はムッとして言い返した。

「寂しくなんかない! ただ、助さんと、稽古したかったなって……」

「そうかしら? 強がるのは身体によくないわよ」

「ふん! うるさい!」

 売り言葉に買い言葉、二人の言い争いは収まらなかった。
耐えかねた光圀は、二人を制し

「由紀も格さんも喧嘩はやめじゃ。気分転換に、皆で町にでも行かんか? 助さんには悪いが」

 二人は喧嘩をやめ、光圀のその言葉に従うことにした。




 しかし、新助は一行のお供には加わらなかった。

「おいら留守番してます。ちょっと眠いので昼寝しようかなって……」

 欠伸を噛み殺す彼が早苗は心配になった。

「眠い? 調子悪いか?」

「いえ、夜中に、何度か蹴飛ばされまして……」

 新助は助三郎の隣に寝ていた。
と言うことは、犯人は助三郎。

「……かわいそうに。帰ってきたら助さんに言っておくから。あいつって寝相悪いのかな?」

「昨晩ちょっと暑かったじゃないですか。そのせいだと思いますよ」

「そうか? ま、ゆっくり休んで」

「はい。そうします」




 一行は宿を出て皆でぶらぶらと歩いていた。
しかし、早苗は何となく落ち着かなかった。
 由紀も気付き、何がそうさせるのか考えた。
すぐさま答えは出たが。

「……早苗、すごいわね。大抵の子が見てるわよ」

 格之進の姿の早苗は、若い娘の視線を集めていた。
黄色い声もたびたび聞こえる。

「……ジロジロ見られていやな気分だ」

 お銀は不機嫌になり始めた早苗の傍でぼそっと言った。

「相変わらずモテまくりね。助さんがいたらもっとすごいことになるけど」

「そうですよね。この前も……」

 それは一度、助三郎と二人で女の子の集団ににこっと笑いかけたことだった。
ほんの冗談だった。
 しかし、キャーという叫び声が帰ってきたので、早苗は辟易した。

「あんなこと二度とやるもんか」

 思いだしてイラつく早苗を、光圀はなだめた。

「すまんな。格さんが嫌なら、早苗に戻ってもいいぞ。助さんも新助もおらん」

 またまた若干期待するような眼差しで見られたが、早苗は辞退した。

「……いえ、女ばかりでは危ないです」

 光圀ががっかりするのとは対照的に、お銀は感嘆の声を上げた。

「早苗さんって助さんとは大違いね。真面目でよく働くし、あんなにドジじゃないし…… 
ご隠居さま、格さんのほうを部下にした方がよろしいのでは?」

「そうじゃ。そう思う。助さんももっと真剣に仕事をすればいいのにのぅ、あの男といったら……」

 早苗ははっとした。
許嫁はしっかり仕事をしているのか。一人歩きができて、これ幸いと羽を伸ばしてはいないか。
 不安がよぎった。

「今も真面目に使いができているのか…」

 光圀は彼女にある提案をした。

「早苗、一度助さんと一緒に城に行ってみるか?」

 助三郎を見張れるのはいいが、早苗は遠慮したくなった。

「いえ…… 藩邸でさえも緊張したので、余所様のお城など、とても無理です」

 女の身なら、普通入れない。そんな場所に入るのは緊張を強いられる。

「そう? わたしでも大丈夫なんだから平気よ」

 由紀は何でもないようにそう言ったが、彼女は早苗とは違う。

「由紀さん職場だったから、ああいうところ慣れてるものね」

「そうだ。俺は奥勤めも何もしたことない。経験が違う」

「そう?」

 光圀は神妙な面持ちになって言った。

「……早苗、紀州では城に上がらないといかんぞ。護衛として同伴させるでの」

「はい」

 何が待っているかわからない紀州。
それまでに、精神も武術も強くならなければと気持ちを新たにした。




 しばらくすると、お銀は早苗を宿へ帰そうとした。

「早苗さん、先に帰りなさい。疲れたでしょ?」

「え、でも……」

 渋る早苗を、お銀は説得した。

「わたしがいるから大丈夫。……悪いけど、今の貴方よりわたしのほうが強いわ」

 ごもっともだった。
早苗はおとなしく先輩の言うことにしたがった。

「……ありがとう。じゃ、頼む」

 光圀にも先に帰れと送りだされた早苗は、宿へと足を向けた。
しかし、またも女の子たちの熱い視線を感じ、イイ気分ではなかった。
 そして、気温が高くなってきたせいか汗が。
気持ちがよくない早苗は、早く宿に帰って風呂にでも浸かって汗を流そうと、歩みを速めた。
 好きな風呂に入れる。
 そう思うと、心なしか足取りが軽くなった。

 戻ってきた宿の部屋では、新助がひとり菓子を楽しんでいた。
慌てて食べ途中の菓子を置くと、彼は茶の準備をし始めた。

「あっ、お帰りなさい」

「どうだ? 昼寝できたか?」

「はい。すっきりしました。そのせいかおなか減っちゃって…… あの、皆さんは?」

「もうちょっと町の見物するってさ。俺だけ早めに帰ってきた」

「そうですか。じゃ、格さんお茶どうです?」

「あぁ、ありがとう。でも、今から風呂にはいってくるから、後でもらうよ」

 早苗は風呂のことで頭がいっぱいだった。
久しぶりに、綺麗な湯に浸かれる。
 昼から風呂に入る人間も少ないし、助三郎は当分帰ってこない。
見張りを立てずに、心おきなく風呂を楽しめる。
 そう考える早苗は、上機嫌で風呂場へと向かった。





「……みんないつ帰ってくるのかな。夕餉までには間に合うのかな?」

 菓子を食べながらすでに夕餉の心配をしている新助だった。
そこへ、人影が。

「おっ、新助、お前一人か?」

「あ、助さん、お帰りなさい。早かったですね。どうでした、お使い?」

「疲れた! 堅苦しい城はイヤだ」

 そう言ってドカリと腰を下ろすと、新助が淹れた茶を飲み干した。

「お疲れ様です」
作品名:雪割草 作家名:喜世