金銀花
《16》本当の兄弟
千之助は毎日武術の稽古、学問、男としての心構えを叩き込まれた。
剣術は助三郎の弟だけあって筋が良く、たちまち格之進と対戦して勝てるくらいの技量になった。
そうして一月経ったある日の早朝、早苗は千之助に柔術の稽古をつけていた。
「相手をよく見ろ! 隙だらけだぞ!」
「はい!」
早苗が隙を作ってやると、迷わず千之助は立ち向かってきた。
一本とまではいかなかったが、立ち回りは早苗が十分満足できるものだった。
「できるじゃないか。その息だ。いいな?」
「はい!」
二人で休憩していると千之助からこんな話が出た。
「……兄上、助三郎兄上とどうしたら仲直りできますか?」
それは早苗も心配していたことだった。
あれから溝が埋まる事はなく。兄弟の会話はほとんどなかった。挨拶、受け答え、必要最低限だけだった。
「……兄上に剣術教わりたいんです。平太郎殿も良くしてくれますが、やはり兄上と一緒にやりたい。
それに、私を弟と認めてほしいんです。……前はあんなに喜んでくれたのに、今はまったくです」
以前、冗談で男に変えた時は大喜びしていた。助三郎が千鶴に寄って行き、千鶴は拒否した。
しかし今は千之助が助三郎に寄って行くと、助三郎は遠ざかる」
正反対だった。
「……時間がまだかかるかもな。俺も協力するから、落ち込むんじゃないぞ」
「はい。ありがとうございます」
その日の夕方、助三郎と話している早苗のもとに文が来た。
差出人は江戸の由紀だった。
早速、夫婦は仲良く一緒に文を読んだ。
子どもが産まれたと文には書いてあった。
少し前、早苗の兄平太郎にも女の子が産まれ、早苗は叔母に助三郎は叔父になっていたが、友の子どもというのは初めてで興味津々だった。
「で、どっちだ?」
「男の子。慶太郎ちゃんだって」
「へぇ、父親と母親どっちに似てるのかな?」
「……見たいなぁ」
「旅があればいいんだがなぁ…… 上様、御老公を呼んでくれないかな?」
「そうね。でも、千之助さんと香代ちゃんの祝言があるからダメね」
「そうだな……」
その晩はいったん諦めた夫婦だったが、良い機会が巡ってきた。
数日後のある日、早苗は父又兵衛に呼ばれ、実家に戻っていた。
兄と、義弟が剣術鍛錬をしているのを二人で眺めた後、又兵衛は早苗に質問した。
「千之助殿は、馬術はできるか?」
「はい」
「では、馬が要るな」
「そうですか?」
「婿入りだ。買ってやったらどうだ? 嫁入り道具は要らんのだからな」
「……そうですね。夫に聞いてみます」
その日の夜、早速早苗は助三郎に父の話を伝えた。
すると、助三郎は話に乗った。
「良い馬屋を知ってる。俺の虎徹《こてつ》もそこで買ったんだ」
「そうなの? じゃあ、良い買い物ができるわね」
虎徹は雄のおとなしい黒い馬。賢く、暴れたりはしない。
また、彼は他の馬と大きく違った。それは格之進を背に乗せること。理由が解らないが、たいていの動物が格之進の姿を嫌がる。
自分のもう一つの姿を嫌がらない虎徹が早苗は大好きだった。
「それで、その馬屋はどこなの? 近い?」
そう助三郎に聞くと、笑顔で返事が来た。
「江戸だ」
「江戸?」
早苗はなぜ夫が笑顔なのか、『江戸』という言葉を強調するかわからなかった。
しかし、次の言葉で理解できた。
「早速お暇を貰おう。由紀さんと与兵衛さんのところへ行けるぞ」
江戸行きが決まったが、助三郎の暇が取れたのは文が来て一月が過ぎていた。
祝言まで後一月、千之助の特訓も総仕上げ間近だった。
しかし、相変わらず兄弟の関係は変わらずじまい。
早苗を虎徹に乗せ、助三郎が引き、後に千之助が続くという形で江戸へと出発した。
二日ほどで、江戸の由紀と与兵衛の屋敷についた。しばらくそこに泊めてもらうことになった。
夫婦は由紀が産んだ慶太郎を抱っこさせてもらい、話を聞いた。
「首がしっかりしてきたの。それにね、少しだけお話するのよ」
すっかり母親顔の由紀のその言葉に、助三郎は笑った。
「アーやウーじゃ話じゃないでしょう?」
由紀はそれにすかさず反論した。ついでに嫌味も添えて。
「それが赤ちゃんのお話なの! 助さん、抱っこだけは上手いですね」
「子どもは大好きだからな」
そんな夫の姿を見た早苗は不安を抱いた。
子が出来る気配がない。
尤も、千之助の手前があると言って助三郎は早苗を一切抱かなかった。それ故、子ができるはずがない。
しかし、徐々にだが早苗は焦りを覚えていた。
そんな彼女の暗い顔に助三郎は気付いた。すぐ抱いていた赤ん坊を母親に返し、早苗を連れ出した。
縁側に座り、きゅっと結んだ早苗の手に手を重ね謝った。
「……すまん。あいつの祝言終わったら、絶対誘うから」
「……うん」
「心配するな。お前は何も悪くない。だから、焦るのだけはやめてくれ」
「わかった……」
それから二日後、千之助の馬は難なく見つかった。
しかし、早苗は改めて兄弟の溝を見た。
弟と二人きりになることを助三郎は避け続け、会話を積極的にしようとはしなかった。
そんな二人を早く元通りにしなければと、決意した。
祝言まで日がない。婿として送り出す前に、仲直りさせないといけない。そう思い、思案に暮れた。
明朝出立と決まった夕刻、早苗は支度をしていた。
終わった後、夫の姿を捜したが見当たらず、義弟は見つかった。彼は一人、灯りをとって書見をしていた。
仕方なく、由紀に窺うことにした。
彼女はぐずっている息子をあやしていた。
「助三郎さま見なかった?」
「さっき与兵衛さまと飲みに行ったわ。夜には帰ってくるって」
「そう。……やっぱり千之助さんおいてきぼりか」
溜息をつく早苗に気付いた由紀は、息子を下女に預け早苗に聞いた。
「……あの二人何かあったの?」
「……溝が埋まってないの。未だに、弟として認めてないの。二人で話そうとしないし…… どうしたらいいかな……」
由紀に千鶴が千之助になった経緯は話したが、助三郎と千之助のいざこざは話していなかった。
困ったときに、親友の助けは大きい。由紀は少し考えた後思いついたらしく助言を早苗に与えた。
「ちょっとお金かかるけど、こんなのどう?」
「なに?」
次の日の早朝、佐々木家一行は水戸に帰ることとなった。
と言っても、見せかけ。早苗は兄弟の仲を戻すため、由紀から教えてもらった事を実践するつもりだった。
江戸を出て、宿場を二つ過ぎたころ早苗は突然馬の手綱を引き、馬を止めた。
「おい、なんでここに止まるんだ?」
「ちょっと用事。下りるわね」
ひらりと馬から下り、早苗は目指す場所へ歩いて行った。
突然の出来事に助三郎は驚き、彼女のあとを追いかけた。
「おい、待て! 一人で行くな!」
早苗に追いつくと、彼女は宿の前にいた。
わけがわからない助三郎は彼女に聞いた。
「……なんで宿に泊まる? まだ昼だぞ」