千日紅
《05》 兄と妹
早苗は夫と義妹を助けるべく、すぐに職場から退出させた。
男ばかりのむさ苦しいところ。
光圀のみならず、他の藩士に見られ気分を害するに違いない。
「千鶴ちゃん、ありがとう。美帆ともう帰った方がいい」
「はい。わかりました。義兄上、お仕事がんばってくださいね」
「あぁ。…美帆、気をつけるんだぞ」
「……うん」
早苗と助三郎は互いにあまり言葉を交わさずに別れた。
長時間面と向って話していられない。
自分がおかしくなるのを相手に見せたく、知られたくなかった。
その日の午後、早苗が職場で美帆の手作り弁当を食べている頃、佐々木家の兄妹は城下の大通りにいた。
千鶴の誘いで買い物に来た二人だったが、助三郎は疲れてしまった。
慣れない女物の着物で初めての外出。入ったことなどほとんどない若い女が好きな物でいっぱいの小間物屋や普段絶対つけないかんざしを扱う店。
千鶴は助三郎が今までで見たこともないような生き生きした顔で兄に似合いそうな物を選んでいた。
「姉上、これかわいいんじゃないですか?」
手にしていたのはまるで女の花簪《はなかんざし》だった。
あまりに妹が熱心なので助三郎は顔が引きつっていた。
こんなの付けられるわけがない。
俺は男だ。
笄《こうがい》なら格好良いが。
「この色良くありませんか?」
次に千鶴はよくわからない店でよくわからない小さな器をもっていた。
「何それ?」
「紅です。姉上お化粧したらもっと綺麗になるのに。もったいない」
この言葉に、助三郎はムッとした。
「化粧なんかしないの!男でするのはお公家さんだけ。今川義元みたいで気持ち悪い」
今川公は公家さんみたいに化粧してたらしい。
あんなのと一緒にされてたまるか!
しかし、妹は意外なことを言い始めた。
「あら?早苗姉上が言うには化粧していなかったそうですよ、今川公」
「え?」
すっと、助三郎の背筋が寒くなった。
結婚前の旅で、そういえば……
「姉上、桶狭間でお会いしたらしくて」
東海道沿いの桶狭間で早苗は今川義元の霊に会っていた。
助三郎は気付かなかったとはいえ、その奥方の霊と話をしていた。
無類の幽霊嫌いというか怖がりの助三郎は、この事を思い出し、寒気が走った。
しかし、千鶴はそういう話が好きらしく、目を輝かせていた。
「わたしは淀君か細川忠興公の奥方、ガラシャ様にお会いしたい!どんなにお美しかったか。見てみたい」
相変わらず、女が好きな妹に冗談半分で助三郎は聞いてみた。
「信長の小姓の森蘭丸は?美男だったって」
「イヤ!男なんかに会いたくない!」
助三郎はばさっと切り捨てられた哀れな森蘭丸に御愁傷様と心の中でとなえた。
その一方で、あれやこれやと次々購入する妹が気に障った。
「あのねぇ、そのうち男に戻るんだから使えないでしょ。無駄遣いはダメ!」
助三郎が稼いだ録。
そこからちびちびとあげている小遣いで妹は小物を買っていた。
「いいんです。姉上を飾り立てた後わたしが使いますから。無駄にはしません」
「……ちゃっかりしてるわ」
案外経済的な妹に感心した助三郎だった。
「そうだ、姉上お腹すきません?」
一通り買い物を終えた千鶴はおもむろにこう言った。
「そういえば、ちょっと…」
「良い店ができたって聞きました。そこ行きましょう!ね?」
そう言われ連れてこられたのは甘味処だった。
助三郎は躊躇した。
早苗とこう言うところ来たことはあるが、いつも茶しか飲まないからな。
甘いものあんまり好きじゃないしな。
でも、早苗と逢い引きがしたい。
早く男に戻りたい……
そんな事を考えているといつしか店の席だった。
しかも千鶴は勝手に注文をし終えていた。
出てきた物は、すべて甘い物だった。
「さぁ姉上。食べましょう!」
「あたし甘いのは…」
「いいから、食べてみてください」
恐る恐る、黒蜜のたっぷりかかった葛切りを口に運んだが、
甘ったるくて吐きたくなる気分ではなく、優しい甘さで幸せな気分になった。
「……おいしい」
「やっぱり、味覚も変わってますね。……厄介な秘薬」
「早く効果が消えてくれればいいのに…… もう一月過ぎたのに……」
「そのうち治ります。気にしないでどんどん食べましょう」
「……うん」
二人で食べながらおしゃべりに興じた。
滅多に妹と面と向って話す機会がない助三郎はこの場を借り、姿が女なのを借りて知りたかった事を妹に聞いた。
「……ねぇ千鶴、男の人嫌い?」
「はい」
きっぱりと返ってきた返事に助三郎はがっかりした。
やっぱり男が嫌いか。
嫁に行かないつもりかな?
この間もまた縁談断ったし。
あまりに落ち込む兄に気をつかってか、はたまた本心なのか千鶴はこう付け加えた。
「でも、助三郎兄上と格之進兄上は構いません」
「そう?」
「だって、兄上がいなければわたしはあんなに買い物したり、ここでこんなに甘いもの食べられません」
「どういうこと?」
「……父上が亡くなってから、兄上が自分の日常犠牲にして働いてくれた。だからわたしも母上もみんな今普通に生活ができてる。感謝しています」
父の龍之助は助三郎が十の時に急死した。
うるさい親戚に『家名断絶は許さん』としつこく言われ、喪が開けるとすぐに元服させられ、出仕させられた。
子どもだったせいでいろんな苦労を経験し、先輩にいじめられもした。
その時支えになってくれた幼馴染の早苗に恋をし、いろいろあった末、結婚できた。
幸せの絶頂だったが、いきなり女になり、妹の態度の変化から自分は兄失格ではと悩んだが、この千鶴の言葉に、喜びと安堵を覚えた。
甘いものと、妹の心情が把握できた助三郎は近頃抱えていたモヤモヤしたものがいささか溶けたようなすっきりした気持ちになっていた。
近道しようと入った雑木林までは……
二人で歩いていると、助三郎はイヤな気配が気になってきた。
体力や味覚がおかしくなっても、子どもの時から鍛えた武術の心得は抜けていなかった。
誰かが、つけている。
そう強く感じた。
「千鶴、先に行きなさい」
「どうしてです?」
「……つけられてる。気付かなかった?」
妹はなにも感じていなかったようで、助三郎の言葉におびえはじめた。
「……兄上、どうするんです?」
「走って、安全な所に隠れなさい!早く!」
「はい!」
千鶴が駆け出すと間もなく男が現れた。
やくざのような、厳つく野蛮そうな男だった。
「ねぇちゃん、金出しな」
そういうと、ドスをちらつかせ助三郎を脅し始めた。
しかし、水戸一の剣豪助三郎はそんなことでおびえるわけがない。
護身のために隠し持っていた自分の小太刀を引き抜いて構えた。
「下郎、近寄るな!」
怒りを込めドスをきかせて叫んだ。
しかし、全く効果がなかったようだ。
むしろ嬉しそうな顔を男はすると、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「生意気な姉ちゃんだ。そういう女もそそられる…」
「黙れ!」
女を見るいやらしい目に我慢ならなくなった助三郎は男に斬り付けた。
もちろん峰打ちだったが。
「くっ、強えぇな」