君影
(それは……)
そんなのは幸せとは言わない。悲しいことも怖いことも、喪失を経験することも、たしかにこの檻の中ならばないのだろう。けれどまったく変化のない日常は、死んでいるのと同じことだ。生きながら、確かにそこに在るのに、生きてはいない。それではただの人形だ。三人だけの世界。また何かが崩れることがあるなら、それはきっと。
「彼を恨んではいないの」
「恨む? 何故?」
「……曹操を愛しているの?」
「愛してるわ」
ためらいなく、「関羽」が頷く。その勢いに、関羽は驚いた。今までで一番、はっきりとした声音だった。
「……なぜ?」
「わたしのすべてだから。彼だけが、わたしを守ってくれるから」
「ここに貴女を閉じ込めていることを、それが、守りだとでも言うの?」
「違うの?」
無邪気な顔で、「関羽」が言う。そんなのは違う。少なくとも、関羽が求めるそれは、こんなかたちではない。けれど、どうしてか関羽は、その思いを声に出して言うことが出来ないでいた。
おかしなことに、あの子の名が「劉備」だと聞いてから、関羽はこの「関羽」と自分との境界線が曖昧になってきているような気がしていた。どんな自分でも、劉備を想う気持ちに変わりはないと知ったから? それとも劉備を喪ったこの関羽を、哀れに思ったから?
「あなたは外にいるんでしょう? でも、そこから逃げ出したいと、あなたも思ったことがあるんじゃなくて?」
「わたしは……」
「外は恐ろしいところ。哀しみが渦巻いているし、いつも誰かが泣いてるわ。血の涙を流して、憎しみに震え、そして死んでいくの」
関羽の脳裏に、いつかの戦場が浮かび上がった。猫族の皆がいると聞いて、飛び出していったあの日。あの時も、戦場には赤が散っていた。抱き寄せられた力強い腕を、今でもよく覚えている。
残像を振り払うように、関羽はぎゅっと目を瞑る。
「死だけじゃない。生も喜びも、外にはたくさんあるわ……」
「でもいつかは、死んでしまうのよ」
これ以上この声を聞いてはいけない。頭はそう思うのに、目と違って耳を塞ぐことなどできない。知らず、涙が溢れだした。関羽の衣に、涙の染みができる。