千日紅
《02》 三姉妹
早苗は張り切っていつもよりも早起きした。
夫と一緒に過ごせる貴重な休み。
一刻たりとも無駄にはしたくなかった。
「おはようございます。義母上さま」
義母の美佳も早起きで、早速朝餉の支度に起きてきた。
早苗の実家よりも格が上の佐々木家、使用人は大勢いたが
料理は任せっきりにはしておらず、必ず早苗か千鶴か美佳が一品作る。
「おはよう、早苗さん。また助三郎は寝坊?」
少し不満そうに早苗に言った。
「……昨晩、体調が悪かったので、そのせいかもしれません」
「まぁいったい何をやってるのかしらね。あの人は」
「……いえ」
「ちゃんと早苗さんの相手してあげなさいって叱ってあげましょうね」
実母のふくは嫁の優希枝を隙有らばいじめようとしていたのに対し、美佳は正反対だった。
実母よりも優しく、接してくれる。
「千鶴も助三郎に似て起きてこない。困ったものです」
そう言ったそばから、千鶴は居間にやってきた。
「母上、わたしは起きました! 義姉上、おはようございます」
義妹も結婚前からなついてくれている。
今のところ、何も不満はない。
「おはよう、千鶴ちゃん」
「これで兄上だけ。寝ぼうですね」
助三郎は、朝餉の支度が終わっても起きてはこなかった。
昨晩体調がおもわしくなかった彼のこと、早苗は気になり起こしに向かった。
彼は今だ布団の中で寝ているらしく、寝息が聞こえた。
「助三郎さま。起きて。ご飯できたわよ! 調子悪い?」
「イヤ! 眠い…」
「……へ?」
布団の中から聞こえた声に耳を疑った。
聞きなれた低い声ではなく可愛い高い声だった。
…誰?
思い切って布団をひっぺがし、中の人間を見た瞬間、早苗は驚きのあまり声が出なかった。
夫はおらず、大きな着物に身を包んではいるが、かなり危ない格好の女が寝ていた。
誰なのか皆目見当が付かず、恐ろしくなったが、指先で、脇腹をツンと突いた。
しかし、寝たままの女は、目をつぶったまま起きなかった。
「……くすぐったい。やめて」
「ねぇ。ちょっと」
再び脇腹をつっついた。
「……早苗、まだ夜じゃない。ダメだって!」
女に名前を呼ばれた。
この人、わたしのこと知ってる。
いったい誰?
勇気を出して女に向って怒鳴った。
「起きなさい!」
「あ、早苗、おはよう」
怒鳴り声にやっと起き上がった女は、早苗の夢に出てきた女の子だった。
乱れてはいるが綺麗な黒髪、可愛い顔、綺麗な高い声。
まったく夢と一緒だった。
「……すみませんが、わたしの夫は?」
「何言ってるの?早苗。あたしが助三郎。…あれ?声がおかしい。そう言えば、しゃべり方も…」
一人で変なことを言い始めた女を早苗は問い詰めた。
「なに言ってるんです?あなたどこから入ってきたんですか?」
「なんで?ここあたし達の家でしょ?」
「………」
「なに?」
じっと早苗を見つめる女の着物を良く見ると、それは昨晩夫に渡した手縫いの寝間着だった。
一生懸命縫いあげ、夫が喜んでくれた着物だった。
「……嘘!? 助三郎さま!? 本当に、助三郎さま?」
「信じてよ。あたしだって格さんが早苗だって信じたでしょ?早苗が戻れなくなったときに一緒に寝たでしょ?」
結婚前の旅の最中、心労から男の姿のまま本来の姿に戻れなくなった。
精神を病み、自害しようとしたところを助三郎に止められた。
男の姿のままだったが、夫は女の時と同じように抱きしめ、救ってくれた。
落ち着いてよく女の顔、特に目を見た。
優しく、誠実で強い意志の込められた目、すっと引き寄せられる夫の目と一緒だった。
「助三郎さま……」
「そう!」
早苗の頭は真っ白になった。
秘薬は、毒ではなかったが、夫を女に変えてしまった。
早苗は比較的早く立ち直ったが、助三郎はそうはいかなかった。
自分の姿を早苗が出してきた鏡で確認したあと、呆けて布団の上に座り込んでいた。
無理もなかった。
なんでだ?
なんで、女なんだ?
俺は、男だぞ。
「……大丈夫?」
「うん」
「うわぁ…」
助三郎は妻が羨望のまなざしで自分を見つめていることに気がついた。
「どうした?」
「……おおきい。いいなぁ」
「なにが?」
「……胸」
「なに言ってるの!?」
助三郎は、はだけていた着物をたぐり寄せた。
しかし、そこには、男では感じることのない感触があった。
あまりの感触の違いに驚いた。
早苗にもっと好かれたい、格之進に負けたくないと思って、鍛えてつけた筋肉がどこにもなかった。
早苗の視線が他に移った後、こっそり身体を確認した。
…デカイ。
早苗の倍以上大きくないか?
…早苗以外は見たことないが、デカイな。
…いかん!スケベな考えはいかん!
思考は男のままなのが救いだった。
口調は女に限りなく近く、姿は完全に女だが……
「うれしい?わたしより大きくて?」
にやにやする妻が気に触った。
「うるさい!どうもないの!」
「怒っても怖くない。さぁ、着替えて」
「……だったら、着物頂戴」
こんなおかしくなった身体をじろじろ見られたくない。
「はい、これ」
早苗が出したのは、赤色の着物だった。
明らかに娘時代のお古。
帯まで女の物だった。
「はぁ?何でそんなの着なきゃいけないの?女装なんかしたくない!」
「だって…」
「要らない!いつもの着物出して!袴だからね!」
「ダメ。大きすぎて引き摺るからダメ。汚れちゃう!」
仕方なく、与えられた着物に着替えた。
文句を言いながら着替え終わると、今度は早苗が口を聞かなくなった。
がっかりした情けない表情になっていた。
「どうした?」
「負けた……体型も、顔も、全部負けた…」
「どう?思い知った?」
助三郎はいつもの癖で、ふざけてしまった。
さっき体型をからかわれたお返しの軽い気持ちだった。
しかし、早苗の落ち込みは深刻だった。
「……ひどい。やっぱりわたしみたいな、小さくてひょろひょろの女は面白くないんでしょ?」
「ウソだって!ねぇ、泣かないで。女はそんなことで決められない。中身が一番だって。ずっと言ってるでしょ?」
俺は早苗のすべてが好きだ。
可愛いし、優しい。頭がよくて賢い。
しかも俺の親友。格さんに変われる。
これ以上の女はいない。
妻が愛おしく、じっと見つめた。
しかし、いつものように彼女は顔を赤らめることはしなかった。
「……いいなぁ。可愛くて」
「可愛くない!早苗の方がずっと可愛い。ね?」
「そう?」
少しうれしそうにほほ笑んだ早苗が、助三郎には堪らなくなった。
可愛いすぎる……
「……早苗」
口付けしようと身体を引き寄せた。
しかし、拒まれた。
「ダメ!女の子同士ではイヤ!」
「ちぇっ。つまんないの」
助三郎はがっかりしたと共に、新たな発見をした。
待てよ。
俺だって、本当の姿で男の格さんとはちょっと遠慮したい。
早苗も格さんの時は嫌がる。それと一緒か。
俺が嫌いなわけではないな。
一人合点していた助三郎はいきなり早苗に腕をつかまれ引っ張って行かれ驚いた。