千日紅
《04》 変な気持ち
早苗は無事、出仕初日を過ごした。
仕事は面白く、先輩方から優しく指導を受けれたので大変なことはほとんどなかった。
慣れれば問題ない。
いつも夫が帰る時刻と同じくらいに職場を後にして、早苗は帰路についた。
毎日、毎日同じことをこなす助三郎の大変さが改めてわかった気がした。
さらに、自分を常勤ではなく、非常勤にとどめておいてくれた父の又兵衛と光圀、上司の後藤に心から感謝した。
毎日出仕すれば、家庭がおろそかになりかねない。
義母や義妹は応援してくれるが、うるさい親戚の眼がある。
女が仕事をするには不便な時代だと、早苗は少し不満に感じた。
「……ただ今戻りました」
そう玄関で告げると、美帆の姿のままの助三郎が出てきた。
「お帰り、格さん!」
その姿を見た早苗は、またも、夫の姿にドキッとしていた。
女になってから早苗のお下がりを着せていたが、あまり色が似合わなかった。
しかし、その時は千鶴のお下がりを借りたらしい。
二人とも似ているので、よく似会った。そのせいか朝よりも美帆は数倍可愛かった。
「……」
話すことを忘れ、早苗は美帆の姿に見とれていた。
頭の中は、ある一言でいっぱいだった。
可愛い。
可愛すぎる。
なんでこんなに可愛いの?
ぼんやりとしたおかしな早苗の様子を見た助三郎は彼女の眼の前で手を振った。
身長が足りず、あまり意味がなかったが。
「何ボーっとしてるの!?早苗!」
その言葉で早苗ははっと我にかえり、すぐさま女に戻った。
なぜか美帆の異常な可愛さが薄れ、普通になっていた。
あれ?
普通だ。可愛いけど、さっきほど可愛くはない。
あれはなんだったのかな?
「早苗、どうしたの?疲れた?」
「ううん。大丈夫。ちょっとお腹減っただけ」
「……あの、晩御飯作ったんだけど。食べてくれる?」
「え?つくったの!?一人で!?」
早苗は夫の言葉に驚いた。
旅先では料理を手伝ってくれるが家ではなかなかやってくれない。
下女に『男は台所に入るな』と止められるからだった。
「一品だけ。それに、お銀に手伝ってもらったの。あんまりうまく出来てないけど…」
「うれしい!助三郎さまの手作り!」
そういうと早苗は美帆に抱きついた。
助三郎は久しぶりに妻に抱きつかれてうれしくなった。
しかし、妻は夫をすぐ離した。
「どうしたの?」
「美帆の方が胸大きいからイヤ!」
「美帆じゃない!大きいって言わないの!」
顔を真っ赤にさせて助三郎は怒ったが、可愛いだけで怖くも何ともなかった。
「はやくご飯にしましょ!」
その晩、助三郎は早苗が風呂に行っている間一人でボーっと考えていた。
原因は、早苗が帰って来た時に感じた変な気持だった。
格之進の声が聞こえたとき、うれしくなって鼓動が速くなった。
姿を見つけたとき、笑みがこぼれた。
なぜ、そんなにうれしいのか自分でもわからなかった。
さらに、格之進から早苗に戻った瞬間、一瞬だが寂しさを覚えた。
大好きな早苗にあえるからうれしいはず。しかし妻の姿に戻った途端、うれしさが込み上げたと同時にもっと格之進と一緒にいたいと感じていた。
普段もそれはあったが、どちらかといえば早苗の比重が高い。
しかし、その時は格之進の方が大きかった。
しかも、いま、その時も助三郎は格之進に会いたいと強く感じていた。
風呂に向かった妻が帰ってくるのではなく、格之進が現れるのではと心の底でなぜか期待していた。
それに気付き、若干助三郎は恐ろしくなった。
なんでだ?なんで、格さんにこんなに会いたいんだ?
おかしいぞ。
一月以上旅で一緒だった。十分あいつと過ごせて楽しくて、満足したはずだ。
あの時は早苗に会いたくて会いたくてたまらなかったのに。
なんで、今格さんに会いたいんだ?
もやもやとしたよくわからない気持ちを抱えたまま、助三郎は布団に寝転がった。
布団に一緒に寝られても、女同士。なにも夫婦らしいことはできない。
早苗を妻として扱ってやりたい。
しかし、なにもできない。
行動で一切愛情を表せられない今の状況が恨めしくなった。
早苗……
俺は、お前だけだ。
男に戻ったら、すぐにお前の所へ行く。
諦めず、見捨てないで、待っててくれ。
助三郎は、早苗が帰ってくる前に眠気に襲われた。
ふと気付くと、部屋には期待していた通り、格之進がやってきた。
美帆は無性にうれしくなり、彼に近づいて行った。
しかし、はっと我に返って驚いた。
なぜか、格之進を押し倒し、彼の上に乗っていた。
『おい、なにしてる!?』
怖がりおびえた様子の格之進の表情に美帆は猛烈に悲しさが込み上げてきた。
『イヤなの?美帆が……』
退いて、離れた。
悲しさが込み上げ、涙が出てきていた。
その様子を格之進が見ていた。
『違う!…泣かないでくれ。驚いただけだから』
優しい声で話しかける格之進に、美帆は泣くのをやめた。
『……あたしが、イヤじゃない?』
『あぁ、イヤなもんか。…その、そういうことしたってことは。…いいのか?』
『えぇ……』
そう返事をしたとたん、今度は美帆の上に格之進が覆いかぶさり、覗きこんでいた。
『美帆、好きだ……』
優しい瞳に見つめられ、美帆は嬉しさでいっぱいだった。
『……格之進さま』
「うわ!違う!イヤだ!」
大声で叫んだと同時に、部屋で髪を漉いていたらしい早苗が驚いて近寄って来た。
「どうしたの!?大丈夫!?」
「いま、朝?」
助三郎は妻に縋りついて、今が現実か確かめようとした。
彼女は安心させるように笑顔で言った。
「まだ夜よ。助三郎さま寝ぼけたの?」
「変な夢見て…… はぁ……」
「へぇ、どんな夢?」
「内緒!」
あんな内容の夢を言えるわけがない。
逆の夢は何度も見た。自分はしっかり男だった。相手は早苗だった。
旅の最中、早苗と一緒に寝られない旅の夜何度も見た。
いくら欲求不満でも。女で、しかも格さんにだなんて……
ありえない。
不安になりながら、二度と同じ夢は見ないと心に誓い、助三郎は早苗と眠りについた。
二人の奇妙な関係は一月過ぎても続いていた。
一向に助三郎は男に戻らず、夫婦の欲求不満はたまる一方だった。
また、忙しいせいで、橋野家の又兵衛に頼んだ解毒剤の状況さえもわからぬままだった。
そんな中、夫の助三郎は家事のしすぎで一人でも食事が普通に作れるようになってしまい、裁縫まで覚えつつあった。対する妻の早苗は仕事を毎日バリバリこなし、時には付き合いで飲みに行き夜遅くなることもあった。
完全に夫婦逆転になってしまった。
最初は、それも一興と思ってはいたが、早苗にも助三郎にも異変が起き始めた。
二人がかすかに感じていた違和感が強くなっていた。
互いの変化した姿に、早苗は格之進の時、美帆に。
美帆の姿のままの助三郎は格之進に、普通の感情を抱けなくなっていた。
見た目自分と同性な相手にドキドキする。
この異常とも思える状況が、二人を苦しめはじめた。
早苗は仕事の休憩中、一人になって鬱々と考えていた。
…能力向上って、本物の男に近づくってことなのかな?