金銀花
「いや、江戸での付き合いじゃ。向こうで用事を済ませたらすぐに帰ってくる」
「わかりました。出立は、明日ですね?」
「そうじゃ、急ですまんの」
それから、明日からの予定などの話し合いをした後、帰宅してよいことになった。
しかし、早苗は光圀に呼び止められた。
「格さん、ちょっといいかの?」
「何でございましょう?」
二人だけになると、光圀は早苗に女の姿に戻れと命じた。
「お前さん、家で何をやっておる?」
「どういうことでしょうか?」
「助さんの様子がおかしい。結婚してからやる気があったのに、伊勢から戻ったら、腑抜けになってしまった」
「……あの、実は」
早苗は洗いざらい今までのことをすべて光圀に話した。
呆れ、驚いた様子だったが最後にこう言った。
「早苗、仕置きも大事じゃが、あれはお前さんに心底惚れておる」
「……そうですか?」
「あまり、虐めるのも考え物じゃ。あの時みたいになっても知らんぞ」
「はい……」
そこへ、職場の者の訪問が告げられた。
女がここにいては不都合。話を終わらせることにした。
「とにかく、考えておきなさい。よいな? 格之進」
「はっ。肝に銘じましてございます」
男に変わり、返事をした早苗を見た光圀は少し落胆していた。
「……やっぱりおなごの方がいいのぅ」
「あの、何か?」
「なんでもない」
晩、早苗と助三郎は江戸への身支度をしていた。
荷物はすべて揃え、後は姿を町人にするだけ。
早苗は一瞬で変えられるので楽だが、助三郎はそうもいかない。
髪結いを呼べなかったので、早苗が彼の髪を町人風に結いなおすことにした。
夫の髪をああでもない、こうでもないといじりながら、早苗は気になっていたことを口にした。
「なぁ、千鶴はどうする?」
「どうって?」
「留守中のお目付けは要らないかな?」
「なんで?」
「ちょっと心配だから」
「別に良いだろ。死ぬわけじゃないし。江戸に行って帰ってくる間に女に戻るだろう」
「心配ないかな?」
「あぁ。……さっきから思ってたんだが、髪引っ張るな。痛い」
「悪い。あのさ、うまく結えないから茶筅にするか?」
町人特有の髱《たぼ》がどうしても再現できず、苦戦していたところだった。
「なに考えてる!?」
「案外似合うかも知れないだろ?」
「イヤだ。時代遅れな男にはなりたくない!」
「じゃあ、落ち武者で行こう。ほら、男前の落ち武者いっちょあがり」
早苗はつかんでいた髻《もとどり》を放した。
髪は垂れ、本当に落ち武者のようになってしまった。
「おい、真面目にやれよ! もういやだ。誰かに頼もう」
髪を振り乱して慌てる夫の姿に、笑いながらも感心していた。
「ほれぼれする落ち武者振りだな。森蘭丸も真っ青だ」
「うるさい。お前に言われてもうれしくない!」
この呑気な夫婦の選択は間違っていた。
千鶴の見張りに、お銀を立てておけばよかったと後悔したのは、江戸から帰ってきてからだった……