ギャグマンガ日和をいい話にしてみた
『奥の細道編』
「全く困った弱ジジイですね。
あなたそもそもいい句を作ろうとする気、無いでしょう?
芭蕉さん」
僕は目の前でうずくまって泣いているヴァカ、松尾芭蕉を少し叱った。
この人は俳句で有名な人なのだが、今スランプに陥っており、いい句を全然作れていない。
「うぐっひぐう、だからって蹴ること無いじゃん!」
「僕のアドバイスを全く聞く気無いからむかついたんですよ」
「じゃあ、見本見せてよ!
私の頑張りを問答無用で断罪する程かどうか確かめてやる!」
「いいですよ。
春にわれ乞食やめても筑紫かな、
どうですか?」
僕は目に入った題材を元に句を作った。
「何こいつ、うまっ!!!!!
この俳句うま男!
もう少し手加減してよ!」
「だまらっしゃい!!!!!!!!!!」
僕の必殺技、断罪チョップが炸裂する。
芭蕉は吐血してぶっ倒れた。
「まったく。困ったものです」
僕はこれでも芭蕉のために尽しているつもりだ。
芭蕉には少なからず恩を感じていた。
自分は本名を、河合惣五郎という。
信濃国下桑原村で生まれた時の一番初めの幼少期は与左衛門だった。
自分は幼くして両親を失った。
その後は伯母の家で養子となり暮らした。
そのときの名は、岩波庄右衛門正字だ。
しかし、わずか十二歳のときに養父母も失ってしまった。
悲しみはかなり深かった。
自分の両親を二度失うということを十二の人生で既に経験してしまった。
その後は伊勢国長島の親戚のもとに引き取られた。
思えばこの頃からこんな性格になってしまったのかもしれない。
学徒時代は江戸で吉川惟足先生に吉川神道と学問を教わった
僕は顔が美形らしい為、学徒時代は結構もてた。
しかし、こんな性格のため、すぐに人など寄り付かなくなった。
そんなある日、完全に病んでいた僕を救ってくれた人物と出会った。
それが松尾芭蕉だ。
「私のところで俳句を学んでみない?」
この一言は今でも忘れない。
単純な勧誘の言葉。
最初はこんなジジイに自分のことなど分かるわけないとしか思っていなかった。
しかし、その時スランプではなかった松尾芭蕉はすばらしい句を作って僕を迎えてくれた。
僕は俳句の道で才能を開花させる事ができた。
僕の心は少しずつ治っていった。
芭蕉がスランプになった時、それを直そうと影ながら努力をしてきた。
この旅に同行したのも彼の苦しむ姿を見たいからではなく、彼を立ち直らせたいからかもしれない。
自分を立ち直らせてくれた時のように。
「ほら、早く宿行きますよ」
「うう、わかったよ~」
心を鬼にして彼を支えるのも楽ではない。
いい句もちゃんと作れるのにな。
僕はつくづくそう思うのだった。
僕は意外とこの日々に満足していた。
しかし、その日々は壊れた。
僕が手刀を振り下ろすように。
作品名:ギャグマンガ日和をいい話にしてみた 作家名:蔦野海夜