金銀花
「うん。一番先に見せるね」
幸せいっぱいのこの夫婦、佐々木家を揺るがす大事件が待っていようとは知るよしもなかった……
時を遡ること、早苗と助三郎が江戸へと旅立った次の日、千鶴は言いつけをまたも破り、家を抜け出した。
それは、香代に会いに行くためだった。
彼女は人目につかない雑木林の隅にある祠の影で待っていた。
「おはよう。待たせた?」
「来たばかり。あら? クロもまた来たの?」
「ワン!」
いつも二人と一匹。
賢い黒い犬は見張りにも役に立っていた。
誰かに見られたら香代に迷惑がかかる厄介な逢瀬。
「今日は稽古は?」
「舞の稽古だけよ。でも、毎日千鶴が居なくてつまらないの。他の子も心配してるし」
「そうか、早く戻りたい……」
がっかりする友の姿を見て、香代は閃いた。
「そうだ千鶴、久しぶりに舞の稽古に行かない?」
「え? 行っていいのかな?」
「大丈夫。誰もあなたが千鶴だってわからないから。どこから見ても男の子だし。わたしの親戚ってことにすればいいから」
「じゃあ、ちょっとだけ……」
二人は、早苗の実家橋野家に向かった。
久しぶりに行く舞の稽古場は女の子であふれていた。
千鶴は友達に話しかけたかったが今は男ということでぐっとこらえ、部屋の隅に座っていた。
その間、女の子の集団が何度も千鶴を見てこそこそキャッキャ言って楽しそうにしていた。
仲間に入りたい、一緒に騒ぎたいと思いながらぼーっと眺めていると、声が掛けられた。
早苗の母で舞の師匠、ふくだった。
彼女は、千鶴が男になったことは知らなかった。自分の責任だと早苗は実家に事の次第を話してはいなかった。
それ故、女の子の千鶴は病気で寝込んでいるということにされていた。
「あら? 貴方は?」
バレないかとひやひやしながら返した。
「えっと、見学に参りました。水野殿の娘御の従兄弟です」
「あら、そう。あなた、舞はできる?」
「はい。経験はありますが」
「では、後で見せてくださる?」
「わかりました」
女の子たちの舞の稽古を見た後、千鶴はふくに引っ張り出され皆の前で舞うことになった。
女舞だったが、姿が美男、女の子たちは見とれてしまった。
ふくも感心した。
「素晴らしい」
「ありがとうございます」
「剣舞を仕込んでみましょうかね? 格之進に近々稽古をつけさせようかと思ってて、一緒にどう?」
意外なふくの言葉に、女の子たちはキャーキャー言い始めた。
「格之進さまだって!」
「あの方舞もできるの!? 眉目秀麗、文武両道でも魅力的なのに!」
「はぁ。見てみたい。あの香代の親戚の方と一緒に舞ったら、凄いことになりそう!」
部屋の中は眼を輝かせた女の子でいっぱいになっていた。
こういう状況を、早苗は寒気がするほど嫌がるが千鶴は快感だった。
女の子がみんな自分を見ている。そう思うと、嬉しくてたまらなかった。
稽古が終わった後、まっ先に千鶴は香代のもとへ向かった。
「香代、行こうか」
「えぇ」
しかし、二人の楽しそうな様子を皆は見ていた。
「あの方、やっぱり香代と?」
「香代、わたしも連れてって!」
「じゃあわたしも!」
なぜか大半の女の子が千鶴にくっついていくことになった。
彼女たちと茶屋で甘い物を食べ、おしゃべりし楽しい時間を過ごした。
千鶴は元気いっぱいになったが、対照的に香代は暗くなっていった。
帰り道、やっと二人っきりになったので千鶴は香代の様子をうかがった。
「……どうした? さっきから暗いけど」
「……なんでもない」
「そうか? でも、ありがとな。可愛い女の子いっぱいで嬉しかった」
千鶴は思う存分楽しんだ。いつも以上に女の子たちは可愛く、『可愛いね』と言ってあげると、もっと可愛くなった。
調子に乗り過ぎたせいで、まるで遊び男になっていたことに気付いていなかった。
そのことが、香代を暗くしていた。
彼女自身もなぜかわからなかったが、千鶴が他の女の子を見ていると、胸が痛くなった。
『なんでその子ばっかり見てるの?』と言いたくなった。
全く理由が分からなかったので、千鶴には黙っていた。しかし、不満は声に出てしまった。
「……みんなに可愛いって言って」
この言葉に、千鶴はニヤッとした。
「あ、焼き餅焼いてるんだ」
「そんなことない!」
すごく恥ずかしくなった香代は千鶴に反撃した。
しかし、彼女は怯まなかった。
「見え見えだよ。香代」
鼻をチョンと触られ、ニッと豪快に笑った千鶴に香代はドキッとした。
初めて友達にドキッとなった香代は、訳が分からなくなり、驚いて逃げ出した。
「知らない!」
「ちょっと! どこ行くの?」
いきなり駆けだした香代に千鶴は驚き、何も考えず後を追った。
しかし、なぜか香代に拒まれた。
「来ないで!」
「なんで?」
「いいから、来ないで! あっ」
よそ見した隙に、香代はつまづき前のめりになってしまった。
すぐさま、千鶴が庇おうと走った。
「危ない!」
香代は気付くと、地面の上では無く、何かの上にいた。
状況を把握しかねていると、声が聞こえた。
「怪我は無いか?」
「え?」
よく見ると、彼女は千鶴の身体の上だった。
千鶴が地面と香代の間に割り込み、香代を庇っていた。
「失敗した。抱きとめようとしたのに、力ないから倒れた。ハハハ」
香代の下の千鶴の身体は、以前とは全く違った。
くすぐりあって遊んだ時に感じた、女らしい体型ではなかった。
そんなに男っぽいわけではないが、女の子では決してない。
改めて親友が男になっていると気付かされた香代は、なぜか鼓動が激しくなり、気が遠くなった。
「はぁ……」
「おい! また気絶か?」
香代はまたも千鶴の前で気絶してしまった。